忘れられた原罪
てんかびと
第1章 失われた英雄
第1話 骨身に染みる洗礼
——人は死を告げられてから、残された時間を生き始める。決して後悔しないように。
***
「お嬢さま、お支度が整いました」
侍女が呼びかける声に、ふと我にかえる。おもむろに俯いた顔を上げると、明滅する稲光が鏡を照らした。
「はぁぁぁ……」
私は深いため息をつき、大きく
これ見よがしな態度に慣れ親しんだ侍女も、泣くでもなく重いため息をつく小さな主人に、思うところがないわけではなかった。
父親を亡くした悲しみに暮れるような境遇ではなかった。それを許すような情勢でもない。
「……行こっか」
絞り出すような声で呟き、よろよろと立ち上がった。扉に向かって、ふらふらと足を運び出す。
振り返ると、ひときわ
吊るされた影法師が逆光に浮かび上がったかと思うと、
(追い詰められると……)
——人は本当に幻覚を見るのね。
まるで
***
空気を切り裂くような雷鳴が
——ノクシオン公爵家の後継者として、長男テオドールを指名する。
——テオドールが成人を迎えるまで、選任された後見人が当主代理を務める。
淡々と遺言を読み上げる執事。耳を澄ませる聴衆。思い出したくもない記憶が、脳裏を駆け巡る。
——後見人は、長女ルシアが指名する。
「はぁぁぁ……」
明滅する視界に耐えきれず、そっと壁にもたれかかると、
「気分が
——大丈夫ですか?
常に冷静な彼女が、不安げな表情で緊張と焦りを声に含ませている。
——
エマは既に理解していた。専属侍女として
「皆様をすぐにお呼び……」
「待って!」
お兄様たちを呼びに行こうとする
「大丈夫だから……」
——行かないと。
自分に言い聞かせるように呟きながら、重い足取りで再び歩き始める。
すでに
——家族を守るために。
何かに取り憑かれたような主人を前にして、侍女は後ろ姿を見守るばかりだった。
✳︎✳︎✳︎
「兄さん、シアが来た」
ギルバートが
「シア、大丈夫かい?」
兄が妹を抱擁すると、ルーカスも駆け寄って、姉にぎゅっと抱きついた。
「これから部屋に入って、奥に置かれている
——何も心配する必要はないからね、と伝える兄の腕は、緊張からか少し震えていた。
「私は大丈夫。お兄さまがいるから」
(だから兄さまも安心して……)
十六歳という若さで公爵家を担う重圧は、世間知らずなお嬢さまにとって、察するに余りあるものだった。
何もできない自分が歯痒く、抱き返す腕に力が入る。
——せめて震えが収まるように。
「……ジャッジ」
兄は扉を開けるよう執事に呼びかけ、そっと身を離して笑みを浮かべた。
抱きついていた
(……ええいままよ!)
静まり返った室内に足を踏み入れると、突き刺すような鋭い視線が身体を貫いた。見知らぬ顔に、冷たい表情が張り付いている。
(……見世物になった気分で)
——心底不愉快だ。
「あれが娘の……」「後見人を選ぶ……」「まだ幼いのに……」
奥に進むにつれて、
「やはり次男であるダグラス
安置された棺に花を手向け終わり、促されるまま
——次男ダグラス・ノクシオン侯爵。歩く野心。彼を指名しなければ、私に明日はないだろう。
——三男エリアス・ノクシオン伯爵。歩く良心。彼を指名しなければ、私たちに明日はないだろう。
——長女イザベラ・セネット夫人。歩く姿は
(彼さえいなければ……)
亡き兄に別れを告げる
(どうして私なのですか? お父さま)
問いかけずにはいられなかった。
——故長男アルバート・ノクシオン公爵。帝国を導いた英雄よ。
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