第28話
寧々が亡くなって一年が経った。
あたしは寧々の墓の隣に腰かけて、墓石に寄りかかってぼんやりとしていた。寧々が亡くなって一年、あたしはやっと自分が寧々を好きだったと言う事に気が付いた。
涙も何も出てこなかった。ただ虚しさだけがあった。
何やってんだろうなあたし。
獣人国家との戦争の傷跡は未だに尾を引いていた。
停戦に開戦を繰り返し疲弊して疲弊して疲弊して、それでも戦いが終わらない。聖女として皆の前に立たなければ、皆を鼓舞しなければならない。それが聖女としてのあたしの役目だから。
そしてあたしが激戦地域に送られたせいで寧々が死んだ。涙もでなかった。
最前線で負傷者や死者をひたすら癒し続けて前線へ送り返していたあたしが、敵に目を付けられるのは当然で、大軍が押し寄せてくるのは必然だったのかもしれない。
あたしがそこで死ねば終わる話だった。切り捨てられた駒として。
天使を怨んだ。逆恨みだ。天使は堕天使との闘いを繰り返していた。堕天使を殺してしまった天使が自らの羽を毟って自害していく。天使を殺してしまった堕天使が泣きながら自害していく。なんなんだコイツ等はと……。不毛でしかない。
あたしはここで死ぬのだと感じた。あぁなんて虚しい人生なのだろう。
寧々の顔が脳裏に浮かんで目を反らした。
まぁ悪くなかった。まぁ……悪くはなかった。
考えたくないのに寧々の顔が思い浮かぶのが苦々しかった。
死ぬ前にお風呂でさっぱりしたかった。なんて馬鹿なことを考えて塗りつぶした。
あたしはそこで死ぬはずだったんだ。
でも死ななかった。
何が起こったのかあたしにも……。
ただ寧々がいた。寧々がいて獣人が死んでいった。獣人が死んでいく。ただそれだけだった。
あんた何してんのよ。
そう叫ぶあたしに、寧々は口をモニョモニョとさせて消えた。
それから何時間経ったのか、何日経ったのか、一瞬だったのかもしれないし、もしかしたら何週間も経っていたのかもしれない。
気が付いたら、一つの戦歴が終わっていた。
寧々は戦地のど真ん中で、立ったまま亡くなっていた。
沢山の屍に囲まれて、立ったまま死んでいた。
ただそれだけだった。なぜ来たのか。なぜこんな状況になったのか。どうしてこのような戦局になったのか、誰も説明ができなかった。ただ寧々が、戦地のど真ん中で死んでいて、そして十一万を越える獣人の兵士と堕天使七人、開花したエーデルワイス十一体の命が潰えていた。
寧々を再生することができないと言われた。魂が無いと言われた。ロストしていると言われた。何が起こったのかあたしには理解することができず、結果だけを飲み込むしかなかった。
寧々が死んで、あたしが生き残ったという事実だけが残った。
その戦歴により停戦協定が結ばれ、戦争は一旦止まったものの、傷跡だけは尾を引いている。また何時再戦が始まるのかと不安が溢れていた。
あたしは聖女として人々を癒し導くために動いた。
一年経って、あたしは無様にもこうして寧々の墓石に寄りかかっている。
失って一年もして、やっと寧々がもうこの世界にいないという事実を認識するようになっていた。認識すればするほどに、心が欠けていくような錯覚に襲われて虚脱感があった。
もういない。もういないという認識がやってきて、あたしはやっと寧々を好きだったことに気が付いた。
あたしが生きている意味って何なのか。それが理解できなくなっていた。
説明が足りないのよ。あんたは何時もそうなのよ。大事な事はいつも言わないのよ。墓石をいくら叩いても痛くなるのはあたしの手だけだった。モニョモニョじゃないのよ。
墓石に寄り添うことしかできなくて、それだけが支えだった。
それから五年経って、獣人国家と統一機構は全面的な停戦協定を結ぶに至った。ただ面白くないこともあった。
堕天使を殺してしまった寧々を天使達が憎んだ。
そして堕天使を殺せてしまった寧々に獣人国家と人間達は目を付けた。
遺体からDNAを採取し複製体を何体も作ったが、結局寧々がなぜ堕天使を殺せたのか解明することができなかった。
複製体とは言え非道な実験が繰り返され天使の怒りを買った。
また天使は寧々を憎むあまり巨悪として寧々を語り、一体の天使がそれに猛反発して悪魔化した。
天使ファニエル。ラビリンスに囚われ封じられた。
寧々が沢山の命を奪ったのは事実で、獣人国家ではいまだに殺戮者として罵声を受けている。
あたしは象徴として人々の傷を癒し続けることしかできなかった。そんな実験が行われているなんて露知らず、日々の生活に忙殺されていた。
最近ではそろそろ身をかためてはどうかと言われる。
もし伴侶を持つことに抵抗感や拒否感があるのならば、母親同様に精子提供を受けて体外受精を行うのはどうかと言われた。
あたしはここで母親と父親が仮面夫婦だった事実に気が付いた。
あたしって考えたよりも優秀じゃなくて馬鹿だったみたい。
寧々の墓に行く回数が増えた。
寧々がいるわけじゃないのに会えるわけじゃないのに、寄りかかってぼんやりするだけで良かった。
寧々が死んで十年経った。
あたしは、寧々を愛していたことに気が付いた。
ほんと馬鹿よね。死んで十年してやっと愛していた事に気が付くなんてほんと馬鹿よね。貴方が、お前がもうこの世界にいないことに気が付いて初めて泣いた。涙が零れたなんて綺麗な泣き方じゃなかった。
雨の日は嫌いだ。
最近子供連れの女が寧々の墓に来ることがある。
探索者として初めての事を、寧々に色々教わったのだそうだ。
経吉とティティと言うらしい。二人は夫婦で子供が十人いた。五人ずつ産んだのだそうだ。どちらがどちらの子なのか似ているのですぐにわかる。そりゃおかしい話だ。二人の子なのだから二人に似ていて当然なのに。
名家のお嬢様も二人来た。どちらも子供が一人ずついた。
そういえば最近お墓に聖女の姿をした幽霊が出るって話があるけれどそれあたしだ。
みんな子供が出来て年をとったのを実感する。あたしは別にほしかねーけど。
どちらも寧々にお世話になったのだそうだ。意外とお世話しているのね。あたしの知らない寧々がいた。なんか嫌だと感じた。あいつ、あたしの知らないところで女引っかけてたんだ。ふーん。なんかムカツクなー。項垂れた。イラつく。
最後の姿を思い出して項垂れた。モニョモニョじゃねーよ。殺してやりたいよ。あたしが殺してやりたい。
あたしのために死んだのよね。せめて言ってくれていたら確信が持てたのに。
お前を殺してしまった罪悪感よりも私のために死んでくれたことが嬉しかった。
(私のためだよね?)
確信がないのに精神が不安定になる。
平和な世界に貴方だけが、お前だけがいなかった。
しかし戦争はまた起こった。
獣人は人類を垂らし込み天使との不和を起こした。元々天使に管理されていた人類。つけ入るのは容易だったのだろう。暴徒化した人類が人類に従うよう天使に要求した。
天使の過半数以上が人類から離れた。
そして戦争が始まった。
今度は獣人に勝てそうにない。負けそうになると人類は天使を頼った。何とも都合の良い話だ。でも天使は人類を助けなかった――。
私は人類の盾として矢面に立たされた。
人類はおしまいだよ。これから先獣人の奴隷、家畜として生きることになるだろう。自業自得と言えば自業自得だ。
母はあっけなく死んだ。父と離婚していた。知らず、父はいつの間にか再婚していた。それでも娘であることに変わりはなく、でも父の愛情が異様にうっとうしくて会いたくなかった。でも父もあっけなく死んだ。
片手と片足、片目を失って、血に染まりすぎて女神も失った。
聖女は人を殺せない。殺せば女神を失うからだ。そうして私は獣人を殺し、女神の加護を失った。
全部の事が割とどうでも良かったが、寧々が私のために死んだという事実をどうしても確認したかった。
(私のために戦ったのよね? そうよね?)
それだけがどうしても知りたかった。
寧々の遺伝子は売られていた。実の父親と母親によって売られていた。寧々の子供がいた。子供に罪はない。そうはわかっていても、どうしても心の中で蠢く醜いあたしがいた。
寧々が好きだったのはあたしだけだ。
寧々が見ていたのはあたしだけだ。
あの一番は私だ。私のために死んだのよ。
傍にいなかったくせに。随分と都合の良い。馬鹿だよね。
そうしてあたしの住んでいた街は獣人と魔物によって蹂躙され、あたしは死ぬ前にファニエルに会いにいった。
死ぬ前にラビリンスの奥底で、ボロボロになったファニエルに会った。
羽は痛み体はボロボロ。治せるはずの体の傷もそのままに、奥底で鎖につながれていた。振りほどけるだろうに振りほどかず、目は死んでいた。
人類が獣人に負けたことを話すと、ファニエルは天使が人類の体を弄ったことを話した。その全てが無駄だったことを笑った。人を愛したのは間違えだったと言った。
ファニエルの口から寧々の話を聞いた。私の知らない寧々の話がいくつもあった。ムカついた。苛立った。全然ダメじゃん。体を勝手に改造していたようだ。私の知らない寧々の能力を聞いた。悲しくなった。
自分の魂を使って相手の魂を攻撃するなんて馬鹿げている。
自己犠牲を許容できるアホ野郎にしか使えないわけだ。
私の知らない寧々がいることが悲しくなった。
好きって言ってほしくなった。
愛していると言ってほしくなった。
想像の中の寧々は笑顔でそう言ってくれる。
想像の中ではね。
言えよ。そう言えよ。
そうでなければ、私が壊れそうだった。
街によって寧々の死体がバラされ、天使と戦うための人体実験が行われていたことを知った。あたしってほんと馬鹿よね。そんな事も知らずに墓に寄り添っていたのだから、ほんと馬鹿よね。
天使の大半が、天使と戦うために人体実験を繰り返す人類に絶望した。
人は天使と対等になりたかった。でもその方法が天使を殺せるようになることだなんて方法を間違えている。それでもしがみ付いた。戦争(武力)に対して戦争(武力)を掲げなければ人は対等になれないのだ。
天使は堕天使を殺した寧々に憤りは覚えていたけれど、心の底から憎んでいたわけじゃない。自分達が決断し行わなければならなかった事を、他人に決断されたことに苦しんでいた。やりきれない気持ちの方向性を寧々にぶつけていただけだった。
天使はただ、人類を見守り愛したかった。
でも人類は、束縛されるのを嫌い反発した。
まるで反抗期の子供みたいに。
正しく生きてと言うその言葉を振り切って捨てた。仕方がない。生まれや境遇など、自分には決められないのだから。全ての人は幸せにはなれない。
寧々がそうだったように。
どう考えても獣人達が悪い。だけれど、人は天使を疎かにしたツケを支払わなければならないようだ。
あたしは死んだはずだった。最後に寧々の気持ちだけをどうしても確認したかったけれど、結局本人がいないのなら確認のしようもない。
あの子はもう……存在自体が無いのだから。
ラビリンスの奥底であたしは眠りについた――はずだった。
気が付くと獣人の少女になっていた。
再生されるレコードが頭の中で鳴る。
自分を獣人の少女だと認識しそうになり、そうではないとレコードが教えてくれた。再生されたレコードより地点Aまでの未来を認識した。
ファニエルが私を過去へと追いやった。しかし座標がだいぶズレたらしい。やるならちゃんとやってよ。もしかしたら、もしかしたら、もしかしたら、もう一度会えるかもしれない。
ファニエルはレコードに、あたしがやらなければならない事を記載していた。そして魂に刻まれたレコードは脳に転写され、あたしの体は自動で動きはじめた。それに抗うことはできるけれど、これに抗った時点であたしは消える。そしてあたしが過去にいるということは、あたしは抗わなかったという事だ。ムカツク天使だ。
長かったわ。長かった。でも獣人の体はいいもので元の体より具合が良かった。
獣人を殺さなければならなかった。でも別に躊躇いも躊躇もなかった。何も感じなかった。
すべてが済んで、やっと僅かな自由を得た。懐かしい街並み。でもあたしにとっては今の街並み。過去でありながら今であり、未来でもある街並み。
この道、あいつの住んでいる家の側。
貴方を見た時――なんか、もっとなんか、色々言おうと考えていたのに、なんか、なんかもっと、なんか、喋れると考えていたのに、全然喋れなかった。
警戒されているのにショックを受けた。いや、まぁ、あたし、今、イミナじゃないし。なんかすげーショックだった。添い寝屋とかわけわかんない事言った。あたしはイミナだけどイミナじゃない。断ってほしいけど断ってほしくなかった。なにやってんだあたし。
即興の割に値段とか、適当につけられた。
トマト食べて(い)た。笑っちゃった。トマト食べて(い)た。
想像の中のまんま。
寝ている姿を見ていた。寝顔を眺めていた。
なんか、なんか異様に、なんか、全部どうでも良くなった。
(ねぇ? 何考えているの? あたしの事、少しは考えて(い)る?)
寝顔を撫で、でも今の私とあたしが別物のような気がして喉が渇いた。
こんなところに引っ越して(い)たんだ。全然知らなかった。この頃のあたしって何を考えていたのか全然思い出せん。
うわっ。出た。妹。ムギだ。
小さい頃はこんな感じなのね。
あたしが初めて出会った時はもう結構成長していた。
犬使いのムギ。人類でもっとも深い場所まで潜った探索者。その記録は213階層。過去のイメージと違う。彼女のおかげでネクロマンサーのイメージはだいぶ払拭されたが、そもそも原因がコイツっていう。
人類を裏切り人類をもっとも殺した女――あの後どうなったのかしらね。
あたしが変わって行く感覚がする。あたしが私になっていく感覚がする。面白くないものだ。まったく面白くもないけれど躊躇いもなかった。
地点Aの未来からやってきたあたしが存在する以上、未来は地点Aへと向かって収束する。過去を変えるのはそんなに簡単なことじゃない。
あたしの過去はあたしの過去として定着しており、あたしにあたしの過去を変えることは決してできない。それはあたしが存在する時点で確定してしまう。あたしの存在が矛盾してしまうからだ。
未来ではあるけれど、あたしにとっては過去だ。
だからあたしはあたしを消す必要がある。
そこで地点Bにて私を過去へ飛ばす。あたしがやってきたことを地点Bの私に肩代わり上書きさせる。すでに地点Bの過去は定着しており、地点Bへ進むことは確定している。それを歴史として定着させる。
朧げだった地点Bが確定するにしたがって、地点Aの未来を持つあたしは消える。あたしの存在していた地点Aと一緒に。
パッケージのようなものだ。ここまでを一つのパッケージとして飛ばすことで、過去の改ざんを計った。ファニエルにとっても賭けだったのだろう。
でもあたしが過去にいけた時点で、それは約束された歴史だ。
地点Aとして存在していたあたしの存在は、地点Aという未来ごとなくなる。
本来地点Aの未来から来たあたしには殺せるはずのない暗部の人間を地点Bの私として殺し、本来地点Aの未来から来た私には殺せるはずのない王族を地点Bの私として殺した。獣人にとっては迷惑な話だけれど、それはあたしの知ったこっちゃない。獣人から見ればかなりの理不尽かもしれない。
地点Bから先のことは私に任せる。上手にやって。
原初より存在しているレコードは消えないはずだ。これよりうまく動いてくれることを祈る。
ファニエルはなぜレコードをもっていながら、地点Aに至る未来を最初から変えられなかったのか、それだけは不明だ。しかしこれが全て歴史としてレコードに刻まれている予定調和だったのかもしれない。
人類を愛したのは間違えだったというファニエルの台詞が偽物とは見えなかった。
まったくムカツク天使だ。天使なんか嫌いになりそう。
あたしがあたしでなくなる。ひどく複雑(痛かったり、寂しかったり、虚しかったり、ため息がでたり)な気持ちにはなるけれど、貴方がいるからそれもどうでもいい。
最後に聞かせてほしい。
最後の最後に聞かせてほしい。
それだけは、それだけは許してほしい。
貴方はあたしを認識しないだろうから。
人魚姫って物語があたしは嫌いだ。
でも人魚姫ってたぶん、きっと、こんな気持ちだったのでしょうね。
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