第12話 害がなければ問題ない


 領主様の登場に、その場にいた兵士達は慌てて礼をとる。

 取り巻き一、二、三はもはや青ざめているし、サリアさんも顔をこわばらせながらスカートを摘まんで頭を下げている。

 私も礼をすべきかと頭を下げようとしたのだが、その前に領主様は紫の目を険しくして周囲を見回した。


「これはどういう状況だ」


 低い声で簡潔な問いかけだった。

 なのに全身に感じる重圧は生かして逃がさないという気迫を錯覚させる。

 その紫の目に殺意はないけれども、その顔は支配する愚民を睥睨する物語の中の魔王のようだ。

 誰もが凍り付いて口を開けない中で領主様はふいと私のほうを見た。


「カルブンクス子爵、なぜ騎士達と試合をすることになったか聞かせていただけるか……カルブンクス子爵?」

「……? あっ私か」


 じっと領主様に見つめられて、なんだろう? と首をかしげたら、カルブンクス子爵という単語が自分を示すことに一拍おいて気づいた。

 なんだか自分の名前という気がしない。

 ちょっと恥ずかしくなりつつも答えた。


「サリアさんに朝から、交易所や解体場など、城内を案内してもらっていたんです。ロストークが誇る精鋭を見せてくれると訓練場に来たので、騎士の方々と稽古試合をしました」

「……朝から、ワイバーンの討伐後も休みもせず?」


 低く繰り返された言葉の意味がわからず、私は首をかしげた。


「仮眠はとりましたし、朝から豪華な朝ご飯も用意して貰いましたから。通常行動でしたら問題ないですよ。あ、そうでした! サリアさんから聞いたんですけど魔獣のお肉って適切に調理すれば食べられるんですね! 朝ご飯のステーキがすごくおいしくてびっくりしました!」


 背後がざわっとした気がしたけれど、私はしゃべっているうちに楽しかった気持ちが蘇ってきてうきうき続ける。


「それから魔獣の素材の価値を高めるために加工や商品開発までしているのも見ました! 商人さん達が殺伐と活気があって良かったです! 解体場のマイクさんにはワイバーンの解体を見学させて貰ったんですよ。血抜きが重要だと改めて聞いたのでもっと良い方法を考えると約束したんです! あっそうだコックのクックさんにお礼も言いたくてそれから……と?」


 私はようやく領主様がなんとも言えない顔で私を見下ろしていることに気付いた。

 えっなんだろう。まるで奇妙な物でも見るように眉間にぎゅっと皺が寄っている。

 けれども、威圧感はない。素直に感情を表すのをこらえているような気がする。

 いやいやまさか……? と私が思っていると、領主様は低く問いかけられた。


「君は、城内の案内を楽しまれたのか」

「えっとかなり?」


 私が首をかしげながらも答えると、領主様はまだ頭を下げたままでいるサリアさんを向いた。


「サリア、俺はカルブンクス子爵が望まない限り、休ませるように命じたはずだ。命令外のことをした弁明はあるか」


 びくり、とサリアさんが肩を震わせる。

 それでも彼女はしっかりとした声で答えたのた。


「使者殿のお話し通り、ロストークに来られることを望まれていない可能性がございました。ですので、早めにロストークを知っていただき、強要した私が不興を買うこと一つで退けられるのであれば、ロストーク、および領主様の誇りを守ることに繋がると考えました」

「使者は私のことを一体なんて言ってたの?」


 使者殿と聞いた私がひょいと割り込むと、サリアさんは唇を噛み締めてためらう素振りを見せた。

 領主様に「サリア」と名を呼ばれて、重い口を開く。

 

「魔法を誇ってひけらかし、横暴に身分が下のものを虐げる人物であり、ロストークへの嫁入りを大いに不服と考えている、と」

「憂さ晴らしに兵士を魔法の的代わりにするとかは言ってなかったんだ。ずいぶん優しいな」


 私が意外に思っていると、サリアさんがぎょっとしたことで、こっちも言ってたらしいと知った。

 なるほどな、どおりでどこ行っても使用人や役人さんに緊張の面持ちで出迎えられたわけだ。

 そう納得しつつも、私は怯えていてもきっぱりと話すサリアさんに驚いていた。

 領主様が使用人に意見を聞くのも驚きだけど、使用人側も意見をはっきりと言った。話も聞かずに貴族の気分で手討ちにすることも珍しくない中で、この関係は今まで私が見たことがないタイプだ。

 領主様はサリアさんの話にも怒らず、淡々と語った。

 

「噂に踊らされ、長旅で疲れ、ワイバーンを討伐してきた客人を気遣わないことのほうが、領主たる俺とロストークの品位を疑われるとは考えなかったか」


 サリアさんが頭を下げたまま硬直する。私から見える横顔は動揺と大きな後悔に青ざめている。

 次に領主様は騎士の面々を順繰りに見回した。


「そして貴殿らは相手の力量を見誤っただけでなく、決した勝敗に異議を唱えたのか。ロストークの勇士としてあるまじき振る舞いだ」

「深く! 反省をしております!」


 取り巻き達は声もなく震えるばかりだけど、リッダーは深々と頭を下げて謝罪をする。

 リッダーを一瞥した領主は周囲に朗々と響く声で厳命した。


「貴殿らがロストークを誇りと考えるのは喜ばしい。だがしかし、目の前に現れた人物を見ず、ただ噂で排他することは、弱さを晒す行為と知れ。我らは死魔を阻むロストークだ、穢すことは許さん」


 静かながら、冬の山のような厳しさを感じさせる声だった。だからこそ、破れば許さないという憤怒がある。

 その場にいる全員が震えながら頭を下げ続けるしかない。

 誰一人、形ばかりの服従の態度を取る者がいない。

 私が感動の気分で見守っていると、領主様の紫の瞳が私を捉える。

 さらにすっと頭を下げたのだ。

 周囲が動揺でざわりとざわめいた。

 

「俺の配下が無礼を働いたことを謝罪する。適切な処罰を受けさせることを誓おう」

「旦那様が謝罪なさることではございません、聖女様にした行為の咎はすべて私にあります! リッダー達をそそのかしたのも私です、申し訳ありません聖女様!」


 サリアさんがもはや気を失いそうな顔で私の足下に跪く。

 リッダーまで焦燥も露わに言いつのった。


「いや試合を申し込んだとは俺の意思だ! 試合に関してはサリアは止めようとしていたんだ。サリアの減刑を求める!」


 サリアさんとリッダーが互いを庇う姿に、私は困るしかできない。

 どうしたもんかな、と考えつつとりあえずこういう話を通すのは上司からだ、と領主様に声をかけた。


「今回の件について、謝罪をされる必要はないです。さっきも言ったとおり、私はサリアさんの案内をすっごく楽しみましたから。彼女が私を嫌っていたのははじめからわかってましたし」

「……なんだと?」


 そこはしっかりと強調すると、領主様は意外な様子で顔を上げた。

 けど、信じられないという目をされたので、私は少々決まり悪くなる。


「あ、ごめんなさいちょっと言い過ぎました。嫌がらせと言うにはあまりに手ぬるいんでリッダー達に会うまではどっちなんだろう? って悩んでました」

「あれで手ぬるい……?」


 サリアさんが愕然とするんだけども私こそ言いたい 。

 

「だってロストークの文化とネージュ城の案内しかされた覚えないよ!? リッダー達が典型的な新参者いびりをして来たお陰でやっぱり嫌がらせだったんだって納得できたけれど。もっと人の心をえぐるようなことをしなきゃ嫌がらせだって伝わらないよ!」


 リッダー達もぽかんとしていたところで、私は話がずれたことに思い至る。

 決まり悪くてコホンと咳払いをしてから続けた。

  

「だけど、悪意があったかどうかは関係ないんです。私が楽しかったか、楽しくなかったかです。城の人が領主様を慕っていて、すごく賑やかで、強い兵士がいるってことがわかりました。サリアさんにありがとう! って言いたいくらいなんですよ!」


 私が大いに主張すると、領主様は眉を寄せた。


「それでもサリアとリッダーが命令を遂行しなかったこと、君を不快にさせようとしたのは事実だ」

「それはそうですね。指揮系統の乱れは有事に致命的な形で跳ね返ってきます。ロストークの規律に従って領主様が必要だと思う分だけ罰を下してください」

「君自身はそれで納得できるのか」

「個人としては、サリアさんをあっぱれと、思っていますし。本来なら辺境伯のお嫁さんには由緒正しい姫君が来るはずでしょう? それを聖女とはいえ、この土地の価値観からすれば不適格で、しかも「嫁いで来たくない」と噂されている女が来れば、迎撃もしたくなるでしょう」


 だから私は、この結婚を形ばかりだと思っているし、婚姻証明書にサインだけしたらさっさと出て行こうと思っていたんだもの。

 すると領主様をはじめとした全員がなんとも言えない苦い顔になった。


「いえ……今まで来た由緒正しい姫君は……」

「みんな逃げちまったな……」


 サリアさんとリッダーがぼそぼそと話すのに私は首をかしげながらも、みんなが黙ってくれることを良いことに意気込んで続けた。


「遠回しにされるより、嫌いだ! って堂々とされる方が断然良いですよ! むしろこんなにわくわくする場所もはじめてなんです! 他の魔獣のお肉がどんな味なのかも気になりますし、リッダーが使ってた剣圧を飛ばすのも面白かった!」

 

 領主様は目を丸くして私を見下ろしていた。

 はじめて出会った珍獣を見るような反応に似ていたけれど、それだけじゃなくなった気がする。

 あっまって、テンション上がっちゃったけど、しゃべりすぎでは?

 私が慌てて取り繕おうとする前に、ぐう、と盛大にお腹が鳴った。

 ちょっと恥ずかしくて顔が熱くなるのを感じながらも、私はおずおずと領主様をうかがった


「あの、それでなんですがそろそろお昼をいただいても良いですか……? お腹が空いちゃって……」


 領主様はぱちぱちと瞬くと、ふっと口元が緩んだ。

 悪人がなにかを企んでいるような凄みが出ていたけれども、不思議と怖くはなかった。


「ああ、用意させよう。ただ、俺も同席してかまわないだろうか」


 領主様の申し出に、私はえっと目を丸くするしかなかったのだった。

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