第29話 理想の旦那過ぎるのでは?

 心を整えるように沈黙していたディルクさんが、ゆっくりと言う。


 「ああ、そのとおりだ」


 そっか、そういうことだったのか。とようやく腑に落ちた気がした。


 砂埃でザリザリとする床を靴底でなでながら、私は床を見下ろす。たぶんここ、霊脈の上に建っているんだろうな。

 でもこれだけの装置を動かしているんだったら、精霊の補助があっても周辺の魔力を全部吸い上げる。その上、精霊がこの土地に集中していたら、魔力は流れずほかの地域は痩せ細ばかりだ。

 魔力はけして万能じゃないと、私は知っている。

 つまりロストークが痩せているのは、全部この遺跡のせいってことだ。

 

「でもディルクさん、これを見て精霊のこと嫌にならないんですか? だって彼らはこんな近くにいたのに出てこなかったんですよ」


 まあもちろん恨みを言ったところで、精霊にはめったに通じないんだけども。

 精霊は、ただそこにいるだけの存在だ。

 彼らは心地が良い場所を選んだだけ、気に入ったら善悪は関係ない。

 だから、いつでも死魔の森の外に出られたのに、居心地が良い魔導遺跡や死魔の森で過ごしていた。


 私はそういうものだと諦めがついている。

 けれど精霊に馴染みがなく、何百年もこの地で暮らしてきた、ロストークの民であるディルクさんが感動しているのが不思議だった。

 するとディルクさんの顔が苦笑に変わる。


「そうだな、長年先祖達が味わった苦難を思えば複雑な気分にはなる。それでも、いやだからこそ『精霊はロストークの地を見捨てたわけではない』という先祖達が待ち望んでいた答えの形が目の前に……それも最良の形であることが嬉しいんだ」


 最良のかたち、というのがよくわからなくて、私は目をぱちぱちする。

 ディルクさんは扉の外に広がる、のびのびと育った菜園を振り返った。


「もう言い伝えでしかないが、ロストークの土地は、かつては豊かな穀倉地であったところもある。そう信じて、今も耕作に励む領民がいる。もしかしたら、いつかの未来には、彼らが報われるかもしれない」


 そうか、ディルクさん達はずっと不安だったんだ。

 誇り高く自分たちの足で立ち、魔獣に立ち向かい故郷を守ってきたけれど。

 ほかの土地には当たり前のようにいる、祝福をもたらす精霊がいないことがずっとしこりになっていた。

 でも精霊達は私が屋敷にいたら、死の森から出てくるくらいには、自由だった。

 別にロストークが嫌で閉じこもっているわけじゃなかった。だから、嬉しい。

 ディルクさんが言いたいのは、たぶんそういうこと。

 ああでも、でも……。


 このひとは、真っ先に喜ぶ領民の顔が思い浮かぶんだ。


 なんだか熱いものがこみ上げてくるようで、私は優しい目で菜園を見つめるディルクさんの横顔を見上げた。

 優しくて、温かい人だ。

 この人に守られる領民は、きっと安心だろう。

 自分の感情は二の次で、心から土地を愛して人を慈しむ。領主ってきっとこんな心構えで務めるものなんだとわかった気がした。

 私が土地を守るものになれるかは、わからないけれど。


 ――この人が、もっと報われると良いな。


 私は、くるりと装置を振り返った。

 なんだかわかんないごてごてした石像みたいにしか見えないけど、表面に精晶石がびっしりと育つくらい魔力をたっぷりと蓄えている。

 きっと装置内の制御なんて利かなくなっているんだろう。


「ルベル殿? どうした?」


 不思議そうにするディルクさんに、私は杖を構えつつ提案した。


「じゃあこの装置、壊しちゃいますか」

「……は?」


 ディルクさんに面食らった顔をされてしまった。えっそんなに意外な提案だったかな?

 私は装置の周りをぐるりと回りながら、説明する。


「つまりこの装置がロストークに魔力が少ない理由です。精霊達もこの土地は気に入っていても、装置自体には興味ないみたいですし。さくっと壊してしまったほうが平和かなと」


 精霊達は私たちに精晶石を渡したとたん、方々へ散って遊んでいるくらいだ。

 本当に装置が好きなら、さっさと遊び倒して魔法を暴走させて、ロストークは魔獣の楽園になっているはず。

 私は精霊が遊んだせいでモンスターハウスになった魔導遺跡をいくつも知っているぞ。

 あーでも、壊してしまうと精晶石はもう生えないだろうし、精霊に相談は必要だな。

 待ってしかも、装置に二重三重に防御結界張られてるっぽい?

 結界部分を杖の石突きで突っついた私が、顔をむむむとしかめていると、背後から声が聞こえる。


「ほんとうに、壊せるのか」

「はい。壊すだけなら半日……いえ一日くらいかなあとは思うんですけど。安全にとなると、近くの村の人たちに待避してもらったほうがいいですね」


 うう、ここで一時間でちょちょいのちょいですよ! ってどや顔したかった!

 けど、この結界予想以上に難敵そうなんだもん。


「だからディルクさん、待って……うぁっ!?」


 待っててもらえますか? ってお願いしようとしたとたん、ぐんっと体が浮いた。

 殺気が無いから身構えそこねた。

 ディルクさんが両脇の下に手を入れて私を抱き上げたからだ。

 私は確かに小柄なほうだけど、こんなに軽々と持ち上げられるとは思わなかった。

 ディルクさんはそのまま私をくるくると振り回す。

 硬直した私は、今は視線が下になっているディルクさんを見下ろすしかない。

 興奮が少し収まったのか、回るのをやめた彼は泣き出しそうな笑顔で私を見上げていた。


「君は俺の救いの聖女だ」


 声音が真に迫っていて、その表情に明確な歓喜があって。

 私はなにを言おうとしたか忘れてしまう。なんか恥ずかしい。


「た、たしかに、私は聖女ですけど」

「君はロストークの数百年にわたる問題をたった一日で破壊できると言ってくれたんだ。それだけで十分素晴らしいよ。ありがとう、俺からも、そしてロストークを代表して礼を言いたい」


 国も一応救ったけれど。こんなにまっすぐな感謝を向けられるのが久々だった。

 胸がとてもこそばゆかった。

 すとん、と地面に下ろされた私は無性に落ち着ずに杖を握っていると、ディルクさんは少しだけトーンを下げて、言った。


「ただ、壊すのは最後の手段にさせてもらえないか」


 ディルクさんが喜んでくれたのがすっごく嬉しかっただけに、やる気満々だった気持ちが裏切られた。


「どうしてです?」

「準備が必要だ。今まで死魔の森にいたキマイラは、この魔導遺跡の護衛役だろう。守るべき城を失った奴らがどう行動するかわからない。それに装置が壊れると同時に魔力が本来の流れに戻れば、各地域に大きな影響が出る。魔力が戻って実りが豊かになるのなら良い。しかし逆もありうるからな。できる限り準備と対策をしてから安全に解体したい」

「たしかに、そうですけど、この場が見つかったら魔法使いがしゃしゃり出てきますよ」


 未発見の魔導遺跡なんて魔法使い達が知ったら、周辺の影響なんて全く気にせず私物化する勢いでいじり倒す。

 きっと魔法使いは研究が終わるまで、死魔の森もキマイラも、魔力が枯渇している土地も全部放置する。

 そんなわけで魔法使いの一部はあんまり信用しちゃいけない。


「へたなやつらに任せたら、悪化するかも」


 大丈夫かなと私が心配しているのがわかったのか、ディルクさんは少しだけ表情を引き締めた。


「君は、魔法使いは嫌いか?」

「はい! 王宮にボコりたい魔法使いいっぱいいます!」


 だって彼らは精霊がどこまで私を助けるのか調べるために、子供の私を魔獣の跋扈する森に放り出したこともあるしね。

 もちろん当時は精霊達と魔獣をボコったあと、責任者をぶん殴ったけど。

 私が聖女になって以降はあんまりちょっかいを出してこなかったのに、私が結婚を命じられたとたんに「研究所に戻ってこないか」と言ってくる厚顔無恥さだもの。


「あの人達は、魔法のことしか頭にありません。魔法のためなら何でもして良いと思ってるんです。確かに私は彼らに拾われて生かされましたけど、それでも魔法使いのあり方は大嫌いです」


 私がここだけはと真剣に話すと、ディルクさんは軽くつばを飲み込む。

 まるで、用意していた言葉を飲み込んだようだった。

 どうしたのかな?と次の言葉を待っていると、やがて彼は紫の瞳を真摯にする。


「ここは死魔を阻むロストークだ。俺が、何人も侵させない。たとえ王宮の魔法使いにも好きにはさせないさ」


 本気だ、と思った。

 気負いもなく、ただ事実としてこの地を守ると決意している。

 本気でディルクさんは守る気なんだ。


「元々王宮を頼るのは最低限にするつもりだった。だから、準備と調査が整うまで、この場所は俺と君の秘密にしてほしい」

「わかりました、絶対誰にも言いません。言うときはディルクさんに相談してからにします。誓約立てます?」


 誓約は、互いの魔力を交わすことで、相手が誓約を破った場合にもう片方に伝わる魔法のことだ。簡単なものなら子供の口約束でも使うけど、魔力を込める量が多ければ多いほどペナルティが強くなる。

 魔法使いが言い出したなら、それは当然腕一本持って行くレベルだ。


 割と本気だったのだけど、ディルクさんは若干早口で止めてきた。


「そこまで必要ないよ。それに、この場合誓いを立てなければならないのは俺だろう? ここはもうカルブンクスとして君の領地なのだから、君に調査を願わなければならない」

「あ、そうだった」


 自分でも忘れていたことにぽんと手を叩くと、ディルクさんがおかしそうに笑う。


「俺が強気でいられるのは、君がカルブンクスの守り手だからでもあるんだ。陽輪の聖女ルベル・カルブンクス子爵殿?」


 茶目っ気を含ませて言う彼に、私はにやっと笑って杖を地面に突いた。

 先にあるオレンジの精晶石がぱっと魔力で輝く。精霊達が喜んで近づいてくる。

 きっと私の周囲は彼らの燐光できらきらしているだろう。


「もちろん、たかが王宮魔法使い程度に負けませんよ」

「信頼している」


 心の底からだとわかる声音。

 この人は私を尊重してくれる。

 私を道具としてではなく、対等の相手として扱ってくれる。 

 精霊も大事に扱ってくれるし、すごく強くて、頑丈だ。

 普通の人なら怯む精霊の招待にも、私と同じように面白がって即座に応じてくれる。


 ……あれ、家族としてすごく、理想的じゃないか?


 しかも、しかもだよ。


「ディルクさんが魔法使いじゃなくてよかった!」

「……俺も、この地に来てくれたのが君で良かった」


 紫の瞳に一瞬なにか感情が揺らいでいた気がしたけれど。

 そっか、もっと良かったって言ってもらえるよう頑張ろう。

 にへへと笑っていると、ディルクさんはふっと私から目をそらす。


「今日はひとまず帰ろうか。部下達が屋敷に来る頃だ」

「あっそうでした! もうお日様完全に上っていますもんね!」


 昨日の夕飯の残りを食べてきたとはいえ、朝ご飯はまだだ。

 と、思ったらぐう、とお腹が鳴った。正直すぎた私のお腹。

 ディルクさんがおかしそうにする。


「帰る前に、菜園の果物を分けてもらおう。皆もそれくらいは待ってくれるさ」

「はい、私ミラベル気になっていたんです! 精霊達ーー! おいしい果物おしえてーーーー!!!」


 さっそく私は精霊に声をかけて、食べられる木の実や果物集めに飛び出していった。

 だから、ディルクさんがどんな顔をしていたか、知らなかったんだ。

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