第29話 現された正体

「彼らと直接、じかに接したいかい?」


 葬儀を終えた帰り道、窓から領民を覗き見る義妹シアに、兄さんが尋ねた。兄弟揃って同乗していた馬車で、俺は聞き耳を立てていた。


「いいえ。下手に姿を現して、下手に失望されては、なりませんから」


 ——上に立つ者は、というように。


 良識をわきまえた優等生を振る舞いながらも、本音が透けていた。


(……ただ意気地がないだけだろ?)


「彼らも干渉されないことを、なにより望んでいると思います」


(……人付き合いは面倒なんだろ?)


 ——内弁慶でも極めるつもりか?


 他愛もない茶々を心中入れ飽きて、それらしい主張に応答した。


「上手に姿を現して、彼らを扇動する輩には、どう対処するんだ?」


 ——どうも何もない。


 異なる世界を生きている相手だ。互いに干渉しないことが、互いを尊重する前提だった。もしも前提が崩れたら——なんて。


(……言うまでもない)


 たわむれた問いかけだった。


 ——だが。


「それは——」



 ***



 それは——異様な光景だった。


 大挙して押し寄せた領民が、門扉に手を掛けて揺らしている。開けるように催促している。あたかも操り人形に過ぎないというように、ぎこちない動きを披露している。


 なにより生気を失った無気力な表情が、彼らに起きた異変を訴えかけている。突発的な行動を起こす気配はない。心臓に配慮ある振る舞いを心がけている。


 それも——自発的ではなさそうだが。


(……正気とは思えないな)


 それは——異常な現実を目前にした——正常な反応だった。


 仕事を放り出して抗議活動とは、ご苦労なことだ。何に対する抗議か、問いただす必要がある。とても返答は期待できないが。


 とにかく先に要求を伝えろよ。話せば分かる。実力行使は早いだろう。非合理的な振る舞いだ。有罪判決。後悔しても遅い。


 ——取り止めもない思考が頭を駆け巡る。


「正気を失った人間に、理性的な振る舞いを求めるなんて」

「……愚ノ骨頂だな」


(わかっているさ)


 ——だが。


(……愚者それもまた人間なんだ)


 隣に立つ彼女は、ただ彼らを見詰めていた。視線鋭く見据える先に何があるか、ふと目で追いかける。ただ狂人がいるだけだが。


「……どう対処するんだ?」

「決まっている」


 彼女が呟くと同時に、彼らは静止した。あたかも時が止まったように。場が凍りついたようだった。


(((愚ノ骨頂だな)))

(……わかっているさ)


 ——嘘。


(((狂人それもまた人間ヒトか?)))

(……決まっている)


 ——嘘?


(((正気とは思えないな)))

(……さあ)


 ——もうわからないよ。


(((託宣シナリオ通りか?)))

(……断罪した後は?)


 ——決まっている。


 悠々と前に進み出る彼女。口が開かれる。



追 放パージ す る の み だ」



 彼、ゾ、女、ゾ、が、ゾ、呟、ゾ、く、ゾ、と、ゾ、同、ゾ、時、ゾ、に、悪寒が走った。本能が危険を察知していた。全身が異変を訴えかけていた。


 ——影。影だ。此方に伸びる影から、得体も知れない気配がする。彼女という人影に、何かが潜んでいる。


 身体が震え出す。身震いが止まらない。何かが来る。これから彼女に。彼女が。彼女を。呑み込もうと。何かが来る。


 ——底知れない何かが。


 佇んだ人間それに。足元から勢いよく立ち昇った黒霧それが。包み込むように彼女それを。呑み込んだ。


 ——深淵それから姿を現した。


 怪物それは——少女だった。


 憑き物が落ちたように、黒髪は色が抜け落ちて、透き通った白髪に変わっていた。


 怪物それは——神霊かれだった。二体一対と言わんばかりに、黒い霊体が彼女を取り巻いていた。


 あたかも依代から分離したように。


 青白い眼光と牙。青焔が体内で燻っているように。浮遊する獣を模した黒い霊体。手足はない。ただ獲物を捕らえる口がある。


「捕らえるまでもない」


 彼女は呟いた。俺に。あるいは彼に。


「追放で十分」


 ——瞬間。黒狼それは吠えた。大気が割れるような衝撃波。疾風怒濤。神威それが発せられた。とっさに顔を腕で覆わずにはいられない。


(……クッ)


 言葉にならない衝撃を目の当たりにする。悠然と佇む気配だけが感じられる。頭が真っ白になる。凝らすと白髪が靡いていた。


(……)


 風は吹き止んだ。静寂が訪れる。静止していた彼らは、ゆっくりと身体を傾け、そっと地面に身を預けた。


 彼らは憑き物が落ちたように、安らかな表情を浮かべている。


(……良い気なもんだ)


 ——おい、と声を掛けようとした瞬間。


「殺してはいない」


 振り向くこともせず、彼女は声を発した。


(……だろうな)


 その瞬間まで考えもしなかった。彼らが安らかな表情で息絶えているなんて。


(……ただ殺すだけなら)


 ——容易いことだろうに。


「他安い命」


 ——もううんざりだ、と言い捨てた。

 

 それは——異常な現実を目前にした——正常な反応だった。


(……貴女あんたもまた人間……だもんな)


(((あれっぽっちを救済するために)))

「呆れられてしまうな」

「……?」


(((オレを呼び出すとは)))

「嫌われてしまったか」

「……」


 ——そんなはずはないだろう。


 怪物に取り憑かれた少女。色を失った少女それは、相変わらず彼女だった。


 ——否。


 憑き物が落ちたように、むしろ自然体だった。正体も何もない。人は見た目が九割というだろう。見た通り。彼女それは少女だった。


 他人目ひとめを気にする——青い瞳を湛えた——年相応な少女だった。

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