第27話 残された記憶

「それにしても……驚きました」

「……何に?」


 好きな御菓子について語り尽くし、どれか気に入ったものはあるか、問いただしていた時だった。


 ずっと受け身な彼女から話を振られたことに、私は喜びと期待を胸に膨らませていた。多少は顔に出ていたことだった。


城外そとは深い霧に覆われていたけど、城内こちらに入った途端、霧が晴れたものですから」

「……でしょ?」


 ふと崩れた言葉遣いに達成感を覚えたこともあり、気になる謎解きに協力するに、吝かではなかった。


「最後に潜った門は、洗礼門——そう呼ばれているの。あらゆる罪と穢れを洗い清めるってね」

「……なるほど」


 ——さもありなん、というように。


(……納得したの?)


 理解が早いというより、諦めが早いという印象だった。というより——単純に興味が薄い? ちょっとひどくない? 話はこれからよ?


(良くも悪くも……受け入れ慣れているって感じ……)


「レイモンドさんが、城を愛されていることが、よく伝わってきました」

「……うん。彼にとっては、我が子も同然なのよ」


(……名前を覚えているのね)


 他人に興味がない——訳ではない。よく観察していることだろう。顔色を窺い慣れた公女。大人びた口調。表に出さない感情。高い精神年齢。


 ——妙だな。



(……虐待?)



 探偵気分で考察していたところ、突飛な発想に行き着いた。


(まさか……ね)


「……どうかしました?」

「ううん、なんでもないわ」


 所詮他人事。第三者わたしが勝手に口を挟むべき事ではない。ましてや繊細な問題だ。不用意な発言は、尊厳を損ないかねない。何も確信はないんだから。


(それにしても……)


 ——妙だな。



(……擬態?)



 小公女わたしは不審に思った。天真爛漫な天使——無邪気な彼女が、あたかも知能指数が上昇したと言わんばかりに、私を観察しているようだったから。


 ——失礼だな。私が。


 落ち着いた様子で思索に耽る姿も、様になることだった。口を閉じれば、上品で優雅な振る舞いが目につくことだった。彼女は大公女。人生経験が浅い私とは、異なる世界を生き抜いてきた猛者なんだ。


(私とは……格が違う)


 他愛もない悲愴感に酔いしれていた時だった。突如として頭痛に苛まれる——信じられない現状。これまでとは——次元が違う症状。私は襲われた。



 ——どうして私なのですか!? お父さま……!



「……ッ!」

「何……!? どうかした……!?」


 それは——必死に訴えかける声。私と同い声。しかし——別人だ。あたかも異なる人生を歩んでいるように。彼女は——私ではない。女ノ勘が——そう告げている。



 ——自惚れるな! お前だけではない……!



 それは——苛立ちを隠さない声。父と同い声。しかし——別人だ。あたかも異なる過去を抱えているように。彼は——父ではない。娘ノ勘が——そう告げている。


(((それは——忘れられた記憶。現世には——存在しない幻世)))


 聞き覚えがない声が、私に語りかけている。


(((それは——残された記憶。決して——後悔しないように)))


 ——忘れられた? 誰から?

(((イルーシャ——彼女から)))


 ——残された? 誰から?

(((ウィーシャ——彼女から)))


「其方を想うが故に」


 手を添える大公女ティアが、突如として発せられた声に振り向いた。私は俯いたまま、ただ耳を傾ける。声主それは誰か——口調それが雄弁に物語っていた。


記憶それは目覚めた。其方に眠っていた残思それが」


 ——それは過去。それは未来。それは現実。


「それは現実に投影された過去と未来」


 ——だが。


「其方は眠ったままだ。いつ目覚めるつもりなんだ?」


 ——他人事ではないぞ。


「満を持して能力チカラは目覚めた。其方が意志だ。能力を行使する意志に、能力は応える。夜明けを迎え入れた其方に、拒否権はない。現在いまを逃せば」


 ——後悔するぞ。


「……随分と雄弁ですね」

「人は死を告げられてから、残された時間を生き始める」


 ——決して後悔しないように。


「……貴女あなたに残された時間とは、気になりますね」

「そう?」


(……そもそも)


超越者あなたは死を告げられたことが、あるんですか?」


(死を覆した者が? いや……だからこそ……?)


 ——そもそも。


(彼女は……超越者なの? 私が知っている?)


「彼女は神格者アウローラ神域セカイに夜明けをもたらす者」

「……貴方あんたは口を挟まないで。神霊オルカだか何だか知らないけど」


「なによりも——哀れな神ノ愛シ仔シエラ・ザードだ」


(……神霊オルカに憑依された人間——神格者アウローラ


 大公女わたしを無視するなんて、良い度胸じゃない。格が違う……ってこと? 私も霊格者ミディーアなんだけど……? 精霊スピリアに憑依された……霊格者ミディーアなんだけど?


 ——それにしても。


(……神格オルソナを保持した神霊オルカに)


 ——大した口を利くものね。ふふ。良い度胸じゃない。気に入ったわ。


「ユスティア嬢」

「はいはい」


(……神ノ愛シ仔シエラ・ザード。彼女が……叔母エルーシアさまを……)


「彼女を頼みますよ」

「ええ、もちろん。ご武運を」


 ——お祈りしています。


「……どこへ行くの? 護衛は?」

此方ここは天空ノ城——世界ノ中心。心配しないで。すぐに戻るから」


(私は……心配している? 自分を? 彼女を? それとも……)


 私は小指を差し出した。青い瞳を覗き込む。それは——彼女だった。


「……期待を裏切るような真似は」


 ——もう絶対にしないんだよね?


「ええ」


 ——約束よ。


 絡んだ指から、熱が伝わる。それは現実だった。そして——それは過ぎ去った。


 解かれた指には、約束をした——記憶それだけが残されていた。

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