第22話 侵された神域

「どうして応えてくれなかったの?」


 あまり手入れが行き届いていない裏庭——俺ノ演習場アソビバに、それは突然現れた。日傘をかざして。これ見よがしな態度で。不満を表しながら。


「得体も知れない後見人を、あまり頼りにするものではない」


(……後見人あんたが言うか)


 疲れた身体からだを休めるように、剣を地面に突き立て、体重を預ける。


「それが後見人として……責任ある態度ですか?」


(……意外だな)


 ——噛み付いて離さないとは。


「信じていたのに、裏切られた気分です」

「そうだろうな」


 ——情けないことだ、と。


「……何か事情があったんでしょう?」

「ああ」


 沈黙が慰めというように、彼女シエルは一言だけ発した。


 静寂が場を包み込む。部外者は、黙って見ているしかない。


(……俺が見つけた場所なんだが)


 聖域を侵すとは、不届き者め。なんて。疲れているんだろう。脳も休めなければ。


「……何をしているんですか?」

「彼を鍛えている」


 重力に逆らうこともできず、項垂れた兄を、情けない、というように見る妹。


「随分と厳しいようですね」

「そうみたいだな」


(……勝手なことを)


 つかに乗せた手に力を入れ、身を起こす。そのまま空を見上げて、一息つく。身体に準備を促した。


「……続きを」

「ああ」


 ——ゲゲ、と。彼女は呼びかけた。


 見知らぬ他人シアを避けるように、影に潜んでいた影霊かれが、ひょこっと姿を現した。


「えっ!? かわいい!」


 思わず駆け寄ろうとした新参シアに、怯えた様子な影霊ゲゲ。しばらく二人が見合ったかと思うと、前者シアが身を退いた。


「人見知りなんだ」

「あ、そうでしたか……」


 ——それは悪いことをしました、と。


 名残惜しそうに見守る妹をよそに、兄は影霊かれが剣に憑依するさまを見届けていた。


(……重い)


 それを口に出すほど配慮がない似非者おとこではないが、確かに彼が息づいている重みを感じる。制御しきれない感覚だ。


「慣れるしかない」


 ——身体を動かせ、と。


 ハッと剣を斬り上げ、フッと斬り落とす。身体に染み込んだ型であれ、気が赴くままには動かない。


「ぎこちないですね」


(……やかましい)


 涼しい顔をした妹に、キッと一瞥をくれる。わお、とわざとらしく反応された。


「筋は良い方だろう」


 ——剣は分からないが、と。


 褒められて悪い気はしない。それが人間というもの。もちろん俺も、例外ではなかった。にんげんだもの。仕方ないことだ。


 ハァッ! と身体を再び動かす。


 心なしか、少しは身体が軽くなったように感じた。剣が型を理解し始めたように、滑らかな動きを取り戻しつつあった。


「……なるほど」


 何を理解したか、何か呟いた妹。興味が薄れてきたように、彼女シエルに呼びかけた。


 ——それは異なる名前だったが。


「イルーシャ」


 彼女も顔を向けていた。


「私を……そう呼びましたね? 貴女あなたでしょう? 私を……呼ぶ声は」


真実それは知らないけど」


 ——呼んだことはあるね、と。


(……何の話だ?)


 俺は置いてきぼりだった。悲しいことに。


「私をあざむいたんでしょう? 記憶でもいじりましたか?」


 ——貴女ならできそうですね、と。穏やかな口調に、裏切られたような失望感が込められていた。


 とても穏やかな会話ではなかった。


其方そなたは——イルーシア・アルビオン」


 口調それは彼だった。


わたし従妹いとこ


 口調それは彼女だった。


「私と血が繋がった家族」


 ——哀れなことにも、と。自虐じぎゃくするように。


(……何だって?)


「それでも。だからこそ。貴女は——ルシア」


 あたかも嘆願たんがんするように、彼女は続けた。願いを込めるように呟いた。


「……詳しく話してくれるよね?」

「それは」


 ——できない、と。したくない、というように。


「……どうして?」

「嫌でも思い出すことだ。其方は目覚めた。それは止められない」


 ——誰にも、と。其方を想うが故に、と。


「……貴方アンタ何者ダレ?」


 意味深長な発言に——なにより不慣れな現実に、苛立ちを隠せない様子だった。


「オレは——オルフェオ。人間そなたらが——神霊オルカと呼ぶ存在。そして——」


 私を——神格者アウローラたらしめる存在、と。


「二重人格……ってこと?」


 ——人格それとは異なるようだけど、と。


「私に憑依しているから、そうなるかな」

「……不思議ですね」


 ——そうか? と。


神域セカイは、霊気エーテルで満ちている」


 ——人間ヒト十八番オハコだろう? と。


「理解が足りない、とでも言いたげですね」

「想像力は足りないな」


(……憑依)


 つぶらな瞳を浮かべるだけで、表情が読めない影霊それに目を向ける。地に着いた剣先から、俺に付き纏う影に居所いどころを移していた。


影霊かれは俺に、憑依できるんだよな?」


 話に割り込む闖入者ちんにゅうしゃ。それが俺だった。


 ただ——とても穏やかな雰囲気ではなかったから。むしろ感謝してもらいたいものだ。


「ああ。それが霊体エステルにとって、本能だからな」


 ——だが、と。


「不用意に憑依させると、意識が混濁するぞ。ましてや——呑み込まれかねないからな」


 ——あまり人間ヒトが考えることではない。


「——本来ならな」

「……今は違うと?」


 ——情けない話だが、と。


守人モリビトが足りない。各地で魔障マショウが騒ぎ出した。人間そなたらがいう——託宣オラクルが示した通りに」

「それなら……どうしろと?」


 ——決まっているだろう、と。


「其方が英雄となれ。神域セカイを守護する——英雄に」


(あ、これ……好きな展開ヤツでしょ)


 もはや——彼を止められる障害は無い。女ノ勘が告げていた。


「俺が……英雄に?」

「ああ」


 心躍らせる自殺志願者ギルバート


(本当に単純なんだから……)


 ——男ノ子ッテ奴ハ。


 私は呆れたように、空を見上げた。澄み渡った空。冷たい空気が、肌を突き刺した。


(……さむい)


 厳しい冬が訪れる。骨身に染みる洗礼が、人々に降りかかる。そう予感させるに、十分だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る