第5話 ロストークの「蛮族伯」
私がロストークの領主であるテオドリック・ド・ロストークについて知っていることは、そう多くはない。
五百年以上続く名門ロストークを若くして継いで、魔獣から領地を守っているとか。
一目見るだけで気絶してしまうほど恐ろしい顔をしているとか。
金儲けに目がないだとか。
血も涙もない冷血漢だとか。
それでも「蛮族伯」というのはただの蔑称だと考えていたけど、実際にこう野性味溢れる姿で遭遇するとは思わなかった。
見上げるほど背が高い。私はそんなに背が高い方ではないけれど、彼がかなり大きいのだ。フードを被っているせいで顔はよく見えないけれど、相手も驚いているみたいである。
ひとまず、といった感じで肩に担いでいた魔獣を下ろした。
ずしん、となかなか重みのある音をさせて石畳におろされた魔獣を反射的に見て、私は驚いた。
「マッドベアだ」
土魔法で獲物の足下を泥濘化させて、額の角で獲物で突進して相手を一気に仕留めるやっかいな相手だ。
泥まみれなのはマッドベアを倒したからで、血の匂いはマッドベアの血抜きをしたからかもしれない。
それにしてもきれいな倒し方だなあ。マッドベアに無駄な傷はほとんどない。領主様が仕留めたのであれば、ものすごい手だれだ。
私もマッドベアを仕留めたことはあるけど、ここまできれいに倒すことはできない。
感心してしまったけれど、自己紹介がまだだった!
はっと我に返った私は、左手で杖を立てると、右拳を胸に当てて膝を折った。
「お初にお目にかかります。ロストーク辺境伯様。私はルベル・ド・カルブンクス。あなた様のお嫁になりに参りました」
とっさだったから軍人式の礼になっちゃったけど、まあ良いよね!?
でも領主様から全然反応がない。
こ、こまったな。礼を崩すタイミングが見つからない。と私がちらと彼を見上げると、領主様がフードを下ろすところだった。
私はぽかんとした。
フードの中から出てきたのは、黒髪の思った以上に若かった。
二十代前半くらいとは事前に聞いていたけれど、当主というイメージに引っ張られてたらしい。
なにより一番驚いたのは。
(すっごい悪そうな美形だ……)
心の中でつぶやくくらいには、迫力のある整った顔をしていたのだ。
その体格にふさわしく、彫りが深い顔立ちは最高の彫刻師が丹精込めて彫り込んだように整っており、しっかりとした眉は力強い。鋭い眼光は紫色で、ぞくりとするような色気を感じさせた。
睨まれたら気が弱い人なら心臓が止まるのではないだろうか。
薄い唇は今は厳しく引き締められているが、口角が上がったらどんな企みをしているのかと相手を不安にさせることだろう。
黒髪は襟足もすっきりと纏められた短髪なのが、迫力と彼の力強さと精悍さを強調していた。
つまりはとてつもなく整っているが、お伽噺に出てくるような勇者を最後まで苦しめる魔王のような怖そうな男性だったのである。
(婚約者候補になった何人ものご令嬢が泣きながら帰って行ったって、この悪人迫力美形のせいなのでは……?)
私が思わず納得していると、目の前の領主様はゆっくりと瞬いた。
「陽輪の聖女殿か?」
「はいそうです。このたびは私を受け入れてくださり、ありがとうございます。ただ一人できたので、王宮からの使者と行き違いになってしまったようで申し訳ありません」
早速謝ると、魔王様みたいな領主様はぱっかんと口を開いた。
そんな素直な反応をされると、年相応に見える。
領主様はセリューさんに視線を向けるとセリューさんは深く頷いた。
ぎゅっと眉間に皺を寄せた領主様はようやく私に視線を戻した。
「いいや……俺がテオドリック・ド・ロストークだ。君の夫ということになる」
後半は少々間があった気がしたけど、きちんと自己紹介してくれた。
話をすると案外まともな人なのかもしれない。
と私が感心していたら、セリューさんがこほんと咳払いをする。
「テオドリック様、ご帰宅前にお客様をご案内出来なかった私の落ち度ではございますが、ご令嬢を前にして狩り帰りの姿はあまりふさわしくないと存じます」
「あ、ああ。そうか。マッドベアは解体に回してくれ。ルベル殿、すまない。うら若い女性に配慮が足りなかった」
領主様は周りにいた従者らしき人に指示をだすと、私に謝罪をしてきた。
いやいやご令嬢なんて言われるのはじめてだが!?
「お気になさらず、慣れておりますので。それにしてもあんなにきれいに狩られたマッドベアを初めて見ました!」
魔獣狩りの時には日常的にある光景だったし、たかだかこの程度で驚くことはない。
そんな気持ちも込めて明るく答えてみせたのだけど、領主様とセリューさんの反応は微妙だった。
痛ましいというか、明らかに信じていない様子である。
「そのように強がらなくても良い。婚約とカルブンクスの管理については王太子殿下よりうかがっている。ただ、ルベル殿の到着はもっと後だと考えていたので、迎え入れる準備が整っていないのだ。しばらく不便をかける」
おや? 婚約の話をあの第二馬鹿王子からじゃなくて、王太子殿下からなの?
あの馬鹿王子がひねくれるほど優秀で、継承順位が揺らぎようがない王太子殿下がこの婚約にかかわっているなんて、一体どういうことだ?
「私が第二王子を殴ったことについては伝わってます?」
そう聞くと、周囲がざわりとざわめいた。
反応からすると、だいたい知っていたみたいだな。
「使者殿が、城中に喧伝されていった話であれば」
領主様の苦々しげな口ぶりで、私は悟った。
あんの馬鹿王子、こういう嫌がらせだけは行動が早いんだから!
私がしたことを誇張して流して信頼度マイナススタートからはじめさせようとしやがって! 今度会ったら一発殴るだけじゃすまさないんだからな!?
あいつが私をどう話したかなんてわかってる。
「世話になった上官であるはずの王子をいきなり殴り飛ばして罵った。気に入らないことがあれば、なにをするかわからない横暴な女、あたりですかね。鮮血聖女の名の通り残忍であるから、厳しくしつけるくらいで丁度いいとか?」
「概ねそのように聞いた。魔獣討伐を任せておけば大人しい。とも」
おお、言ってくれるじゃないか、馬鹿王子。
内心顔に青筋立てながらも、私はちょっと様子が違う領主様におや?と思っていた。
「領主様は、そのお話を信じていないように見受けられますが」
「我がロストークでは武勲を上げた者を尊ぶ。鮮血で全身が染まるほどの活躍であれば、それは誉れだろう。そもそも、あの第二王子が伝え聞くほどの武勲を上げられる器とは思えん」
明言を避けているけれど、言外に「第二王子の功績は全部君があげたものだろう?」って言ってる。
田舎だ、僻地だって王都の人は言ってたけど、ちゃんと正確な情報を仕入れているぞ領主様。
私が目からぽろぽろ鱗を落としている内に、領主様は淡々と続けた。
「結婚式については、春を待ってからと考えている。準備期間としては短いだろうが、王命をあまり先延ばしにもできない。春までの範囲で整えてくれ。このような土地に来ることになったのは不本意かもしれないが、ロストークはあなたを歓迎する」
歓迎する、か。
ただの社交辞令だろう。そんな風に言われるとは思ってなくて、なんだか無性に嬉しかった。
「領主様はつまりこの結婚に異論はない、という解釈で良いですか」
「……そもそもが王命だ。先の戦で活躍し国を守ったあなたであれば、みなも異論はないだろう。この国を守っていただき感謝する」
感謝の言葉には、しっかりと感情が乗っている気がした。
この人は、突然来た私にも「普通」に対応してくれる。
しかもぞんざいに扱う気はないらしい。
いい人だ、と思った。
最近さすがの私でも荒む出来事が多かったから、こういう人に迎えてもらえただけで、この地に来て良かった。
念書を取ってバイバイ路線も考えていたけど、友好的なら、負担はかけないようにしたいな。
だから私は紫の目で見下ろす領主様に向けて大丈夫という意味もこめて頷いてみせた。
「良かったです。領主様は疲れていませんか。でしたら神殿までお付き合いくださればと思うのですが」
「神殿に行ってどうするつもりだ」
「準備なんて必要ありませんから、ささっと結婚だけしてしまいましょう!」
王命が下っていて、結婚許可も出ている。
あとは神殿に誓いさえ立てれば充分なはずだ。
盛大な結婚式にはたいそうなお金がかかるという。私にはドレスは必要ないし、ならさくっと誓いだけ立てれば手間もかからず、領主様も煩わせずハッピーなはず!
私は領主様も喜んでくれると思ったのだが、彼は絶句してしまっていた。
セリューさんや周囲の人も異様なものを見る目をしている。
え、あれ?
すると領主様が目を眇めて問いかけてくる。
「君はそれでいいのか」
「これは命令ですから。陛下としては結婚という事実だけあればご満足されるかと。ならば簡素にした方が無駄がないのではありませんか?」
この結婚って、領主様に利点が見つからないところだけが、ちょっとした疑問なのだ。
だからこそ、せめて手間がかからない嫁でいたいのだ。
「女性は花嫁衣装などにあこがれがあるものではないのか」
「花嫁衣装……? あ、そうだ。誓いのためにはヴェールが必要でしたね!」
精霊が花嫁を気に入って浚わないように、神に誓いを立てる時には花嫁は必ずヴェールだけは付けるらしい。
白いかぶり物であればたぶん大丈夫なんだけど……って、待合室にいいのがあった。
私はささっと待合室に戻ると、真っ白いテーブルクロスを借りた。
領主様のところに戻ってきた私は、ふわっと頭から被ってみせる。
これでヴェールも整った。
「名目上は妻とはなりますが、部屋の一室を間借りできたらそれ以上のご迷惑はかけません。これからよろしくお願いいたします!」
思い描いていた通り、私は挨拶をやり抜けた。
満足していたのだけれど、領主様とロストーク城の人たちはなぜかひたすらドン引いていたのだった。
ええどうして!?
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