第25話 開かれた世界

「……わお」


 影に呑まれて降り立った場所は、周囲を深い霧に覆われていた。凍てつく冷気に顔を晒され、思わず身震いする。


 踏み出した足が、そっと包み込まれる。地面は深い雪に、覆い隠されていた。


 白い息が流れ去り、辺りに同化していく。おそらく一面、銀世界が広がっていることだった。


此方こちらへ。ついてくるように」


 言われた通り、羽織を掴んで背後に憑き従う私。靴底に伝わる感触が変わったかと思うと、どうやら橋を渡っているようだった。


 立ち止まった先導者シエルが、金具なにかに手を伸ばす。彼女が把手それを打ち付けると、来訪を告げる金属音が鳴り響いた。


「ノクシオン公女ルシア! ならびに、シエル・オルフェンが参上した! 門を開けよ!」


 戦乙女シエルが威勢よく名乗りを上げると、門扉とびらうなりを上げて開いた。


「ようこそ、お越し下さいました」


 両側に門番が控える中、正面に執事らしき老紳士が立っていた。


わたくし、執事として仕えております——レイモンドと申します」


(……お髭)


「既に準備は整っておりますゆえ、早速ではございますが、会場へご案内いたします」

「ええ、お願いします」


(……憑依元シエル?)


 視線に気づいた彼女が、私に問いかける。


「なに?」

「……いいえ」


 彼女と——どう接するべきか。結論は出ていなかった。誤魔化すように、視線を前に向ける。様子を窺っていた執事と、目が合った。


「どうぞ、此方こちらへ」


 厳格な表情を崩さない彼だった。



 ***



 門を潜った先には、上り坂が待っていた。弧を描くようにして城門上部——詰所を通過すると、再び小規模ながら跳ね橋が架かっていた。


 おそらく緊急時には、門を閉ざし、跳ね橋を上げ、外敵を遮断する狙いがあるんだろう。


(……随分と厳重ね)


 弧を描いた上り坂が続く。周囲は相変わらず霧に覆われ、羽織を掴んだ手に力が入る。


 心細い気持ちが、伝わってしまったからかな。憑き纏う背後霊わたしに、彼女は話を振った。


「緊張してる?」


(……緊張?)


 そういえば、目的は御茶会ティー・パーティだった。肝試しではない。直接会場に送り届けてくれればいいのに。ぷんぷん。


「何事も経験だから」


 ——たまには運動しないとね、と。なんとも耳が痛い話だった。


「それに——」


 ピタリ、と彼女が足を止める。


 先導する執事が、此方こちらを向いていた。前方に目を凝らすと、どうやら塔と一体化した新たな城門——塔門ゲートが聳え立っていた。


「期待を裏切るような真似は」


 ——もう絶対にしないから、と。


(……期待? ……今?)


「開門いたします」


 新たな門扉とびらが、唸りを上げて開かれる。あたかも霧を晴らすように、新たな風が吹き込んでくるようだった。


(……眩しい)


 反射的に目を手で覆いながらも、隙間から前方を覗き見る。新たな世界が開かれたように、前方は光に包まれていた。


 進み出す執事と彼女。追いかける私。門を潜って、塔内を駆け抜けると——



 ——青空が広がっていた。



 雲一つない晴天。一面に広がる銀世界。そして——聳え立つ本城。


「シルヴィ大公家が誇る城——シルヴィア城でございます」

「……」


 開かれた世界——そのあまりに美しい光景に、言葉が出なかった。


(……みんな来れば良かったのに)


 澄んだ空気が、心に染み渡る。周囲を覆い尽くしていた霧は晴れ、穏やかな陽気に包まれていた。


 青空から注がれる日差しが暖かい。依然として肌を刺す冷気でさえ、心地よい刺激に感じられた。


「先日は大雪でしたから、見応えがあるでしょう」


 それは——我が子を自慢するような——自信に満ちた口振りだった。難攻不落と思われた厳格な表情も、幾分か和らいだように感じられる。それは——我が子を見守るような——愛情あふれた眼差しだった。


「……はい、とても美しいです」


 ようやく口を突いて出た感想は、あまりに幼く、ありきたりな表現だった。震えた心を込めた感想なんて、所詮そんなものだった。


 ——あれ?


「……他に参加する方達は? もう部屋に案内されていますか?」

「……?」


 ——?


 彼は首をかしげて、当惑したように私を見詰めた。ドクン、と危険信号が発せられる。不吉な胸騒ぎが、全身を駆け巡っていた。


「他に参加する方は……」


 彼が答えようとした時だった。


じいや! もう来てるじゃない! どうして案内してくれないの!? ずっと部屋で待ってたのに……!」


 文字から想像した通り、かわいらしい声が耳に響き渡った。あたかも胸騒ぎと共鳴するように。予感を現実とするように。


 それは——ズカズカと近づいてきた。


「はじめまして! 私は、ユスティア・シルヴィ。ティアって呼んで!」


 ——あ、天使。此方ここに、天使がおる。


 弾けんばかりな笑顔が向けられた。それは天使そのもの。彼女が本物。私は偽物だった。彼女は非情な現実を、容赦無く私に突きつけた。


「あ、うん……はい」


 我ながら情けない返事だった。とっさに受け答えができない。非情な現実を、突きつけられる。何度でも、何度でも。


「私は……」

「ルシア! もちろん知ってるわ! 招待状にも書いたでしょ?」 


 ——シアって呼んでいい!?


 弾けんばかりな笑顔が、再度向けられる。


「あ、うん……もちろん……です」


 ぎこちない返事だった。兄弟と培った絆が通用しない。おない年。おない公女。それは——未知との遭遇だった。


 ひきこもり気味な——私にとっては。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る