第31話 ある王子の欺瞞
リュミエスト国第二王子、エミリアンは王宮内の廊下を歩きながら、優越感と達成感に浸っていた。
斜め後ろからは、自分の婚約者である聖女ラフィネがおとなしくついてきている。
頭を垂れる役人や貴族とすれ違ったあと、背中に視線をいくつも感じるのは、先の戦で最も戦功を上げた王子と、聖女の組み合わせだからだろう。
高貴な自分にふさわしい相手、ふさわしい功績を手に入れたのだから当然である。
(今までがおかしかったのだ。平民の粗暴な女を押し付けられて、せめてと使ってやればうるさく喚かれる。俺が戦争に連れて行かねば燻っていたのはあの女のほうなのに、最後まで無礼な振る舞いをしおってっ!)
式典での屈辱を思いだし、エミリアンは舌打ちをする。
ルベルの金色の瞳が気に食わなかった。
この国で最も敬われるはずの自分をおびえも、敬意も全くなくまっすぐと見返してくる、不敬なあの目が。
エミリアンを――のように見る目が。
たとえ聖女としてもてはやされていようと、もとは平民であり、教養も美しさもない権力者に利用されるために存在するのだ。
自分におもねり、機嫌を伺う側であり、気に入られなければ捨てられる側なのだと教え込まなければ気が済まなかった。
だから、捨ててやることで思い知らせたはずなのに、あの女は……。
(いいや、もう、過ぎたことだ。なにせあいつは辺境に追いやったのだ。魔法を嫌うあの場で、ご大層な魔法も使えずに、ゴミのように扱われているに違いない! はは、いい気味だ。私には王宮の要職として、崇高な使命があるのだ! あのような女にかまけているヒマはない!)
「ラフィネ、遅いぞ! 俺のそばを歩け!」
「……もうしわけございません」
振り返りとがめると、ラフィネは淡い金髪を揺らしてしずしずと頭を下げる。
従順で美しい彼女にエミリアンの優越感は満たされる。
女はこうでなくてはならないのだ。
「エミリアン、奇遇だな」
この王宮で最も会いたくない男の声が聞こえて、エミリアンは不愉快が一気にぶり返す。
見れば第一王子のカーティスが悠然と壁に背を預けている。
あからさまに待ち伏せていたとわかるのに、白々しくのたまう態度が気に食わない。
だがしかし、この男は自分の腹違いの兄であり、自分より位が高いのだ。
(くっ、我が母のほうが身分は上だ。俺こそが王太子にふさわしいのに、この男はいつも俺を馬鹿にして……!)
「私は忙しいのですが」
「いや、なに、これからグランナリー地方の森に出現した魔獣の討伐会議をしに行くのだろう?」
確かにその通りだった。
現在リュミエストの南東にあるグランナリー地方の森林で、魔獣の被害が多発していた。
目撃情報から、
結果、魔法使いおよび軍部の出動が決まり、これから部隊の選定のための会議を開くのだった。
ことあるごとに軍部に頼る地方領主の有様にエミリアンはあきれるが、討伐に出れば、自分の功績となる。
だからエミリアンは渋々ながらも、自分のお気に入りではない適当な部隊を派遣するつもりだった。
しかし、そんなふうに考えていると、カーティスは流ちょうに理由を話す。
「お前もわかっているだろうが、グランナリーは、我が国の穀倉地帯というだけでなく、他国との貿易に使う街道もある重要な地域だ。迅速に解決することを陛下も望んでおられる」
カーティスの表情は朗らかだが、その瞳は冷めている。
エミリアンはこの瞳が嫌いだった。どこまでエミリアンが言葉の意図を理解しているか。きちんと自分の思う「正解」を導いているのか値踏みしている。
まるで自分が凡庸で取るに足らない者だと言われているようで、劣等感を刺激された。
適当な部隊を送るつもりだったことを忘れて、エミリアンは彼をにらんだ。
「わかっている。だが王太子殿下といえど、軍部は俺の領域だ。口出しは越権行為に当たるぞ」
「そのようなつもりはなかった。ただ兄からの心配の言葉だよ」
(どの口が言うか! 俺のことを昔から馬鹿にしているくせに!)
「ただ、本当に出現している魔獣が人食い植物なのだとしたら、ことは一刻を争う。宮廷魔法使いと連携をとることも視野に入れるべきだ」
内心反発するエミリアンは、カーティスの表情が常とは違う真剣味を帯びていたことを見逃した。
軍部を甘く見られたととり、かっと声を荒らげる。
「軍部は今まで魔法使いに頼らずとも数々の討伐をこなしてきたのだ! お前に忠告されずとも成し遂げられるわ!」
「それは聖女が……いや、なんでもない」
「ラフィネ! 行くぞ!」
カーティスが言いよどんだことすら気に障り、ラフィネを引き連れて会議場へ向かったのだ。
(何が違うというのだ。いつも通りの討伐だろう! 部隊に行けと指示すれば解決するはずだ!)
しかし、会議が始まるとその考えが打ち砕かれた。
幹部達はグランナリーで起きる魔獣被害の現状を聞くと、一様に押し黙ったのだ。
「なんだ皆の者、功績を挙げるチャンスだぞ。我こそはという者はいないのか?」
エミリアンが叱咤しても、幹部からの反応は薄い。
やがて、彼らのうちの一人から発言があった。
「確かに人食い植物が原因なのであれば、リュミエスト軍が出動しなければならないでしょう。もちろん、殿下は十全な準備と人員の配置を許可してくださいますね」
「何だ、いつもの魔獣討伐だ。一部隊に任せるだけでいいだろう? 従来通りで良いではないか」
そこまでエミリアンが呆れを交えて言うと、発言した壮年の男は、眉間に深く皺を刻む。
「殿下は人食い植物をどのように認識しておられますか」
「人を食うとは言ってもたかが植物であろう? 焼き払えばいいではないか。なにを臆している、先の戦で戦功を挙げた映えあるリュミエスト軍の発言とは思えんぞ!」
会議は誰かが手を上げれば終わりだと思っていたエミリアンは、徐々に機嫌が悪くなっていく。
指先で机を叩いて紛らわせていると、ようやく幹部たちで話し合いが始まった。
ひそひそとした声音は、明らかにエミリアンを伺っている。
押し付けあっていることだけは理解できたが、たかが魔獣の討伐を承諾しないのが理解ができなかった。
張り詰めた空気を変えたのは一人の幹部の発言だった。
「でしたらそのう……討伐に対して、陽輪の聖女殿は出動されるのでしょうか」
その名前を聞いたた途端、エミリアンの脳内をあの赤い髪と金の瞳が支配する。
瞬間的に沸騰した怒りと苛立ちのまま、エミリアンはどんっと机を叩いた。
「なぜその名が出てくる!!!」
「い、いえ! このような魔獣の討伐はすべて、殿下が陽輪の聖女様殿に命じられておられましたので……私どもは……そのう……」
エミリアンの剣幕に幹部はしどろもどろに言い訳をする。
言われてようやく、今まで会議が短かった理由に思い至る。
会議を開いたとしても形だけで、大抵はエミリアンがルベルに押し付けて終了していたからだ。
ルベルは決まってエミリアンの提案を否定すると、醒めた目で言うのだ。
『殿下に任せてたら死人が多すぎるので、私が行きます』
その傲慢な物言いに腹が立って、単騎で行くように命じたのだ。
あとで泣きついてくるに違いないとほくそ笑んでいたのに、彼女は当たり前のように一人で生きて帰ってくる。
はじめこそ魔獣などたった一騎で倒せる者かとあっけなく感じたものだが、ある日ルベルが放り投げてきた魔獣の生首には戦慄した。
あのとき、はじめて自分は――……
脳裏に浮かびかけた思考と感情を振り払っていると、厳しい顔で沈黙していた高官の一人が口を開く。
「少なくとも、今回の人食い植物には、魔法使いの協力が必須です。我らだけではどうにもなりません。宮廷魔法使いがいればいうことはないが……」
「軍部にだって魔法使いはいるだろう! そもそも宮廷魔法使いどもが塔から出てくるわけないではないか!」
「……そう、ですな。人食い植物ごときで、出ては来ますまい」
ため息を吐く高官が、陽輪の聖女がよく行動していた部隊の長だと今さら気づいた。
重苦しい沈黙の中で、誰かがぽつりと言った。
「聖女様がいれば……」
とたん、参加者の面々に淡い希望と信頼が宿るのに、エミリアンの苛立ちが増幅される。
戦時もそうだ、誰もがルベルの名を聞くだけで希望が宿る。
自分が進軍を決めなければ活躍する場もなく、化け物として飼い殺しされていたはずだ。
王宮に戻れば、みすぼらしい小娘に過ぎないのに、みながルベルを称え信頼する。
遠ざけたはずなのに、誰もがルベルの名を切望する。忌ま忌ましいほど振り払えない虫のようにまとわりつく。
許せなかった、まるでエミリアンよりも重要だと言われているようだ。
(いいや、違う。指揮をしていたのは自分だ。ならばルベルと同じことができるはずだ!)
エミリアンは怒気をあらわに迫った。
「つまり貴様らは、聖女が居なければ何もできぬと言うのか! 聖女ならここにラフィネが居るではないか!」
ずっと静かにたたずんでいたラフィネを示す。
高官達の視線が集まるのと同時に、エミリアンはたたみかける。
「これは、陛下も重要視している事案だ。私が指揮する! 司令官たる私と
「聖女様はよろしいのですか?」
高官が聖女に問いかけると、彼女は茫洋とした瞳のまま、淡々と答える。
「わたくしは、殿下のお心のままに」
ラフィネの意思など聞く必要はないと声を荒らげかけたエミリアンは、その答えに溜飲を下げる。
高官も幹部もようやく納得したのだろう、深く息を吐くとエミリアンに頭を下げる。
「承知しました。リュミエストのために」
「最初からそういえばいいのだ」
(先の戦争だって勝てたのだ。たかが魔獣の討伐くらい、完遂できるに決まっている)
ようやく進み出した会議を右から左へ流しながら、エミリアンは悠然と足を組んだのだった。
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