第14話 呼び方を考えよう
せわしないクックさんが去ると、食事室はしんとした。
私と領主様がかちゃかちゃとお互いがカトラリーを使う音だけが響く。
おいしいからいくらでもご飯を食べ続けられるけれども、今はちょっとだけ話したいことがあった。どうしてそんなに歓迎してくれるのか、とか。
「あの」
「君は」
声が被ってしまって、私は思わず領主様と見つめ合う。
「領主様、先にどうぞ?」
私が促すと、領主様はぎゅっと眉を寄せた。なにかがすっごく気に入らないという雰囲気だ。
「呼び方が、堅苦しいのではないだろうか」
「呼び方です?」
そんなに気になることだっただろうかと思ったけれど、領主様は重々しく頷いた。
「俺達は……形だけだったとしても将来的には夫婦になる。それに君は聖女であり、カルブンクスの領主だろう? 身分としては対等な立場になる中では少々おかしいのではないか」
「それは、確かに」
そっかそうだった。私も一応は領主なんだ。帰って守るべき土地がある証。
ちょっと嬉しくなりつつも、領主様をなんて呼ぶか悩んだ。
ぐぐぐ、と眉間に皺を寄せて悩んでいると、領主様に声をかけられた。
「どうかしたか」
「まだ初対面でもいつかは親しくする人の呼び方って知らないと思いまして。領主様は知っていますか」
形式だけでも仲が良く見えたほうがいいよね。
そう思っての表現だけれど、領主様の顔が固まった。
まずかったか? と思う前に領主様は食べる手を止めて神妙に言った。
「俺も……知らんな」
控えていた従者が「なにしてるんだこいつ」みたいな驚き顔をしている。
一生懸命なにかをアピールしているけれど、たぶんその位置じゃ領主様は見えてないよ。
でも私も驚いた。
「領主様も知らないんですか」
「ああ、ひとまず名前で呼び合うのはどうだろうか」
名前かあ、えっと領主様の名前は……。
「ではテオドリック様でいいですか?」
「敬称は必要ないし、長ければディルクでも。では俺はルベル殿と呼ばせて貰おう」
領主様……じゃなくてディルクさんに呼ばれた私はなんだか胸の奥がむずがゆくなる。
ディルクさんに不思議そうな顔をされたので、私はちょっと照れながら答えた。
「久しぶりに自分の名前を呼ばれたのがくすぐったかったんです。名前で呼ばれるって良いものですね」
ずっと「聖女様」ばかりだったし、慣れきってしまっていたから呼ばれていないことに気付いたのが今だったくらいだ。
ディルクさんはぐっと眉間に皺を寄せている。隣の従者もなぜか目を潤ませているし。
変なこと言っちゃったかなと思ったけど、出した言葉は取り戻せない。
恥ずかしさでいたたまれなくなってもそもそとご飯を食べる。
「君が聞きたいことはなんだ」
ディルクさんに促されて、私はぎくりとする。
この気恥ずかしい気持ちの中で「どうして歓迎してくれるんですか?」なんて聞きづらい。 ほ、他になにか聞くことってあるかな……。あ、そうだ。
「妻として何をしたら良いでしょう?」
飲み物を飲もうとしていたディルクさんは盛大にむせた。
「えっえっ大丈夫です!?」
「旦那様、こちらをお使いください」
従者が差し出したナプキンで口元を押さえたディルクさんは、なんとか息を整える。
「問題ない。どういう意味だろうか?」
「形ばかりとはいえ、夫婦になるのなら、まずなにをするかは決めておいたほうが良いと思うんです。ただ、私は貴族の妻がすべき仕事を知りません。ディルク様は私になにをして欲しいですか?」
わからないことはしょうがない、素直に聞いてみるのがいちばんだ。
ディルクさんは少し考えるそぶりをみせた。悩んだ末に覚悟を決めたように口を開く。
「妻としての前に、まずはこの地に慣れていただきたい。君も短い間でロストークの厳しさを体感しただろう。特に魔法使いにとっては居心地が良い場所とは言えない。先ほどの出来事のように、外の人間には排他的だ……それでも、気の良い奴らだ」
「えっ今までになく過ごしやすいですが!?」
びっくりした私の言葉に、ディルクさんまで驚いた顔になる。
「ご飯はおいしいし、人には活気があるし、土地に誇りを持ってます。兵士はちゃんと強いし、使用人は働き者! 良いところばかりじゃないですか。使用人や部下の人達も、ディルク様を慕っているから私が嫌だ! って言ったわけです。みんな仲間みたいで良いなあって思います」
城に入るまでに通ってきた町中も活気があって、街の人たちに暗いところはどこにもなかった。
そう、サリアさんに案内される間にすれ違った使用人はきびきび働いていて、良い緊張感に満たされている。
王宮内の誰かが誰かを出し抜くためにギスギスしていたのとは大違いだ。
「ディルク様がしっかり統治しているからですね!」
「……ああ」
ディルクさんはなぜかぎゅっと眉間に深く皺を寄せて顔を背けてしまった。
なにかをこらえるような反応に思えて私は首をかしげる。
けれど、ディルクさんは言うつもりはないらしい。
「そう、だな。それでも、冬の間はこの地で過ごしてみてくれ。その間君がしたいことは自由にして貰ってかまわない」
「つまり結婚するまではこの城でお世話になって良いということですね」
「? ……ああ」
相づちを打つディルクさんは少し不思議そうにしていたけれどまあいっか。
「じゃあもう一つ、私が拝領したカルブンクスについてなんですけど」
持ち出すと、ディルクさんがかすかに緊張するのを察した。
これはいくらか話は通ってるみたいだな。
「安心してください。今までロストークが管理していたことは知っていましたし、これからもロストークが管理していくことにも同意しますよ。領地経営は素人ですから、へんに手を出すと不幸になる人ばかりでしょう。あまり実入りのない場所であるからこそ、王家も私に任せたのでしょうし」
「そこまで知っていたのか」
目を見張るディルクさんに、私は頷いて見せる。もちろん、なんて言ったってエミリアンの嫌がらせだからね。
「はい、ただ一つお願いがあるんですけど、私にカルブンクスに家を持つ許可をいただけますか? あ、もちろん購入費用はこちらで支払いますので」
私の帰る家を持つという目標には譲れない部分なのだ。
ディルクさんは意味がわからないと瞬きをしていたけれど、厳しそうに眉を寄せる。
むむ、なにか問題でもあったかな?
「君のそれは、個人的な家が欲しいという?」
「はい、そうです。カルブンクスは名目上は私の領地ですから、住む場所が必要でしょう?」
「……なるほど、わかった。避難場所は必要だろう」
んん?避難場所? と引っかかったけれど、ディルクさんは滔々と続けた。
「カルブンクスには小さな村が点在しているのだが、その村の一つにロストーク家が所有する狩猟用の別荘がある。ひとまずそちらを君に譲渡しよう」
「え」
今この人家を一軒ぽんとくれるって言った?
私がぎょっとした声が聞こえなかった様子で、ディルクさんはなにかに気づいたように眉間に皺を刻む。
「いやあの別荘は死魔の森のほとりだから魔獣で気が休まらないし少々危険か。となるとどこかに家を建てたほうが早いかもしれんな。時間はかかるが用意しよう」
「いや魔獣くらいは全然平気なんですけど。なんでお家をくれるお話になってるんです?」
貴族の金銭感覚おかしいとは常々思ってるけど、普通お家一軒くれることなんてないんですけど!?
という言葉は飲み込んでとりあえずの疑問をなげると、ディルクさんははたと私を見た。
「君がカルブンクスの管理権をロストークに譲ってくれる条件なのではないのか? 古い家一軒ではとてもではないが釣り合わないだろうから、ひとまず……と言ったのだが」
私はディルクさんがすごく誠実だと感心した。私でもちょっとは知ってる。夫は妻の輿入れ金を我が物のように使うことも多い。
カルブンクスの権利についてはうやむやにすることもできたのに、私の存在を尊重してくれるのだ。
なんだか、私にとって理想過ぎて困ってしまうな。
なんか大真面目なディルクさんにおかしい気持ちになって、私は笑いながらじゃあと提案した。
「なら、カルブンクスから上がる税収の一部を金銭で還元してくれます?」
「それはもちろん君の当然の権利だ。元々契約書に盛り込むつもりだったが……?」
「だったらそのカルブンクスの別荘で充分です。ありがとうございます」
私がお礼を言うと、ディルクさんはものすごく不思議そうな顔をした。
この人はきっと私の礼の意味はわかっていないだろうな。
ずっと王宮や上司からの一方的な命令を受諾するばかりだったんだ。
もちろん、命令を聞く振りをして、それとなく我は通させて貰ったけどね。
あらかじめ私の意志を尊重してくれたのが嬉しかったんですよ、って。
安心したらふわ、とあくびが出てしまった。
ディルクさんがはっと表情を和らげた。
「君もずいぶん疲れただろう。侍女は改めて選び直そう。ゆっくり休んでくれ」
「あ、できればサリアさんのままがいいです」
「なぜだ?」
「仕事はちゃんとしてくれた人ですよ?」
そう、彼女は嫌がらせはしたけれども、私の世話はしっかりとしてくれた。
その嫌がらせも全然害はなかったし、私にありがたいものばかりだったもの。
居心地の悪さどころか、むしろ快適なばかりなんだ。
「指揮系統が乱れたのはよくありませんけど、有能な人を左遷するのは損失ですよ。なのでそのままでいいです」
「君が害を感じるのがどれくらいなのかは気になるが、君が良いと言うのならそのようにしよう。ただ処分は下す」
「わかりました」
適切な処罰は必要だよ。良かった。
ディルクさんの了承と同時に、扉がノックされる。
「お待たせしました! お代わりとなります!」
そんな声と共にクックさん自らが運んできてくれたワゴンには、ちゃんと二人前ずつのお代わりがのっていた。
「わあい! いただきます!」
届いたお代わりに手を付けながら、目の前で食事を再開するディルクさんをうかがう。
この人は公平に人を見て、私のことも当たり前のように気遣ってくれた。
ぞんざいにされても、適当に逃げれば良いと思っていたけれど。
この土地で、この人は、私を受け入れてくれるのだろうか。
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