第8話 蛮族伯の期待



 考えていたディルクはふとある可能性に思い至る。 


「そもそも結婚が嫌で逃げ出した可能性もあるのか」


 あの発言が表向きで、結婚だけ済ませたあと、好きな土地に行くという手もある。

 カルブンクスはそもそもディルクが管理することになっていたのだから、彼女に責任はない。

 結婚は王命だ。しかしよほどでなければ自由な振る舞いを許されているのが聖女なのだ。

 過去には複数の女性を囲った聖人などもいるという。

 そうすると、あの性急な結婚式の要求も納得できた。

 その時セリューが少し考えるそぶりを見せる。


「ただ、どこの門からも聖女様が出たという報告が上がってきていないのです」


 ディルクも胸に引っかかりはしたが、どちらにせよ指示は変わらない。


「とはいえ、せめて安全な早朝に出て行ったのだと思いたい。彼女が無事にロストークを退去できたかだけ捜索と調査を頼む」

「旦那様はそれでよろしいのですか」


 案じるセリューに確認されたディルクは、少しだけ考える。

 多くの令嬢に逃げられているディルクは、この王命の結婚には期待していた。

 王命は半ば強制だ。逃げることはできない。

 これがディルクが結婚できる最後の機会かもしれないのである。

 だがとディルクは目を伏せた。


「まあ分家連中がうるさいだろうが……嫌がる娘に無理強いはしたくない」

「かしこまりました。――正直、魔法を極めた聖女様を良く思わない者は城にもおります。聖女様がさらに嫌な思いをされる前に去っていただけるのならそれはそれで良いでしょう」


 セリューのあけすけな物言いに、ディルクは少しだけ暗い気持ちになる。

 そう、この地で魔法はタブーだ。改めて胸に刻む。


「では手配してまいります」

「いや、俺も行こう。聖女殿を無事に送らねばならない」


 かしこまるセリューを横目にディルクも立ち上がる。

 彼らが部屋を出ようとしたとき、性急なノックが響いた。

 許可を出すと扉が開かれ、従僕のマルクが現れた。

 まだ十代の若い従僕はそばかすが散った顔を、尋常ではないほどの動揺に染めている。


「マルク、なにがあった」


 ディルクが目を眇めると、マルクはひっと青ざめた。

 彼はまだディルクの顔に慣れていないからだ。


「マルク、早く報告しなさい」


 直属の上司であるセリューに厳しく催促されて、マルクはようやく答えた。


「そ、その! 聖女様が通用門より戻ってまいりました! で、ですが……ドラゴンの首級を持たれているのです!」


 首級という単語も、普通の城では使わないらしいと知ったのは三番目の狩りに誘った令嬢のときだったか。

 ディルクの脳裏をまったく関係ないことが過ぎる中、勝手に声帯が震えた。


「……は?」


 横にいるセリューも声こそ出せないが、聞いたことが理解できないように目を見開いている。

 常に冷静沈着な彼の珍しい反応だった。

 マルクも自分が話す言葉を怪しむようにせわしなく眼球を動かしている。


「嘘ではありません! 聖女様が! おそらくワイバーン種のドラゴンの首級を持って! 通用門から戻ってきたのです!!!」






 ディルク達が足早に通用門へと向かうと、すでに人だかりになっていた。

 城で働く使用人たちは、ディルクの姿に気がつくと、すぐに両脇に避けて道を空ける。

 

 そこには確かに聖女ルベルがいた。


 くたびれた旅装は今や全身に土と血の汚れがこびりつき、惨憺たる有様になっている。

 客室から唯一なくなっていた杖をついており、先端に付いた大ぶりの精晶石はいまだに発光していた。

 その赤い髪は朝日に照らされてつやつやと輝いている。

 だが、その傍らには、彼女ほどはあるだろうワイバーンの首が空中に浮いていたのだ。

 華奢な少女の隣にあるワイバーンの首という異様な光景にさすがのディルクも我が目を疑った。

 使用人達に遠巻きにされても飄々と立ち尽くしていたルベルは、ディルクに気付くとぺこりと頭をさげた。


「あ、領主様おはようございます。いきなりで申し訳ないんですけど、この首、ここに置いても大丈夫ですか」

「……ああ。この広場は獲物を整理する場としても使っているから問題ない」


 反射的にディルクが答えると、ルベルはほっとした顔になる。


「よかった、誰も答えてくれなかったので助かります」


 精晶石の光が消えると、ドスンッと大きな音をさせてワイバーンの首が床に落とされた。

 おそらく使用人達は逃げていると思っていた聖女が、ワイバーンの首を持ち帰ったことでパニックに陥ったのだろう。

 魔法を使っていたのかと理解する前に、ディルクは額の汗をぬぐうルベルに問いかけていた。


「そのワイバーンは君が倒したのか?」


 ルベルの金の瞳が陰りをおびた気がした。が、一瞬で彼女はあっさりと頷いた。


「縄張り争いがうるさくて眠れなかったので、ボコってきました。一頭は逃げましたけど、もう襲って来ないと思います。でもさすがに竜一頭は持ってこれなかったので首だけなんですけど……」


 周囲が驚きにどよめいた。ある者は自分の耳が信じられず、ある者は自分の目を疑うように目をこすっている。

 それも当然だ。ワイバーンとはいえ空を飛ぶドラゴンはロストークの兵士でも手を焼く筆頭である。必ず精鋭部隊を組み、こちらに優位な状況下に持ち込んでようやく倒せるか。という魔獣なのだ。

 ディルクもそろそろ討伐を考えなければならないと頭を悩ませていた事案である。

 それをルベルはたった一人で二頭を相手取り制圧してみせたのだ。


 異様な空気に戸惑ったのか、当の彼女はちょっと困ったようにワイバーンの首を指し示してみせる。


「これ、持参金代わりになります?」


 誰もが反応できない中、ディルクは思わず笑ってしまった。

 こんなに助かることはなかった。


「充分過ぎる、ありがとう。場所を教えてもらえたら回収班を向かわせよう」


 ワイバーンをはじめとした竜種は捨てる部位がないといわれるほど貴重な素材の宝庫だ。

 皮、鱗、内蔵、肉、角、爪、被膜、すべてに用途がある。

 頭部を持ってきたのはおそらく最も利用価値が高い角や牙があるからだろう。

 この少女は、魔獣の価値を知っている。


「よかった」

「君に怪我はないか」


 ほっと微笑むルベルにディルクが案じると、彼女は不思議そうに金の目を瞬いた。

 朝日がさしこむせいか不思議と透き通った色彩に見えた。


「な、ないですけど。お騒がせしたのならすみません」


 ちょんと、頭を下げる彼女は、あどけなく。気負った様子も見えなかった。

 彼女は逃げたわけではなかった。ただ単に、安眠を妨害されたから、その大元を断ちに行っただけだったのだ。

 ディルクは口角が上がるのを止められなかった。いくら悪巧みをしているようにしか見えないと言われようと、この胸の昂揚を抑えきれなかった。


「いいや、とんでもない。お陰で久々にぐっすりと眠れた」


 ぱちぱちと瞬くルベルが、ほんのりと嬉しそうにする様子に、ディルクを怖がっている気配はない。

 ほんの少し、ほんの少しだけ、ディルクの胸に期待が宿る。


 この嫁、もしかしたら大丈夫かもしれない。と。




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