第28話 残された家族

此方こちらは中庭でございまして、彼方あちらには先ほど潜ってきた塔門ゲートが立っております」


 レイモンド卿が部屋に来て、窓から見える景色について、丁寧に解説してくれていた。妙に積極的な様子が、少し微笑ましい。相変わらず——厳格な表情ではあったが。


「上には展望台もございまして——条件が整えば——雲海もご覧になれます。天空ノ城——と称される所以ゆえんです」

「そして——世界ノ中心」


 ——みたいですね。


「……揶揄やゆされたにすぎません」

「……揶揄とは?」


「……はるか彼方かなたなる時代、四方世界之王を僭称せんしょうした記憶が、現代にも語り継がれております。現在いまでいう四方領を全て統治するに相応しい存在。それが鍠金族シルヴィであると」


(……僭称? それが皇帝でしょ?)


 ——それに。


(僭称していることを……ただ揶揄するような彼女ひとじゃない……はず)


「典型的な選民思想よ」


 生菓子ケーキを頬張りながらも、彼女は明瞭な口調で答えた。手慣れたもの——口慣れたものだった。さすが大公女。格が違うというものです。


「三大要求を受け入れた現状いま、全て幻想だったと証明されたわ」


 ——所詮導かれた玉座だったのよ、と。


「導かれた玉座……とは?」


 妙に意味深長な言葉を言い捨てた彼女に、私は問いかけずにはいられなかった。自虐というより、もはや他人事で突き放したようだったが。


「決まってるじゃない。貴女のお義父とうさまでしょ? 帝国を導いた英雄は」


(……決まっている? そう……そうだった? 本当に?)


 もはや——何も信じられないのに?


義父かれが……何をしていたか。もしかして……知らないの?」

「……帝国を守護していたと聞いています」


 ——その通り、と。


「貴女は向き合わないといけないわ」

「……何と?」


「失われた——英雄と」


 ペロリと生菓子ケーキを一切れ。楽勝よ、と言わんばかりに平らげた。何皿目かも分からない。それでもなお、次なる獲物に食指を動かす彼女。まだ欲は満たされていなかった。


「英雄なんて……馬鹿げています」

「……どうして?」



「残された家族わたしにとっては、早死にした駄目親父にすぎませんから」



「……」



 ——絶句。



(……残された彼女わたし。残された……家族)


 あまりに無神経な発言だった。父親が何をしていたか知らない? 向き合わないといけない? 父親を亡くした娘に向かって?


(……何様よ)


 吐き気がする。もはや食欲は失せていた。自分が信じられない。いつから私は、彼女を見下していた? いつから私は、正気を失っていた?


(何が……虐待よ)


 突拍子もない発想に、なにか得意げになっていた? 失礼にも程がある。なにが大公女か。なにも分かっていない癖に。


 なにか世界が抱え込んだ真理を言い当てているような気がしたの? 人間が抱え込んだ心理を無視して? ふざけるな。他人がとやかく言うことではない。


 ——自惚れてはなりませんよ。


 彼女に戒められた教訓が、骨身に染みるようだった。右から左に耳を傾けてはならない。聞き流してはならなかった。


 先人が語ることから、耳を逸らしてはならない。目だけにしておこうか。これからは。


「私も……いただこうかな」


 窓際から近寄ってくる彼女は、何も変わっていなかった。何事もなかったように、慣れた振る舞いだった。


(……現実を受け入れ慣れている)


 ——なんて悲しいことなんだろうか。



 ***



「「お待ちしておりました」」


 前庭に降り立った私を、出迎える二人。一人は執事、一人は侍女だった。


(彼は……名前……)


 ——なんだったかな。


(((アーノルド・ジャッジ)))

(……ああ。彼も当時……)


 ——いたんだったね。


「ジャッジ卿、エマさん。三兄弟みんなは? 何事もなかった?」

「はい。此方こちらは何事も」


 ——ありませんでしたが。


「お嬢さまは……何事もなく?」

「何事かあったけど、もう落ち着いているから」


 ——心配いらない、と。自分に言い聞かせるように。


 二人は一瞬眉を顰めながらも、すぐに平常心を取り戻していた。


(……過保護な彼女が言うことだ)

(……無事に保護されているに違いないわ)


 ——ただ。


「申し訳ありませんが、坊ちゃんがどうしてもと……」


 執事かれが植木に、ちらりと目を向けると、次男坊ギルバートが顔を出した。困った英雄志願者なことだ。


「窓から見ていれば良いものを」

「……邪魔はしない。近くで……生で見たいだけだ」


(((恐れ知らずで感心してしまうな)))

(……心にもないことを)


「好きにすると良い。けど、安全は保証できないぞ」

「……それはどうかな」


(((だから過保護は良くないな)))

(……うるさい)


 ——それにしても。


「こんな昼間から警戒する必要あるのか? 来るとしたら、夜ではないのか?」

「朝から働いているんだ。夜になったら、疲れてぐっすりだろう」


(……なんだそれ?)


 所詮、御曹司には分からないことだった。領民が、いかなる生活をしているか。庇護する領主と、庇護される領民。互いに不要な干渉をしない弊害だった。


「各地から報告が相次いでいる。役所も皇宮も、てんてこ舞いだ。正気を失った村民・町民が、村や町に出現していると」


(……出現)


 どこからともなく現れた、と言わんばかりな言い回しだった。あたかも自然災害が発生したように。そこに意志はないというように。


「それで……どうするんだ?」


 彼女に尋ねた。


「万全を期して、敵を迎え撃つ」


 大胆不敵な微笑みが、俺に向けられる。それは彼女か。それとも彼か。


「迎え撃つは」


 ——当時者われわれだけで十分だ、と。

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