第23話 語られた悪夢

「見てください、お嬢さま。外は大雪ですよ」


 敷布シーツやら何やらを交換したい侍女が、主人を寝台ベッドから追い出そうと、窓帷カーテンを開けて訴えかけた。


「……さむい」


 布団にくるまった公女それを見て、ふと殺意が湧いた——訳もなく。侍女エマは仕方ないですね、と窓帷それを閉め直す。


 なんだかんだ、彼女に甘い侍女だった。それを彼女も、自覚していることか。


 コンコン、と開かれた扉を叩く。お寝坊さんを起こす時間だった。


 扉が叩かれ、開かれ、再び叩かれた音を意に介さずとも、廊下から忍び寄る冷気が、否応なく彼女を震え起こさせた。


 ——自ら奮い立って欲しいものだったが。


「なんと殺生せっしょうな……」

「シア、起きる時間だよ」


 ——あれ? と彼女が寝惚けた顔を上げる。目も耳も覚めたことだろうか。


「お、お兄さま……いたんですか?」

「……起きてこないから」


 ——心配でね。


「起きます、起きます」

「慌てずにね」


 侍女に目配せをして、そっと扉を閉じる。冷気が漂う廊下を進みながら、彼女に思いを馳せる。


 もう着替えは済ませただろうか。化粧台と向き合って、髪を梳かしている頃だろうか。私は彼女について、何を知っているだろうか。


(……信じられない)


 母上は実家——アルビオン伯爵邸で出産した。私は当時四歳。よく覚えていないが、目に焼き付いた姿がある。それは——帰ってきた二人。


 シアを抱えた父上。ルークを抱えた執事。


 母上は出産で命を落とし、帰らぬ人となった。生まれた子は双子だった。それが紛れもない現実だった。


(それすら……信じられないとは)


 彼女は、イルーシア・アルビオン。これすらギルから聞いた話だ。彼が彼女シエル——神霊オルフェオから聞いた話を。


 ——!


 ピタリと足が止まった。そこに彼がいた。


「……ジャッジ」

「全てを——お話しする時が来たようです」


 神妙な面持ちに、思わず息を呑む。


「次は……君から聞く番か」

「それが——亡き主人に託された——執事が為すべき奉仕ですから」


 ——どうぞ此方こちらに、と。拒否権はありません、というように。



 ***



「どうぞ」


 優雅なお手前で、差し出された紅茶。


(……朝食前だが)


 食堂に向かう訳でもなく、執務室に案内された。父上が亡くなった今では、腹心であった執事が、実務を取り仕切る現場だった。


(元々父上は……家を空けがちだったから)


 部屋にとっては、彼が主人であったと言っても、大して過言ではないはずだ。


「旦那様は、仰りました」


(……美味しい)


 紅茶に口をつけたところを見計らうように、彼はおもむろに語り始めた。新しい茶葉かどうか、聞ける雰囲気では無かった。


「口を挟むな、ジャッジ」


 ——お前には分かるまい、と。


「……中々辛辣だね」

「事実でしたから」


 傲慢な主人を責める訳ではなく、無知な自分を戒めるように、噛み締めるように呟いた。


「私が浅はかでした。身に余る信頼に応えようとするあまり、一線を越えてしまったのです」


 ——余計なお節介でした、と。


「……何があったの?」


 茶杯カップ台皿ソーサーに据えて、長机つくえに戻す。姿勢を直すと、視線が絡み合った。


「旦那様は、奥様——ミカエラ様を亡くしてから、人が変わったようでした。次第に平静を取り戻したようでしたが、当時は……やはり……」


 ——正気とは思えませんでした、と。


 それは——言葉を選びきれずに、吐露された苦悩だったか。それとも——選びきった結末——非情な現実だったことか。


「何かに取り憑かれたような旦那様に、何かと言葉を交わす旦那様に、私は黙っていられませんでした。そして……」


 ——口を挟むな、ジャッジ。


「……そう言われたんだね」

「はい」


 ——お前には分かるまい。


(……わからないよ、父さん)


「当時アルビオン伯爵邸で……何があったの?」

「あれは悪夢でございました。夢としか思えないような……」


 ——恐ろしい出来事でした、と。


「旦那様には、生涯を共にする親友が、三人いらっしゃいました」

「……親友」


(……父さんに?)


「はい。現皇帝陛下——当時ハインリヒ皇太子殿下と、現スカーレイ公爵家当主——ルドルフ様。そして——」


 亡きアルビオン伯爵家当主——エドガー様です。


(……錚々そうそうたる面々)


「エドガー様には、ご姉妹が二人いらっしゃいました。姉であるミネルヴァ様と、妹であるアナスタシア様です」

「……ミネルヴァ様には、御息女が?」


「はい。ルドルフ様に嫁がれ、娘を二人授かった、と。一人は既に御存知な通り」

「……シエル」


「はい。本名——ウィシェル・スカーレイと、伺っております」


(何が……シエル・オルフェンか)


「それで……何があったの? 核心を」


 ——早く伝えてほしい。


 そう——確信を、得たいから。得体が知れないままでは、耐えられないから。


「突如として正気を失ったエドガー様が、お二人を殺害しました。妻エルーシア殿下と、ミカエラ様を、です」


(……何て? ……誰と?)


「……殿下?」

「はい。アルビオン伯エドガー様に降嫁された、皇女エルーシア殿下です。皇帝陛下の妹にあたります」


(夫が妻を……殺したと? 信じられない)


「当時、エルーシア殿下と同時期に懐妊されたミカエラ様が、出産を控えて伯爵邸に滞在されていました。皆様、仲がよろしかったものですから。そして——」


 御子様は、無事産まれたのです。


(それが……シアとルーク)


「ミネルヴァ様も、幼いウィシェル嬢を連れて、ご出産なされた義妹——エルーシア殿下とミカエラ様を祝福するために、里帰りされていました」

「……そして?」


「悲劇は起きました」

「いったい……どうして……?」


 執事かれは重く一息ついた。無力感に、苛まれるように。


「それは——神のみぞ知る、と言わざるを得ません」

「……巫山戯ふざけてるね」


 それは——八ツ当タリだった。彼は何も悪くないと、分かっているのに。元凶それは別にいると、分かっているのに。


(彼さえいなければ……)


 ——お前には分かるまい。


(……父さん)


 私は——貴方すら——信じることができません。貴方は——何も——語ってくれなかったから。

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