第7話 蛮族伯の憂鬱




 朝から執務にいそしんでいたテオドリック・ド・ロストーク――ディルクは、家令のセリューの報告を受けていた。

 

「客室に聖女殿がいない?」

「はい、担当のメイドが部屋を訪問したところ、姿がないと。ただいま手の空いている者で城内を捜索しておりますが……」


 セリューは父である先代当主時代から仕えている有能な人物だ。ロストークの事情に精通しておりディルクも幼少の頃から知っているためディルクは頼りにしていた。

 だからこそ、セリューが淀んだ理由が理解できた。


「荷物は残っているか?」

「荷物はそのままではございますが、杖はないそうです。着の身着のままで出て行かれた例もございますから、なんとも……」


 またかという落胆と諦観が押し寄せてきて、ディルク深々と息を吐いた。


「やはり大丈夫そうに見えても無理だったか……やはり狩り帰りはまずかったな」

「申し訳ございません。私の不手際で聖女様をご案内するのが遅れてしまい……」


 セリューが謝罪するのにディルクは首を横に振ってみせる。


「いずれ遭遇しただろう。それが遅いか早いかだけでもあった。そもそもがロストークに順応してくれる令嬢がいなかったんだ」

「だから順応できそうな武に優れた頑丈で逞しい女性がいないかと王太子殿下に相談した結果、紹介してくださったのが陽輪の聖女様だったのでしょう?」


 理由はそれだけではなかったが、ディルクは頷いた。

 ロストークは王都から離れた僻地のため閉鎖的で、建国以前から独自の文化を維持している。

 ゆえに歴代の当主は、隣接する領地の令嬢や分家の娘を妻にしてきた。

 しかしあまり同派閥との婚姻を続けていては王家への反意を疑われてしまう。


 そのために先代当主から、外部の貴族令嬢を妻として迎え入れる方針に変わった。

 ディルクもその方針に従い、嫁探しをはじめたのだが……。


「ああ……。普通のご令嬢があれほどか弱いものだと思わなかったんだ。挨拶をしただけなのに泣かれたときは困った……」

「旦那様のお顔はロストークらしく整っておりますが、かなり強面でいらっしゃいますから。気の弱いお方ですと怯えてしまわれるでしょうね」

「素直に悪人面と称してくれていいんだぞ」

 

 少々恨みがましく睨むと、セリューで涼しい顔で「失礼しました」と謝罪する。


「旦那様のような『ちょっと野性味のある男らしい美貌が好き』というご令嬢もいらっしゃいますから」

「まあそのようなご令嬢もロストークに来たとたん逃げてしまったがな」


 ディルクは乾いた笑いを漏らすしかない。

 ロストークでは当たり前のことでも、王都の令嬢にとってはカルチャーショックの連続だったらしい。

 王都の流行はほとんど入ってこないし、年中魔獣が跋扈し、夏はほんの短い期間で大半は厳しい冬を過ごすことになる。

 民も家臣も独立心が強く、実力主義であり、質実剛健を尊ぶ。

 弱いものはあっという間に淘汰されてしまうからだ。


 普通の民でも生きるのに精一杯な土地だ。

 洗練された文化芸術や社交界での生き方などを教えられた貴族令嬢では過酷であることに気付いた時には、遅かった。


 一人は馬車を襲った魔獣をディルクが撃退したら卒倒した。

 事業について知って貰おうと精晶石や魔獣の取引現場に案内したら「卑しい」と吐き捨てられた。

 さる令嬢はロストークの城にまでたどり着いたが、ディルクが農作業を手伝いはじめたら引きつった顔で辞去を申し出られた。

 他にも、歓迎のために出した料理の素材を聞いたとたん罵って去って行った令嬢もいる。

 結果最長で三日で逃げ出してしまうのだった。


「ともあれ『狩猟に行きませんか』は普通の女性の誘い方としても落第点かと」


 セリューの冷静な分析にディルクはぐうの音も出ない。

 自分の女性への接し方を知らなかったのはまずかったと思う。

 がそうした理由はなくはないのだ。


「なるべくロストークの地を知って貰いたかっただけなのだ」


 ディルクはロストークの地を愛している。

 これから二人で守っていく土地を気にいってくれたのなら、うまくいくと思ったのだ。

 だが、まずロストークらしい部分をみせるのは、普通の女性には刺激が強すぎるのだとわかったのは全員が逃げ帰ったあと。

 お陰で当主を継いで四年、二十四歳になるのに未婚なのだった。


「だからルベル殿には期待していたのだ……。あの司令官としては害にしかならない第二王子を戦時中は守り、終わった後に落とし前を付けさせる気っ風は実に見事だろう?」


 澄んだ瞳でディルクが言うと、セリューも同意する。

 

「ええ、勝利のためには戦い、しかし理不尽には己の身も顧みず報いを受けさせる。ロストークにも通じる高潔さです」


 王宮からの使者はルベルが第二王子を殴ったことを聞こえよがしに話していった。

 それでも、ディルクは先の戦の詳細を知っていたから、第二王子の所業も理解していた。

 だからロストークの女のような、たくましい女性が来るに違いないと希望を持っていたのだ。

 そこで、はじめて対面したルベルの姿を思い出したディルクは頭を抱えた。


「まさかあんな可憐で若いお嬢さんが来るとは思わないだろう……!」

「あなた様もまだ若いですよ」


 そういうことではないとわかっているだろうに言うセリューを、ディルクは睨んでおく。

 陽輪の聖女ルベルは、赤い髪を低い位置で纏めた細い少女だった。

 十八歳だと聞いていたが、もっと下に見えるほど幼さを感じさせる。

 長い旅でくたびれた旅装姿で、持っている杖が大きく感じられるほど。

 目鼻顔立ちは小作りで、どこもかしこも細い。

 ただ同年代の少女のような溌剌さは感じられず、どこか超然とした雰囲気を纏っているのが印象的だった。


 金色に見えるほど薄い茶の瞳で真っ直ぐ見上げられたのには少しだけ気圧されたが、ディルクが守るべき側の少女にしか思えなかった。


「ですが、旦那様が獲物を担いだ姿を見ても悲鳴を上げて気絶はされませんでした」

「あれは驚きすぎて素直な反応ができなかったのだろう?」


 何人目かの令嬢がそうだった。終始笑顔だったから大丈夫かと安心していたら置き手紙一つで失踪した。

 慌てて行方を確かめたら、夜逃げのような速度でロストーク領から出て行ったことがわかり安心して良いのかわからなったが。

 ルベルは見るからに華奢な少女だった。昨夜も短い時間ではあったがワイバーンの咆哮が響いていた。

 一晩中怯えて過ごし、早朝に逃げ出したとも考えられる。とても申し訳ない。

 言葉を詰まらせたセリューは、やがて悄然と目を伏せた。


「せっかくいらしてくださった花嫁様をみすみす逃がしてしまうのは残念ですね…」


「みすみす逃がす」という表現が全くもって正しいのが笑えない。 

 責任を感じているセリューにディルクは苦笑で応えた。

 

「あまり気に止むな。まさか救国の聖女がこんなに早く、しかも徒歩で来るとは思わないだろう。本物かどうか警戒するのは当然だ」


 そもそも、曲がりなりにも国の英雄とも言える聖女を、王家が一人で送り出すとは考えていなかったのだ。 

 この婚約は表向きは聖女に対する戦への貢献に報いるための結婚である。

 だが実質はロストークと王家の取引が成立した末の政略的なものだった。


 ロストークは長年王家へカルブンクスの調査研究の許可を求めていた。現在でもカルブンクスはロストークが管理をしていたが、名目上は王家直轄となっていたのだ。

 そのため、なかなか本格的な調査ができず、カルブンクスから溢れる魔獣の対処のみだったのだ。

 領地経営に疎い聖女が土地の管理などできるはずがなく、管理は夫であるディルク主導で開発調査がされる。


 そう、これは、ロストークにカルブンクスの管理権を間接的に渡す処置なのだ。


「旦那様はこの婚約を王太子殿下より打診されておりましたが、こちらにいらした使者は第二王子の命令を受けておられました」

「十中八九、エミリアン殿下の私怨だろう。王太子殿下への嫌がらせも入っているかもしれんな。……ルベル殿に詳しい話を聞きたかったのだが」


 失踪している現実を思い出し、ディルクは再びため息をつく。

 この婚約で、最も利がないのは聖女ルベルだ。

 彼女は国の英雄にも関わらず、与えられたのはうまみのない領地と、「蛮族伯」と呼ばれるリュミエスト中の令嬢が倦厭する夫である。

 これだけでもどうかしているのに、王宮にはぞんざいに扱われたった一人で魔獣が跋扈するロストークへ送り込まれた。

 第二王子を殴ったとはいえ、英雄の扱いとは思えなかった。

 精霊に愛されたがゆえに、国に召し上げられ貢献した後も、政治の道具として扱われる。


 ――自分も、彼女を利用した一人だ。同情を寄せる資格などない。


 ここまでぞんざいにされれば、怒り狂っても良いはずなのに、ルベルはテーブルカバーをかぶり、ディルクとの結婚を受け入れていた。


『名目上は妻とはなりますが、部屋の一室を間借りできたらそれ以上のご迷惑はかけません。これからよろしくお願いいたします!』


 ルベルの表情には結婚への期待も、この状況への不満も一切なかった。

 彼女は国の英雄で、誇りと共に正当な要求をしても良いはずの人間である。

 理不尽な命令のはずなのに、彼女にはディルクへの要求どころか「迷惑はかけない」と言いすらしたのだ。

 それがディルクにとって違和感を残していた。

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