第2話 葬られた英雄

 棺は伝統的な二頭立て馬車に載せられ、歴代当主が眠る墓地まで運ばれる。沿道は亡き英雄を悼む領民に埋め尽くされていた。


 中には泣き崩れる崇拝者もいるもんだ。


(……まだ道が乾き切っていないだろうに)


 ——服が汚れはしないだろうか。


 窓から外を覗き見て、他愛もない思いを寄せる。時折雲が流れて陽光が差し込み、霧が晴れるように思考が冴え渡っていく。


 ふと目を閉じた瞬間だった。



 ——どうして……私なのですか……?



 振り絞るような声がこだまする。内側から迫るように鼓動が高鳴り、冷や汗が肌を伝う感触が生々しい。不安。期待。恐怖。


 ——沸々と湧き上がる切実な想い。


(幻覚に続いて、幻聴まで……?)


 身体からだに降りかかる神秘的な異変に、人知れず酔いしれている頃だった。到着を告げる鐘が鳴り響き、それから馬車は動きを止めた。



 ***



 埋葬を終え、黙祷が捧げられた。肌に染み入るような静寂が心地よく、心が洗われるようだった。


 ——すべて忘れられたらいいのに。


 暖かな木漏れ日にいざなわれて、そっと目を開ける。隣に気配もなく人が立っていた。


 同い年ぐらいだろうか。顔は面紗ベールに覆われ、夜空が織り込まれた羽織を纏っている。今にも消え入りそうな姿に、目が離せない。


 ——涙が頬を伝っていた。


 ぼやけた視界を晴らすために、涙をぬぐった時だった。にわかにきびすを返したかと思うと、ひるがえった面紗ベールから青い瞳が顔を覗かせた。


 そして彼女と目が合った瞬間——


「シ・ア! みんな行っちゃうよ!」


 弟が呼びかける声に、ふと我にかえる。腕を揺さぶられる震動が身体を伝っていた。


 気づけば人はまばらになり、テオ兄さまはダグラス卿と、ギル兄はエリアス卿と相手をしているようだった。


「これから家に帰るんだってさ」


 馬車に戻ろうと歩き始めるルークを引き止めて、彼女を見たか問いかけようとした。


 ——すると。


 ざわつき始めた前方から、黒い霧が人を押し退けて、瞬く間に此方こちらへ飛び込んできた。


 ——あたかも獲物を追い詰めるように。


 襲い掛かられると思った瞬間。目前で霧から変貌した姿に、私は目を奪われた。


「シアから離れろ!」


 真っ先に異変を察知したギルバートが、抜刀した剣を振りかざす。


 ——だが。


 彼女は逆巻くような剣気を意にも介さず、ただ私を見据えて平然と問いかけた。



「オレに機会をくれないか?」



 澄んだ水面みなもを思わせるように、静謐せいひつを湛えた青い瞳が、私を捉えて離さなかった。


 ——それは。


 鋭く透き通った眼差しは。凜として清々しい声色は。揺るぎない自信に満ちていた。


「名を名乗れ……!」


 鋭くとがった剣先を首元に突きつけ、ギル兄は叫んだ。思わぬ事態に直面した参列者たちは、固唾かたずを呑んで見守るばかりだった。


「お……お名前は?」


 私が絞り出した声に、彼女は応えた。



「シエル・オルフェン」



 重厚にあおみがかった黒髪は、しなやかな腰まで伸びて揺らめき、透きとおるように青い内髪色インナーカラーきらめいていた。


「……オルフェン公か」

「いかにも」


(……初めから答えろよ)


 構えていた剣を下ろし、舞台は一段落したと告げるように、傍観していた参列者かれら一瞥いちべつをくれる。


 ——とっとと帰れ、と言わんばかりに。


「いかなる……ご用件でしょうか?」


 後継者テオドールが歩み寄り、彼女に問いかける。返答を聞こうと、皆が耳を澄ませていた。帰るはずもない。


「後見人を決めかねていると聞いた」



 ——オレがなろう、と。



 あまりに突拍子もない発言に、一同呆然としていたところ、沈黙を破る者もいた。



「正気とは思えませんな」



 ——ダグラス卿。


 穏やかな声音とは裏腹に、剣呑けんのんな目つきでにらみを効かせる姿に、緊迫した空気が場を包み込んだ。


小娘こむすめは気に入らないか?」

「すでに成人しているとうかがっておりますが」


余所者よそものが気に入らないか?」

「血縁では語れない関係もあるでしょう」


「それなら何が気に入らないんだ?」

「自ら深淵しんえんに足を踏み入れようとする……」



 ——揺るぎない意志です。



(……止められる大人がいないとは)


 聞く耳を持たない子供に手を焼く親とでもいうように、彼は深いため息をついた。


(……何とも嘆かわしいことだ)


 ——シエル・オルフェン。弱冠十六歳にして、オルフェン公爵位を継いだ異端児むすめ


 それは異様な光景だった。


 ——ダグラス卿が認めるはずもない。


 誰もが思っていた。いつ怒号や罵声が浴びせられるか、待ち望む者すらいたことだ。



(……正気とは思えないな)



 彼を除いて、矢面に立つ者がいない現実を直視して、俺は心中言い捨てた。


「テオドール卿」

「……詳しい話は、屋敷でいたしましょう」


叔父あれひるまず渡り合うとは……)


 ——俺は眼中にない訳だ。


 妙に納得がいきながら、沸々と湧き上がる対抗心を抑えようとも思わなかった。


「シア、ルーク……行くぞ」


 はーい、と手をつないで駆け出す二人を見ると、緊張感が薄れていくようだった。


「……待てって」


 並び立つ墓石を後にして、ギルバートも——影を追いかけるように——駆け出した。

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