第30話 蛮族伯の秘密


 ディルクは菜園で、精霊と共に果物を採って回るルベルを眺めていた。


「おお、これがミラベルかぁ! んんー! 優しい甘さだ……」


 サクランボに似た黄色いミラベルを一口味わうと、嬉しそうに表情をとろけさせる。

 ミラベルは死魔の森の外でも今が旬だったはずだ。


「こっちはブドウだし、桃も、えっリンゴもあるーー! あれはオレンジ!? 全部味見したい!」


 彼女が感動するたびに、精霊達も嬉しそうに輝きを増す。

 精霊の明かりで緋色の髪がきらめくのが美しい。

 まさかたった一日でこのようになるとは思ってもみなかった。




 

 遠征先からの帰り道、侍女サリアから「ルベルが出奔した」との報告をもらったとき、ディルクは頭が真っ白になった。


 そのようなそぶりは全くなかった、はずだ。


 楽しそうにロストークの文化を受け入れ、城の者とも親しみ、のびのびと暮らしているように見えた。

 ディルクのことも怖がらず、素直に目を見て話ができる希有な少女だ。

 今までロストークに来て去って行った令嬢達のようにそのような兆候がなかった。


 だからなぜと、真っ先に思ってしまったのだ。 


 複数の証言から類推した結果「死魔の森」に行ったと結論づけた時にはまさかと思った。

 あそこには、彼女に譲る予定の屋敷がある。すでに村には通達していて、新しい家具や寝具などの運び込みは命じていた。

 いつでも彼女が逃げ込めるようにと。

 ――本当に、逃げたくなったのだろうか。


 矢も盾もたまらず、ディルクは自ら馬を駆った。

 従者すら置いていった。

 たとえロストークの精鋭でも、死魔の森に入れる者は限られている。

 いいや、それは言いわけだ。

 他者がいれば、ディルクは最速でたどり着けないから置いていったのだ。


 そうして部下達よりも半日早くカルブンクスに乗り込むと、ルベルはネージュ城にいたときと変わらない様子で、キマイラを仕留めていた。

 逃げたくなったわけではなかったと誤解が解けたときには、その場に崩れ落ちたくなるほど安堵した。


 今までの令嬢達は、仕方ないと諦められた。彼女たちにつらい思いをしてまでロストークにいてほしいと引き留める気にはなれなかったからだ。

 確かにロストークが厳しい土地であり、外部の人間には受け入れがたいのだと理解していたし、ディルク自身にも秘密があるのだから仕方がない。

 この地を去ったとしても、幸せになってほしいと願えた。


 だがルベルはとてもではないが見送る気にはなれずに、馬を駆る間、彼女に会うまでどう引き留めるかだけ考えていた。

 ゆっくりと受け入れてもらえれば良いと考えていたのが嘘のようだ。

 こんな激情が自分の中にあるとは思わなかった。


 ルベルと語り、誤解が解けて安堵したのもつかの間。

 彼女がロストーク五百年の禍根をすべて吹き飛ばす場所に連れてきてくれると思わなかったのだが。

 精霊はロストークを厭っていたわけではなかった。

 ただ、単純に好きな場所に引きこもっていた。

 それだけだった。

  

 ディルクは領主だ。膨大な精晶石も、代償はあれど局地的に豊穣をもたらす魔導遺跡も万金の価値があることは重々承知している。


 だが、なにより、ロストークに精霊が戻り、魔力が浸透すれば、ディルクの長年の夢に一歩近づくのだ。

 ルベルは、ディルクがなにからすべきか無力さに打ちひしがれ諦めかけ、途方に暮れていた事柄……ロストークに魔法をもたらす、大きな一歩を示してくれたのだ。

 まだ一ヶ月にも満たない時間で、こんなに多くのものをもたらしてくれた彼女に、今すぐ自分ができるのは、彼女の夢を十全に叶えることだけだ。

 昨日、ルベルは帰る場所と、家族がほしかったのだという。


『私、夢が二つも叶ったんだ』


 そう嬉しそうに話したルベルのはにかむ姿は、年相応のあどけない少女だった。

 この不平等な結婚を受け入れた理由というには、ささやかすぎる……だが、彼女にとっては途方もなく重要な事柄なのだ。

 彼女のささやかな幸福を守ってやりたい。

 ルベルにとって最良の帰る場所と、家族になることが、ディルクが今してやれること。

 彼女はディルクにとっても理想過ぎる伴侶だ。

 大切に慈しんでやりたい。彼女となら幸せになれるかもしれないではなく、彼女と幸せになりたい。 

 そう、強く願ったのだ。

 ――自分が、どれほど彼女を裏切っているか思い出すまでは。


「ディルクさーん!」

 

 呼ばれたディルクは我に返る。

 見ればルベルが戻ってきていた。両手には大量の果物を抱えている。


「おいしかった果物を持ってきました! ミラベルってはじめて食べたんですけどおいしいですね!」

 

 差し出されたのはミラベルだ。たしかサリアにおすすめされたのだと話してくれた。

 ミラベルは旬が短く日持ちがしないが、果肉も皮も柔らかくうまい。今の時期は最高のおやつだ。

 

「気に入ったのなら、袋に入れて持って帰るか?」

「え、でもこの場所を内緒にするなら持ち帰らないほうが……」

 

 ためらう彼女の言葉の端々から約束を守ろうという姿勢が感じられる、

 そのいじらしさに思わず頬が緩む。

 

「秋の果物なら、村人から分けてもらったといいわけがつく。向こうには栗もあったぞ」

「えっちょうどお腹にたまるものが食べたかったんです! 焼きましょう! ね! 魔法でイケるはずですから!」

「普段からそのようなことをしていたのか?」  


 ディルクが驚くと、ルベルは少し決まり悪そうにする。


「あはは、肉ならこっそり焼いて食べました。聖女らしくしなさい! って言われて聖女になってからはあんまりしてませんけど。でもそう言う人たちは自分達が利用しやすい聖女がほしいだけですから、本気で嫌なのは無視していました」


 利用、と冷めた声音で語る彼女に、ディルクの罪悪感がうずく。

 なのに、ルベルは屈託のない表情で圧倒的に信頼を向けてくるのだ。


「でもディルクさんは、私を利用しませんよね。だから嬉しいです」

「……ああ」


 自分が領主として培った表情を取り繕う技術が、このような場所で役に立つとは思わなかった。

 予想通りルベルは気づかず、楽しげに栗を集め出す。

 だから、ディルクは心の中で告解する。


(利用は、しているんだ)


 ディルクは彼女が精霊に愛された聖女だから、この結婚を受け入れた。

 彼女がなぜ精霊に愛されるかを解明し、ロストークに魔法をもたらすためだった。

 聖女がいれば精霊が現れる確率も上がるだろう打算もあった。

 そのためだけに彼女を引き受けた自分は、彼女を利用した宮廷魔法使い達と変わらない。

 

 ディルクは、今までずっとロストークのことを考えて、様々なことを耐えてきた。

 伴侶についてもそうだ、分家筋の中にはまだロストーク外から妻を迎えることに反発する者もいる。

 はじめは利己的な理由だったとしても、今はルベル以外を伴侶に迎えることは考えられなかった。

 自分の伴侶くらい、我を通したっていいだろう。

 強者に従うのがロストーク。ディルクには認めさせるだけの力はある。

 

 ……だが、それも、彼女が自分を選んでくれるのならだ。

 

『それでも魔法使いのあり方は大嫌いです』

 

 冷然とした声音は、彼女が味わった辛苦が伝わるものだった。

 ディルクにはロストークの面々にも打ち明けられていない秘密がある。

 彼女にならいつか、話せるかもしれないと思っていた。

 だが、彼女にこそ話せなくなってしまった。

 

 ディルクがかみしめていると、急激な魔力の高まりと同時に、ボンッと爆発音が響く。

 

「うわぁっ!」


 とっさに身構えたディルクは、ブスブスと炭化した小山の前で尻餅をついているルベルがいた。

 ディルクと目が合った彼女は、決まり悪そうに頬を掻く。


「あはは、なんか爆発しちゃって。おっかしいなぁ…お肉だったらこれで良かったのに」

「もしや、栗の表皮に切れ込みを入れなかったのか? 栗は焼く前に切れ込みを入れないと爆発する」

「えっそうなんですか! むう、炎が出せるなら魔法で栗も焼けると思ったのに……なんで魔法使いはこういうことは研究してくれないんだ」

 

 たしかに、魔法使い達は魔法を通して生命の根源に近づくことを至上の目的とし、有意義な研究対象だとおもったもの以外には興味を持たない傾向が強い。

 生活に密着する世俗的な技術は厭うし、ましてや栗を良い焼き加減にするなんて興味も持たないだろう。


「も、もう一度だけ! もう一度だけ挑戦したいんで待っててください!」

「ああかまわないよ」

 

 一応、屋敷に到着した部下へ向けての置き手紙はしてある。 

 ディルクがカルブンクスに滞在するときは死魔の森探索に出ている。

 今回もそうだろうと、納得して待っていてくれるはずだ。

 

 ディルクの了承に、ルベルはぱっと黄金の瞳を嬉しそうにして笑うと栗の木へ走って行った。 

 見送ったディルクはふと、足下にまだ焼いていない栗が数個転がっているのを見つけた。 まだ火の中に入れてなかったか、爆発したときにはじかれたのかもしれない。

 すいと、精霊が近づいてくる。

 ディルクはなんとなく、先ほど精晶石を渡してくれた精霊だと悟った。

 腰からナイフを取り出して、栗の表面に切れ込みを入れながら精霊に声をかけた。


「少し手伝っていただけるか。試したいことがあるんだ」


 煌めくことで肯定を示してくれた精霊にふっと微笑みつつ、ディルクは下処理を終えた栗を地面の上に敷いた布の上に転がす。

 ナイフをしまうと、ポーチから取り出した腕輪をはめた。

 木と金属で複雑に形取られたそれは、複数の石――精晶石で彩られている。

 これは、自作の魔法補助具……要するに杖だ。より大きな杖のほうが複雑な魔法は使いやすいが、魔法を隠して使うためにディルク自身が試行錯誤して作り上げた。

 ディルクは思考を巡らせる。


「ただ燃やすだけでは炭になるだけだな。焼くなら火が栗をなめないようにした上で、高温を維持すべきか……それなら使えそうな魔法式があったな」

 

 いくつか記憶から引っ張りだし、即興で再構成する。

 準備ができたところでしゃがみ込むと、腕輪に魔力を通し精霊に呼びかけた。


「破壊と再生の激情をはらむ火の恩恵と、清新と変化の自由をもたらす風の恩恵を我が下に【火球ファイヤーボール】」


 定型の呪文を唱えたとたん、下処理をして地面に転がした栗が炎の弾に包まれる。

 だが火球の内部は風に守られ栗自体を焼くことはない。

 頃合いを見て魔力の供給を止めると、ほどよい焦げ目のついた栗が蒸気を立ち上らせている。


「熱っ! っと……大丈夫そうだな」


 お手玉をしつつも一つ割ってみると、中まで火が通っている。

 うまくいったようだ。

 ディルクはほっとしながら、楽しげにくるくる回る精霊に呼びかけた。


「手伝ってくれてありがとう、ルベルには魔法を使ったことを内緒にしてくれないか」

『ナイショ! シタラ クレル?』

 

 精霊が指し示すのは、明らかに焼き栗だ。

 もちろん魔力を差し出すつもりだったのだが、今日の気分は自ら手を貸した栗のほうがいいようだ。

 不思議な存在だと、何年も付き合っていても思う。

 小さく笑いながら栗を差し出すと、精霊は嬉しそうにコロコロ転がす。

 どうやらディルクが熱がったまねをしているらしい。


『マタネ!』

「……ああ、できればな」

 

 ディルクはそう答えると、精霊はぴゅうっと去って行った。

「また」などというのだから、今の精霊は幼少期、カルブンクスで出会った精霊と同一体なのだろう。


 ちょうどルベルが戻ってきた。

 栗を抱えた彼女は、ほかほかと湯気の立つ焼き栗を見て目をまん丸にする。


「あれっ栗が焼けてる。どうしてです!?」

「炭化した中を探したら見つけたんだ。いい感じに焼けているぞ」

「わーほんとだ!」

 

 ディルクが素知らぬ顔で一つ割って差し出すと、ルベルは嬉しそうに受け取る。

 早速頬張る彼女の幸せそうな顔にまぶしくなる。

 この笑顔が曇るのであれば、ますます、言えない。


 自分もまた、探求の奴隷たる「魔法使い」であることなど。


 ロストークに精霊が著しく少ない原因が知りたくて、王立学院では秘密で魔法の勉強をした。

 当主を継ぐ直前まで、あの屋敷に滞在して、死魔の森で精霊の研究をしていたのだ。

 ディルクが魔法使いであることを知っているのは、手引きをしてくれた第一王子のみだ。

 彼が手を貸してくれなければ、筆名を使って論文を出せなかっただろう。

 そのせいで、どうにも縁が切れなくなったのは重々承知している。


(わかっている、今話すという選択肢もあることも、問題の先送りでしかないことも)


 それでも、少しだけディルクに覚悟を決める時間がほしかったのだ。


「はっディルクさんも食べました?」

「いや、まだだが」

「それはいけません! こんなにおいしいんですからわけっこですよ!」

 

 大真面目に言ったルベルは、ディルクの手に焼き栗をきっちり半分渡してくれる。

 彼女のために焼いたのだ、すべて渡すつもりだったのだが、ディルクが受け取ると心底嬉しそうにする。


「へへへ、わけっこするともっとおいしいですね」


 この安心した彼女の笑顔を曇らせたくない。

 彼女からもらった焼き栗は、焦げた部分がほろにがくとも、甘かった。

 

 

 

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