第16話 蛮族伯の作戦


 聖女ルベルを迎えて一週間。

 ディルクはセリューから早馬で届けられた書簡を受け取っていた。

 豪奢な封筒と便せんに入ったそれは、王宮へ送った聖女ルベルの輿入れに対する待遇への抗議の返答だった。


 ディルクは仰々しい手紙を読んでいる内に、顔が険しくなっていくのが自分でもよくわかった。

 今の自分は、きっとドラゴンすら赤子を手で捻るように殺す悪鬼顔だと称されるだろう。ディルクの顔に慣れているはずのセリューですら全身から発せられる殺気に少々ひるんでいる。


 しかしそうなるしかないほど、酷い内容だったのだ。 


「王宮は今回の単独での輿入れは聖女ルベルが独断で行ったことだと言っている。元平民ゆえに、宮廷の作法を守らずこちらの指示にも従わない短絡的な人間のため申し訳なく思うが、こちらにはなんら非はなく、輿入れの品は後日送る……。だそうだ」

「それが言い訳として通ると思っておられるとは、よほど頭がお花畑でおられるようだ」

「久々にお前の辛辣な評を聞いたな」


 暗く笑うとディルクはすでに開封してあるもう一つの手紙を見る。

 簡素だが、だからこそ上質な紙質が際立つ封筒の封蝋は、リュミエスト王太子であるカーティスの紋章だ。

 それはディルクがカーティスに送った現状報告と事情確認の手紙と入れ違いに届いた手紙だった。

 中にはルベルがなぜ単独で輿入れをすることになったのかという事情が赤裸々に記載されていた。 

 それは同時に、「陽輪の聖女ルベル」が、王宮でどのように扱われていたかを知らせるものだった。


「ルベル殿は膨大な魔力と立場を持っているが、平民出身ゆえに貴族の後ろ盾がなかった。貴族達には嫌われており、にもかかわらず尊ばれる聖女という立場のために、貴族出身の役人や王宮の使用人からは倦厭されていたようだ」

「サリアからも報告が上がっております。『ルベル様は王宮で嫌がらせを受けており、使用人を連れて過ごす習慣がないようです』と。憤慨しておりましたね」


 セリューの報告に、ルベルは侍女と上手くやっていることが伺えて、ディルクはかすかに安堵する。だが、すぐに鼻の頭に皺が寄る。


「使用人が信用できない環境だった、ということだな。王家も把握はしていたようだが、ルベル殿が王宮内にいる時間が短いから放置していたようだ。そのせいで、彼女に割かれている予算の横領が常態化していたらしい」


 ルベルに付いていた典礼官も横領の常習犯だったが、後ろで煽っていたのは第二王子エミリアンだ。

 結局エミリアンが使い込まれたルベルの輿入れ費用を補填することになっているらしいから、いったいなにがしたいんだと思わなくはないが。


 聖女、聖人は国全体で大切にすべき存在だ。様々な利権が絡む金のガチョウだからこそ、王家は彼らを保護している。

 ルベルが第二王子と内々に婚約していたのも、保護の一環だっただろうに、その役目すら全うしなかった王子だ。

 王太子であるカーティスは、この一連の事件を利用して、第二王子を完全に失脚させるつもりのようだ。

 ディルクの役割はルベルの保護のみで、あとはロストークとして対応すれば良い、と王太子殿下には言われている。

 しかし、あの抜け目ないカーティスのことを考えると、ディルクの対応ですら謀略の一部としてそうだ、と苦い気持ちになった。

 

 ルベルは決して弱くはないと、ディルクはこの一週間彼女と話し、ロストークで過ごす姿を見てよく知っていた。

 肉体的な強さだけではない。魔獣の解体を手伝い、使用人とも分け隔てなく接し、自分に敵対する人間にもひるまない。

 ありのままで受け止め、己自身ですっくと立っている。

 だからはじめこそ敵愾心を持っていたサリアや騎士団のリッダーも、彼女を認めるしかなかった。

 独立独歩、権力を持とうと持たずとも、己の足で歩むことを尊ぶロストークの民の理想をルベルは体現しているのだから。


 だが相手が強ければ何をしてもよい、という事にはならない。

 ディルクもまた、彼女のもつ能力を利用するために、この婚姻を受け入れた身だ。

 それでも――……


「せめて、この地では安らかにいて欲しいものだな」


 ルベルがロストークの民族衣装を楽しみ、嬉しげにこの地の料理を食べる姿を思い浮かべるとどうしても期待してしまう。

 セリューも似たようなことを考えたのだろう。重々しく頷いた。


「あのかたは、今までで一番ロストークをなじんでくださっておりますかね。できるならば旦那様にはぜひ逃がさないようにしていただけると、使用人一同期待しております」


 ディルクもまさにその通りだと考えている。

 ルベルは王都の女性はもちろん、ロストークの女とも違う。

 だから彼女にこの地が良いと、ディルクが良いと願って貰うために、彼女を知らねばならない。彼女がどうしてこの不平等な結婚を受け入れているのかも気になる。

 ならば、今考えるべきことは一つだ。

 ディルクは両手を組んで真剣に悩んだ。


「彼女と距離を縮めるにはなにが良いだろうか」


 セリューの表情に哀れみに似た色が浮かぶ。

 我ながら情けないとは思うのだが、ディルクは今まで女性を口説いたことがなかった。

 当主を継ぐとは思っていなかった頃は、女性とのつきあいもそれなりにはあった。

 しかしながらディルクは一般的な女性は遠巻きにされる。

 近づいてくる勇気がある女性は皆、ディルクのことを世慣れた男だと期待して熱を上げて積極的に迫ってくる。

 しかし予想と違うと気付くと離れていくのも早かった。

 ゆえに一般的な女性とのつきあい方というものを知らないのだ。


「ロストークの女性でしたら、ひとまず暮らして相性を確かめてみると良いのでは、と提案しますが」

「やめてくれ外の世界では不品行と言われる行いだ」


 生粋のロストーク人であるセリューが言いたいことを察して、ディルクは即座に却下した。

 ロストークでは、未婚でも相手との相性を確かめるために積極的に交際をする。

 なんなら、婚前交渉も珍しくはない。

 ロストークの地は魔獣が多く跋扈し、一昔前までは農業よりも狩猟業のほうが盛んだった。

 明日には魔獣に殺されるかもしれない。そのような中では誰の子であろうと育てるという価値観が根付いたのだ。


 ただディルクは一時期ロストーク領外で生活していたことがある。だからロストークがリュミエストの一般的な価値観とどれほど違うかを重々承知していた。


「彼女と会話をするために食事をしているが、ロストーク料理や肉を主に好んでいることくらいしかわからない。服などの贈り物は、あまり嬉しそうにはしていなかったから違うのだろう」

「そうですな。我が妻もとんちんかんな贈り物にはふてくされて悪くすると娘の家へ出て行ってしまいますから」

「セリュー、お前もなかなか苦労しているな」


 恐妻家はロストークでは珍しくないとはいえ、ディルクは哀愁が漂うセリューの日ごろの苦労を感じた。

 大の男二人が、神妙な顔で女性の口説き方を話し合っているのは、はたから見ていればかなり奇妙な光景だったが、本人達は気付いていなかった。


「ひとまず、旦那様がルベル様となされたいことはなんでしょうか」

「そろそろ冬ごもりをする魔獣が山から降りてくるから狩りの同行か、それがだめでも討伐訓練に参加してみないかと誘いたくはあるが」

「私めでもわかります。サリアに話せばきっぱりと『論外』と切られますよ」


 セリューのいうとおりだとディルクでも理解できたので、口をつぐむ。

 本当はもう一つ、彼女を誘ってみたい事柄はある。

 ディルクが当主になってから、一生を掛けてでも取り組んでいきたい野望だ。

 しかし、方針もどこから手を付けるべきかも決まっていない。時期尚早だとひとまず保留にした。


 やがて行き詰まったディルクは、白旗を上げた。

 

「素直に本人へ聞いてみよう。彼女は普通の女性ではないからな、服のように気を遣わせてしまうかもしれん」

「それがよろしいでしょうな」


 セリューの同意を得て、ディルクは少し気が緩んだ。時計を見てみるとそろそろ昼食の時間だ。


「では昼食に行こう」


 いそいそと立ち上がるディルクに従うセリューは、別室で控えていたマルクを先触れにだす。

 まだ慣れていないマルクは、上機嫌なディルクがまるで残虐な企みをしているように感じられただろう。少々引け腰で去って行った。


 しかしながら、幼少の頃から仕えていたセリューは、ディルクがここまで他人に対し主体的に悩む姿を初めて見た。

 上の空というほどではないのは、おそらく彼のきまじめな自制心のたまものであろう。

 だが今までロストーク内を平定することにだけ注力していたディルクが、この一週間常に彼女のことを話題に出す。


 彼の中に淡い想いがはぐくまれはじめているのだろう。

 ロストークの現状や前当主の悲劇は、ディルクに深い影を落としている。繰り返して欲しくはない。だができるのならば、彼らに優しい結末を。

 あの赤髪の聖女は、ディルクだけでなく、ロストークに新しい大嵐を吹き込んでくれる。

 セリューは、まだまだ楽しみなことがあると未来に期待したのだった。




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