第25話 思わぬ忠告



 私達が森を出て村にキマイラを引き渡す頃には、雨は本降りになった。

 ざあざあと降る雨で、宴は中止してくれた。ほっとした。

 そんなわけで、私とディルクさんは早々に屋敷へ引き上げてきたのだった。


 まだ秋に入りたてだけれど、日が落ちて雨が降ればかなり冷える。

 私は居間の暖炉に火をつけると、濡れた上着を衝立に引っかけた。


「うーん、風を送ったら早く乾かないかな……」


 さすがに寒い。いっそのこと服を全部脱いだほうがいいかなあ?

 と悩んでいると、いったん部屋を離れていたディルクさんが戻ってきた。


「俺の服で悪いが着替えると良い。隣の部屋が比較的ましだ」

「あ、ありがとうございます」


 見るとディルクさんはもう着替えている。

 ディルクさんの服は縦も横も大きかった。腹に適当なベルトを巻くと、ワンピースくらいになる。

 いそいそと着替え終えて戻ると、衝立にマントを引っかけていたディルクさんは驚いたように目を見開く。


「むむむ、不格好なのは許してくださいよ。ディルクさんの服は大きいですし」

「う、いや……うん。なんでもない。……自分の服を着てもらうだけで、どうして兵士達が盛り上がれるのかようやくわかった……」


 後半はよく聞こえなかったけれど、ディルクさんの機嫌は悪くないようでほっとした。

 それで少しだけ落ち着いた私は当初の困惑が戻ってくる。

 ……えっとね。うん。

 ディルクさんがなんで死魔の森にまで来たのか、全然わからないのだよね。

 顔を合わせてすぐ雨脚が強まってきたし、村長さんへの説明とかも全部対応してくれたのだ。

 結局、理由を聞けすじまいだったのだ。

 今の彼は眉間に厳しくしわを寄せていて、普段の三割増しくらいで迫力のある顔面になっているし。

 村長さんも村人もめちゃくちゃびびっていたくらいだもの。


「ルベル殿、こちらに来てくれないか」


 なにかあったかなあ? と内心首をかしげていると、ディルクさんに改まった様子で呼ばれた。

 勧められるまま、暖炉の前にある椅子に向かい合って座る、彼は今まで見たことない厳しい顔をして切り出した。


「君はなぜなにも言わずにネージュ城を去ったんだ」

「えっ?」


 まったく心当たりがなくて、私はぽかんとした。

 ディルクさんは厳しく眉を寄せながら、両手を固く握り合わせている。


「ロストークを去りたかったのであれば、もっと平和な場所へ逃げてくれれば良かったんだ。城の者には引き留めないよう言明していたのだから。忽然と居なくなられるのは堪える……」

「ディルクさん! なんの話です!?」


 私が大きな声で割り込むと、ディルクさんはようやく私を見てくれた。

 紫の瞳がなんだと見返してくるのに、私はここぞとばかりに続ける。


「私は兵舎で死魔の森からキマイラが出て周辺の村が困っているって聞いたんです。じゃあ私がもらえるお屋敷と死魔の森を見学しがてら、日帰りでキマイラ狩りをしようと思ってきたんですよ。雨でちょっと帰れなくなりましたけど……」

「日帰りで?」

「はい日帰りで」


 私が肯定すると、ディルクさんは深く息を吐いた。

 組んだ両手に額を預ける彼に、なんだかすごく大きな誤解がある気がして問いかけた。


「あの、どうしてディルクさんはここに来たんです……?」

「君が『出奔した』と遠征先に伝令鳥が来たのだ。聞き取った話からカルブンクスに行った可能性が高いと考えて、俺だけ先に馬を走らせてきた。そうしたら村で君が死魔の森に入ったと聞いて……無事でなによりだった」


 深く安堵がこもっていて、私は面食らう。


「サリアさんに、出かけてくるって言いました、けど」

「せめて、行き先くらいは告げて行ってくれ。城がひっくり返りそうなほどの騒ぎになっていたんだぞ」


 ディルクさんの真剣なトーンに、私はどうしようと思ってしまう。

 気持ちがふわふわするのと、なんだかきゅうと固まる部分があった。

 拳から顔を上げた彼は、厳しい声音で忠告する言いつのる。


「死魔の森は、不案内な者が入れば道に迷い魔獣の餌食になる恐ろしい場所だ。しかも精霊達が過剰なせいで、夏の今でも場所によっては天候や気温がおかしくなっている。いくら君が魔獣を圧倒できようと、知識がなければ凍死や熱中症で死ぬこともあり得るのだ」


 こんこんと言い諭されるのは、いわゆるお説教なのだろうか。

 頭から怒鳴られることは軍では珍しくなかったけど、こんな風に理論立てて言われることはあまりなかった。

 そう、副官に時々苦言を言われたときみたいだ。

 あれと同じなら、つまり……


「もしかして、心配されてます? 私」


 思わず割り込んで聞いてみると、ディルクさんは眉を上げた。


「当たり前だ、君になにかあったのではないかと心配した」


 心配、そんな風に言われたのは、はじめてだ。

 お腹の奥底が熱くなった気がして、そわそわしてしまう。


「あの、お城のほうは……」

「サリアは君を引き留められなかったと自責の念に駆られているし、直前に食事を共にしていた兵士達は、君に失礼を働いたのではと悔いている。城の者も君がいなくなって消沈している」

「そんなに!?」


 驚いて大きな声を上げてしまうと、ディルクは紫の目でひたりと私を見る。


「それくらい、君を案じていたんだ」


 彼の言葉に、私は力が抜けて椅子の背もたれに体を預けた。

 そっか、私悪いことをしちゃったのか。

 しょんぼりとしてきて、謝罪の言葉が喉元までせり上がってくる。

 けれど、なんだか素直に口にできなくて、私はディルクさんの紫の瞳から目をそらした。


「でも……ディルクさんも言わなかったですよね」


 自分でもびっくりするくらい拗ねた口調だった。

 膝を抱えていると、視界の端でディルクさんの険しかった顔が困惑になるのが見えた。


「どういうことだ?」


 声が柔らかい。なんだかますます決まり悪かったけど、ぽつぽつと自分の気持ちを言葉にしてみる。


「だって、魔獣の討伐の手が足りなかったんですよね。いつもよりたくさん魔獣が人里に下りてくるから、ディルクさんも飛び回ってるって。なら私、役に立ちますよ。サンダーディアだってへっちゃらですし、さっきみたいにキマイラくらいなら一人で倒せますもん」


 私は聖女だ。単独で魔獣を討伐するのには慣れている。

 一人だから小回りが利くし、早いもの。ネージュ城で食っちゃ寝して兵士達と訓練しているだけだったし。

 だから、そうだ。


「私だって、ネージュ城にお世話になっているんだから、頼ってくれてよかったのに」


 ようやく紫の目を見返しながら言うと、ディルクさんが瞬いていた。

 なぜだか驚いて動揺しているみたいだ。


「その……君はもしかして、拗ねているのか」


 拗ねる、という単語に私も面食らって、思わず手のひらを拳で叩いた。


「なるほど……そうかもしれません。私拗ねてたんですね」


 自分の中にあるもやもやの正体がわかってすっきりした。

 ディルクさんが少しあきれた顔になる、納得が過ぎると私は気恥ずかしくなってきた。

 立ち上がったディルクさんは私のそばに膝をついた。

 彼の雰囲気も少し和らいだ気がした。


「すまなかった。君がそこまでロストークに親身になってくれるとは思っていなかった。けして君の実力を疑ったわけではない」


 あ、先に謝られてしまった。でもディルクさんの誠実な答えに、またもやもやが晴れていく。

 そうしたら、自然とその言葉が口についた。


「私こそごめんなさい。そんなに心配されるとは思っていなかったんです」

「いや、反省してくれたらそれでいい。次からは、行き先くらいは教えてくれ。ほんとうに肝が潰れるかと思ったんだ」


 表情を少し和らげたディルクさんがそう言ってくれる。

 怒っている訳ではないようだ。ほっとし私はへにゃりと笑った。

 ディルクさんは少し目を見開いたが、振り払うように立ち上がった。


「さて、今日はここに泊まるしかないから、腹ごしらえをしようか」


 とたん、ぐうっと私のお腹が鳴った。

 おおうふ、そういえばお昼ご飯を食べるの忘れていた。


「君の腹は正直だな」


 ちょっと恥ずかしかったけれど、でもディルクさんはおかしげに笑ってくれたので、まあいっかとなった。

 

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