第3話 この世界①

 今のこの世界のことだけど、人類統一機構はこの世界の成り立ちを歴史として教えてくれた。

 もともとぼくたち人類は異世界人だったと言う仮説がある。

 異世界からこの世界にやってきた人類の祖先は、この世界と異世界との間に蓋をして、異世界から狂暴な魔物や脅威が入って来るのを防いでいた。

 ところがある年、東にある島国でファーストブレイクが起きる。

 ファーストブレイクを起こしたのは一人の男の子と二人の女の子だと判明している。

 名前を月島夏ノ子(つきしまかのこ)とフローゼ、そしてその中心には燈彼(ひかれ)なる人物がいたと歴史はそうなっている。

 燈彼は島国にあった異世界との間にあった蓋を、己の私欲のために壊してしまったのだそうだ。

 このファーストブレイクをきっかけにヨーロッパのセカンドブレイク、南米のサードブレイクと波及し、世界は混沌と化してしまった。

 ファーストブレイク時には島国人口の六割もの人間が亡くなってしまったらしい。

 さらに異世界より飛来した魔物や獣人種により、食害や隷属化などでこの世界の人の数は全盛期の二十%を下回った。

 現在は長命種の保護や短命種の性質がより理解され人口減少に歯止めがかかり、それでも世界が混沌としているのに変わりはなく、人類は魔物などの脅威に立ち向かわなければならなかった。

 そんな世界でどうしてこの街が魔物に襲われないのかという話。それは建物が頑丈だとか魔物の嫌う聖なる力とか、そう言うものではなくて、そもそも魔物の体内にあるからだと統一機構は言った。

 異世界にはダンジョンメーカーやラビリンスメーカーと、構造が命を持った魔物がいる。生成するラビリンスを人専用に作り替えたのが現在存在する街なのだそうだ。

 ぼく達の住む街、そして国は、巨大な亀の形をした陸生の生物の腹の中にある。そうして複数の巨大な生き物の腹の中にいくつも国や街があって、まとめて統一機構として管理されている。

 国の外にある獣人国家と人類国家は恐ろしく仲が悪い。

 獣人は人間を奴隷にする。広い意味では人間も獣人だけれど、この隔絶は大きくて計り知れない。逆もまた然り。

 色々問題があると思う。人の中にも獣人に協力的な人達はいて、人さらいの手伝いをしていると噂はある。実際に見たわけではないから真偽のほどは定かではないけれど、人類の街中にも獣人はいるし、その他色々な種族がいる。

 それら全ての文化や歴史が混雑してしまって、今の世界は結構無秩序なのだそうだ。

 一昔前の島国だったのなら、奴隷等とても信じられないと言っていた。

 もっとも人類統一機構は天使の管理下にある。

 空を見上げればそこかしこに羽の生えた人がいて、治安維持などを担当しており、天使がいなければ人類は滅んでいたし、天使がいなければ人類は完全に獣人の奴隷となっていたとも言われている。

 現在も天使が治安管理しなければ、このような平和にはなっていなかったと言われているし、人類は逆立ちしても天使には勝てないし恩を仇で返すわけにもいかない。

 そして天使は非道な行いを嫌う。


 中等部での日々はひどかったけれど、子供の頃から十分に迷惑をかけている幼馴染やその両親にこれ以上迷惑はかけられない。高等部に上がるにはお金もかかる。お金まで出してくれるって、引き取ってくれるとまで言ってくれたこの人達には涙が出るほど感謝している。でもぼくは知っている。

 ぼくのせいで色々な諍いが起こっていることを。

 十三歳からダンジョンに挑むようになった。お金を稼いで自立しないと。どんな仕事でも良かったけれど、十三歳で受けいれてくれる所はなかった。

 だからダンジョンに挑むしか、ぼくにはなかった。ううん。他に道なんて沢山あったのだ。でもぼくには、ぼくにはこれしかないと思い込んでいた。

 統一機構探索者機関オーダーラインに登録するのに問題はなかった。

 それに天使は人に迷宮やダンジョンに挑んで欲しいと思っている。

 何時か自立して欲しい。

 そのために天使は人を保護して育てている。

 今すぐにと言うわけじゃないらしいけれど、そのうち、いつか、遠いどこかで、気の遠くなるような時間を持つ天使は、それでも構わないと言った。

 天使は成長しない。生まれた時からその姿、その声、その強さを持っている。成長しないからこそ成長する人間に期待している。

 ……。

 悲しいけれど堕天使は存在する。生まれた時から力を持ち成長しないのに、天使の中にも力の上下が存在すると言う話。そして成長しない彼らの上下は決して覆らない。

 堕天使と悪魔は違う。天使と悪魔は表裏一体。でも堕天使は悪魔にならず、羽も黒い。世界が混沌とすることを望んでいる。それは決して悪い事ではないけれど……。


 挑む迷宮やダンジョンにも種類があり、統一機構が管理しているものと、街中に突如現れるものの二つが存在する。

 基本的に統一機構の厳重な管理下にある迷宮やダンジョンの方が深くて敵も強く、他はほとんどが出来たてなのでそこまで深くなく、敵もそこまで強くない。それでも危険ではあるけれど。

 迷宮とダンジョンにも違いがある。

 迷宮は中にいれた者を外へ出さないためにある。

 ダンジョンは外から中へ入る者を捕らえるためにある。

 どちらがヤバいと言う話。迷宮の方が危険だ。理由は中にいる者を外へ出さないためにあるからだ。作っているのも天使や古代の方達だ。天使等の超常の者達が封じ込めた者が迷宮の奥底で蠢いている。

 この街だって迷宮だ。迷宮の中に国がある。堅牢で強固な反面、街の外へ出るのも大変で、街から街への移動も超速装甲列ロケットを利用しなければならない。

 マッハ5、ノンストップでルートを突っ切る。


 旧時代の遺物

 古い迷宮には昔閉じ込められた強い魔物がいる。討伐できなかったから封ぜられたと言われている。閉じ込めるために使用し、外へ帰れなかった者達の強力な遺品が眠っている。


 ダンジョンはクリエイターと言う魔物によって作られる。

 ダンジョン自体がクリエイターという魔物らしい。

 彼らは次元を超えて突如現れ、その場にダンジョンを形成する。

 ダンジョンはさらに二種類に分類されており、一つがゾンターク、もう一つはエーデルワイスと呼ばれている。

 ゾンタークをメインダンジョンと言ったり、エーデルワイスをサブダンジョンと言ったりする。

 ゾンタークは大本のダンジョンで、岩の洞窟、樹洞、塚、草原、森、砂漠、色々な形に変化して、魔物をおびき寄せる。

 入り込んだ魔物が生育しやすい環境を作り、魔物の死骸を食べてさらに大きなダンジョンになる。そうして色々な魔物を取り込み複雑で大きなダンジョンへ変わって行く。

 こうして大きくなったダンジョンは次の一手を放つ。

 子を作る。この子というのが次元を超えてあちこちの土地に突如として出現する。これがエーデルワイスだ。生育された魔物まで巻き込んで散らばって根を下ろし浸食する。

 ダンジョン内で生きることは魔物にとってもメリットがある。例えばこの街の周りの魔物は蜘蛛型が多いのだけれど、強すぎて他の魔物が生育できない。でもダンジョン内であれば与えられた環境内で十分に育つことができる。


 世界には無数のゾンタークが存在すると言う。

 肥大しすぎたダンジョンは壊すのも困難となり、挑むは挑むものの、全容すら明らかになっていない。

 この国の地下にも紫谷(しこく)と呼ばれる広大なダンジョン(ゾンターク)がある。あまりにも広大で一年潜り続けた隊ですら全容を把握することができなかった。

 そしてこのダンジョンを滅ぼす事ができないため、この国には常にエーデルワイスが現れる。放っておくと中から魔物が這い出て来るので討伐しなければならない。

 これが、ダンジョンが仕事になる理由だ。

 人がダンジョンに入るメリットはある。

 エーデルワイスを壊すことでオーダーラインから報酬が貰える。

 魔物自体に素材の価値がある。

 他にも色々な恩恵がある。

 有名なのはミミック。

 ミミックと呼ばれる魔物がいる。

 ミミックはインテリジェンス(知性もち)を狩る事に特化している。所謂財宝をかき集めて保存している。このミミックを狩ることは人類にとって非常に有益だ。ミミックウェポンと呼ばれるものも存在する。インテリジェンスとの共存を試み進化したミミックだ。ミミックウェポンは道具を使う魔物と共存していて、その魔物を倒して手に入れると、そのミミックウェポンと共存する権利を得る。

 ミミックウェポンは人類が一度は手にしたい武器の一つだ。


 エーデルワイスは怪物になる可能性を持っている。

 ダンジョンの最終的な姿が怪物だからだ。エーデルワイスを孵化させてはいけない。

 エーデルワイスに花を開かせてはいけない。

 ゾンタークに侵入し、魔物を殺す事はエーデルワイスの増殖を抑える効果もあるし、ゾンタークの成長を止める効果もある。

 天使はダンジョンを壊して欲しいと思っているけれど、多分、人間はダンジョンとの共存を望んでいる。

 ゾンターク自体が生物群と富の宝庫だからだ。


 現在紫谷(しこく)は長命種のお腹の中にある。

 天使の作り上げた巨大な迷宮生物の中に街と紫谷(ダンジョン)が共存している。迷宮の中にダンジョンを閉じ込めている。でもダンジョンは次元を超えて成長するため人類はそれを止めなければいけない。

 それにこの世界では性質に沿い戦う事は人の成長を促す。

 強くなりたかったらダンジョンに挑むしかない。

 そのために学校では多少なりとも戦い方を教えてくれる。


 エーデルワイスは何処かにある次元の裂け目の元を爆破すれば壊れる。中にいる魔物は天使が事前に調べていて表示してくれる。

 ぼくが最初に狙ったのはマッシュルームだった。

 直訳の通りキノコだ。種類は多い。

 トランペットか、ヴォロビック。

 言葉を直すとエリンギかヤマドリタケ。

 トランペットは食用に適していて普通に食べられる。肉厚でステーキの触感が味わえるけれどキノコ独特の土臭さもある。

 ヴォロビックも食用のキノコ。こっちも肉厚だけれどトランペットより香りが良いので少し高い。

 他にはブラックダイヤ、ホワイトダイヤと呼ばれるトリュフの魔物がいるけれど、滅多に会わない。特にホワイトダイヤは希少で高い。


 魔物と生き物にも明確な違いがある。

 種臓(しゅぞう)と呼ばれる臓器がある。

 魔物を殺すにはこの種臓を肉から引き離すか壊す必要がある。

 種臓は魔癌(まがん)と別の呼称もあるけれど、そう呼ぶ人は少ない。魔癌は非常に危険なものだ。生き物に食い込んで魔物に作り替えてしまう。

 生身で掴めば人でも浸食されてしまう。だから専用の手袋で取り扱う。

 キノコ型が生息するダンジョンは人気だけれど、数が取れると単価が安くなるので放置される場合もある。一つのダンジョンにおける生息数もピンからキリ。毒を持った変異種も存在する。

 ミミックウェポンがいる事はあるけれど、本当に稀。気づかない事もあるらしい。

 ミミックウェポンの所持には許可がいるから取得したからと言って使えるわけじゃない。形も独特だからやっぱり見つけたからと言って使えるわけじゃない。


 魔物は魔物の意思で動く。絶対に人間と敵対関係にあるのかと言えば否だ。インテリジェンスの促進を促して本来の動物としてのIQを劇的に向上させる事もある。

 依頼は機関で受ける。人類統一機構チャシャーキャット機関オーダーライン。通称機関とかラインとか呼ばれている。機関で探索する旨を伝えたら現地に行き天使に合って任務を受ける。

「こっこんにちは……」

「こんばんは」

「こちらのダンジョンに挑みたいのですが……」

「カードをどうぞ」

 カードは生活必需品。デバイスだけれど。このデバイスに個人情報のすべてが記載されていて身分証明にもなるし、通話やチャット、ネットやテレビなどを見ることもできる。

 正規でダンジョンに挑む際にはこのカードを天使に表示しなければいけない。

「大丈夫ですね。お返しします。ではどうぞお入りください。くれぐれも無理はしないように。危ないと思ったらすぐに呼んでください。こちらが発破になります」

 ダンジョンを壊すのに必要な発破(爆薬)は天使の支給品。攻略意思を示して初めて支給される。これを仕掛けてダンジョンから出、ボタンを押すと破壊できる。

「D級ダンジョン探索認証完了。ロックを外します。現時刻は……十四時二十六分。探索を許可します。ロックを解除しました。現時刻より原則による抜刀が許可され、これより貴方は原則にのっとり原法により拘束されます」

「はい」


 樹海型ダンジョン。

 巨大化した木の真ん中にぽっかりと穴が開いていた。

 ガンベルトから銃を取り出して左手にライト、右手に銃を構える。ダンジョン内は暗闇なので普通は見えない。ぼくはシーフの性質で夜目が効くので場合によってはライト等必要無いけれど、ライトは基本的に必需品。手の中に納まるサイズで光量に優れているものを使っている。これでも三千円ぐらいする。

 なんて言ったらいいのか、ダンジョン内は物理法則がおかしい。入口は人一人が通れるぐらいの木の洞、そしてその中を下へ向かっていたはずなのに、抜けると広い森の中へ繋がっていた。

 ダンジョンに入ると匂いが変わる。ダンジョンへ入って最初に反応する感覚は嗅覚だと思っている。学校や図書館に入った時と同じ。学校の匂い、図書館の匂い、場所によって匂いは変わる。それはダンジョンでも同じだ。

 少しの霧に覆われた森の中。ライトを前面に出しつつ歩く。地には落ち葉、木々の根がそこかしこから露出して歩きにくかった。体が湿って少し重い。足元がぬめり、上体の位置にある複数の木の枝が移動を阻害する。

 まずは索敵。

 外側へ向かう。霧が一層濃くなり、これ以上は霧が濃すぎて何も見えない。そして進めない。濃い霧に沿って歩く。霧じゃ夜目は意味がない。やがて入り口が見えてくる。

 採集も怠らない。ダンジョン内の植物は非常に有益だ。

 ヨモギの光種。ドクダミの露。採集パックを取り出して保管する。

 一周におよそ十五分程度。中心部へ向かうほどすり鉢状で段差になっており、中心には透明な細い木と寄り添うような巨大なキノコ。

 一層だけのエーデルワイス。一層と三層に違いはある。三層の方が力分けの影響が強いのでやっぱり三層の方が敵も強い。


 中央にキノコ。トランペットだ。ポケットからカードを取り出して情報と照らし合わせる。

 情報通り。トランペットが三体。個体値も表示される。

 個体値は文字通り個体の差だ。人のステータスが徐々に強くなるように、魔物も生存すればするほどに強くなる。

 小さなダンジョンだ。まさしくD級。ぼくはコロシアムって呼んでいるけれど。

 ダンジョンはDからSまであるDは一番下だ。

 リュックを置いて段差を下る――手に付いた泥がぬめる。触れた岩の尖った感触に、素手だったら切れていたかもしれないと注意を払う。

 一番下まで降りるとキノコが動き出した。キノコ型の魔物は視覚や聴覚、嗅覚による反応が無いと言われている。

 音を消してもキノコには察知される。おそらく地面を伝わる振動を感知している。地面に足をつく以上、音を消しても振動自体は消せない。

 銃をベルトに納めて小刀を取り出す。何度も柄を握り直し抜いて抜き身を確認、鞘に納めて握り直す。腰に納めた金槌を見る。金槌は必需品。

「フーッ。フーッ。フーッ」

 息が荒くなっていくのを感じる。手足が震えてきた。落ち着いてと自分に言い聞かせる。鞘から抜いて構える。銃を使わない理由はある。弾丸がキノコの体内に残ると値段が下がる。

 それで命を失ったら元もこうもないのはわかっているはずなのに……。


 地面を覆う菌糸が光る。初撃、先手を取られた。ゆっくりと菌糸が盛り上がってくる。刹那地面に張り付くくらいに伏せた。目が見開いている。背後を振り返りもせず、体を反転、体が泥だらけになると思いつつ、そんな思考を振り払う。反転させた途中で見た上空は霧で覆われ、菌糸の中にある根が木のように広がり咲いているが見えた。

 あれに貫かれたら、目を貫かれたら、体を貫かれたら、想像と死が全身を駆け巡る。

 柔らかく白い菌糸の中に硬い根のような武器を持っている。この根は種臓、魔癌と繋がっている。

 転がった反動と崩れた体勢を左手で支え駆け、右手の小刀で低く根を切る。立ち上がりながら駆けたらもう止まれない。雷状に伸びる菌糸の根を避ける。本体を攻める。一体に近づいたら後は裂くだけ。笠を縦に割くように、上から下に一気に刃を滑らせる。滑らせたら裂けたキノコを見る。他の二体の攻撃を察知して身を反らして避ける。

 中はほんのりと黄色、そして茶色の根が見えた。左手を差しいれて掴んで引き抜く。ブチブチブチと裂ける音、引き抜く音、心臓のように脈打つ黒い宝石のような魔癌。引きながら下がる。綱引き、切り上げ、本体と魔癌を引き離し離れる。

 精神的なゾーンと呼ばれるようなものに入っているとわかる。突き上がる根の軌道を予測して首を傾けていた。

 すぐ横を根が通り抜ける。

 下がり引きずった魔癌を見た。根が左手に絡まって魔臓自ら近づいてくる。段差を登り、他のキノコの攻撃範囲外へ逃れる。菌糸の届かない距離まで下がる。

「ふっーふっーふっーふっー」

 もっとも危険な瞬間。小刀を放り出して金槌を手に取る。地面に魔癌を押さえつけ、右手に持った金槌を振り上げて息を止める。狙いだを定めて、振り下ろす。

 金属の破砕音。水のように滑らかに鼓動する物体がガラスのように破砕する様、音。

 何度も振り上げて振り下ろす。

 手袋がすっぽ抜けて尻もちをついてしまった。

 息が荒い。

 手袋に絡まった根が灰色になっていく。

 足の裏の金属部分で何度も踏んでとどめを確実に刺す。

 立ち上がり手袋を回収。後二体。後二体もいる。目がちかちかする。なんでぼくはこんな所にいるの。足元がぐらぐらと揺れるような感覚。ストレス。ここから立ち去りたい。強いストレスを感じていると理解できる。

 あの避け方はダメ。顔をかすめた根を思い出して、足踏みを繰り返していた。汗と泥。手で顔に触れようとし、手についた泥で顔が汚れると肩を傾けて汗をぬぐう。

 いつか死んだ事に気づかないまま死ぬかもしれない。

 あと二体。

 息を整える。

 手袋をはめ直し小刀を投げた方を見渡す。見つけ掴み拾い上げる。

 水を飲みたい衝動にかられ、でも今水を飲むと安心して動けなくなると口の周りを舐める。

 後二体。

 段差を下る。手順は同じ。

 初撃を取られたって馬鹿みたい。対策をしないで近づけば初撃を食らうのは当然でしょう。本当に馬鹿なんだから。

 獣みたいだ。野蛮と言うには憶病過ぎて、獣と言うには迫力がなくて。

 足が震えていた。

 金槌をしまい小刀を再び構える。後二体。

「フーッフーッ」

 今度はこちらが先手を取る。トランペットとの距離を目算で計り駆ける。デコボコの根を踏み外さないようにと思い切り飛び段差を跳び超える――足をついてよろめきかけ、手で地を押しバランスをとって足を動かす。

 振り上げた小刀――振り下げ、手ごたえの無さに驚く。のけ反ったトランペット。そしてこちらへぶつかって来る。逆手から順手に持ち替えて体ごとぶつかる。小刀を刺して表皮は和らかいけれど、上方へ切り上げつつすぐに離れる。

 トランペットの表皮から無数の根が露出し、二度とトランペットにぶつからないと堅く心に誓った。離れるともう一体の菌糸が光る。

 一度引く。段差まで下がり、円を描くように位置を変える。

 トランペットから露出した根が体を縫い合わせるように蠢いているのが見えた。その隙にもう一体を攻める。右手に持った小刀を順手から逆手に持ちかえ、ぬめりを利用して滑るように近づいて横に切り、露出した根を左手で掴み、引っ張りだす。

「ウーッウーッ」

 綱引きに変な声がでてしまう。引っ張りだした種臓を本体から切り離すことなく段差の上を目指す。

 急に重くなり、見るともう一つのトランペットから伸びた根が絡みついて引っ張られていた。さらに地面の菌糸が盛り上がるのを視認、攻撃を避けるために上に登るのを断念。無理、引っ張られる。

 やるしかない。小刀をトランペットへ投げ、金槌を持って引っ張られる力を利用してかける。通り抜けざまに種臓を金槌で粉砕。

 後一体。

「ウーッ」

 変な声が出たのは左手の手袋がすっぽ抜けたから。

 金槌を放り投げ、トランペットへ――飛び蹴り。落ちて。右手で根を掴み、引っ張りだす。暴れる根が右手を締め上げてくる。強く握って潰されないようにかためる。地面を漕ぐ足が滑る。左手まで泥をかく。

「ウーッ‼ ウー‼ ううううう‼」

 力の緩急をつけて何度も引っ張り、魔癌が地面に落ちるのを見た。駆けて飛ぶ。思い切り足を曲げ、魔癌を踏みつけた。これはダメだったと気付いた時には視界が回っていた。自分ではどうしようもない慣性というのか、力というのか、魔癌を踏み外して滑ったと思う頃には背中が地面についていた。殺される――ついた手で地面を押して必死に離れていた。

「ウー‼ ウーッ……」

 やらなきゃ――やられる。

 立ち上がり近づいて種臓を何度も踏みつけていた。何度も何度も踏みつけて辺りを見回し急いで小刀と金槌を拾い上げた。トランペットは動いていなかった。

「フーッ……フーッ……」

 目がちかちかする。

 警戒する。怖い。

 終わった。本当に終わったのと疑問が脳裏を過る。

 本当にいないのか周囲を何度も見渡し急いでトランペットの肉の回収を始める。


 何もいなくなったコロシアムの中は静まりかえってむしろ不気味だった。未知の物体に攻撃されるかもしれないと恐怖が湧いて来る。想像してしまって恐怖が湧いて来る。自分の死を想像して脳が委縮するかのような感覚に囚われる。

 段差を登りリュックを回収。

 リュックを広げて発破とビニール袋を出し広げる。袋を広げたら切り分けたトランペットの肉を入れる。肉と言っていいのかどうか。白い身は触れると弾力がある。打撃には強いけれど斬撃には恐ろしく弱い。

 傷みのある部分をナイフで切り取り捨てる。肉厚の傘、全部は袋に入らない。茎はスティック状に切り、傘は縦切りでなるべく厚さを保ち収納。裏側のヒラヒラは痛みやすいのでこそげる。

 回収できるだけ回収したらリュックを背負い透明な木に近づく。

 爆弾を設置。少し罪悪感はある。ぼくは生き物を殺した。殺したのだという罪悪感はある。例え殺されるとしても、侵入したのはぼくの方だ。

 例えこうしなければ、ぼく達が生きていけないと知っていても、死の恐怖と罪悪感とハイテンションと自画自賛と不安定な精神でバラバラになりそう。

 急いでここを離れたい。離れたい。家を想像して帰りたいと強く意識してしまっていた。

 発破は四角い板状の長方形で、市販のカレールーの形に近い。

 ぺりぺりと透明な粘着保護剤を剥がしてペタリと木に取りつける。

「……ごめんね」

 そう呟いてしまった。

「何言ってるの」

 偽善者。ストレスでおかしくなっている。早く出よう。

 段差を登り入り口から外へ出る。外へ出る時もう一度だけ中を見た。静まり返ったダンジョンの中にはただ霧が漂っていた。

 ぼくはやったんだ。ぼくは強い。なんだ簡単じゃん。思考の中に漂うそれらの言葉。沸いてくる自画自賛の言葉が嫌になる。

 運が良かっただけだ。慢心するな。弱い癖に。あれで簡単だと本当にそう思っているの。他の人はもっと強いよ。

 勝ったはずなのに足取りは重かった。

 空気からぬめりのような重さが消えた。夕日の色。天使がいた。天使はこちらを見ると向きを変えて、目がじっとぼくを見ていた。

「お疲れさまでした」

 聞こえる音に安堵する。天使の傍にいることをとても安心する。

「あっありがとうございます」

「こちらへ。スイッチを押します」

「はい」

 天使がスイッチを取り出して押した。

 途端木の洞は歪んで消えた。

「処理を確認いたしました。カードを」

「はい」

 ポケットを弄ってカードを取り出し渡す。そこで体が泥だらけなことに改めて気が付いた。足や手に黒い泥がへばりついていた。

「あっ泥がっすみません」

「大丈夫ですよ」

 泥だらけの手を天使が握ってくれた。

 思わず泣きそうになってしまった。安堵したのだ。こんな気持ちになるのなら探索者などしなければいいのに。ぼくを見た他人はそう言うかもしれない。ぼくだってそう思う。

 でも性質がぼくのシーフは進学できても就職は不利だ。

 何を言っているのだろう。性質がシーフのぼくは進学できても就職は不利。

 どんなに優秀でもこのレッテルは拭えない。優秀ですらないしね。探索者として生きるしかない。生きるしかないのだ。この言葉を何度も自分に言い聞かせていた。

「ここは安全です。大丈夫ですよ」

「すみません」

 改めて泥を拭いカードを渡す。

「泥、その、すみません」

「かまいません。かまいませんよ」

 手を握ってくれて、優しい目で見てくれる。嫌悪でも嘲笑でもない。涙ぐんでいるぼくがいる。馬鹿みたい。

「さぁ、制圧を登録しました。このダンジョンは制圧されました。お役目お疲れ様でした」

「ありがとうございます」

 深々と天使にお辞儀してぼくはその場を離れた。少し離れて振り返ると天使さんが微笑みながら手を振ってくれていて、浮かび上がり離れていく。

 そのまま上空へ上がり行ってしまった。天使は空を飛べるから。

 羨ましいと思う。天使を羨ましいと思う人は多い。天使に恋をする人も多い。

 でも天使との恋が実った人は一人もいない。

 懐かしい。最初だけは何度も思い出して、忘れられそうにない。

 これが三年前のぼくだ。

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