第3話 果たされた遺言

「これより、家族会議を始めます」


 カンカン、と始まりを告げる——お手製——木槌が打ち鳴らされる。


「特別参加者ゲストは、なんと同い年オルフェン公です」

「よろしく」


 歓迎する拍手に包まれながら、公爵家を左右する一大会議が幕を開けた。



 ***



「議長」

「はい、オルフェン公」


「後見人が当主代理に任命されるとはいえ、実務は従来通り、ジャッジ卿が統括することを望んでいる」

「はい、仰る通りです」


 ——そうなれば。


「後見人として求められる役割は、財産管理云々ではなく、まさに後ろ盾となって、後継者とその家族を保護することにある」

「はい、仰る通りです」


「こうしている間にも、あわてん坊な刺客が庭に倒れている」

「はい……はい?」


「オレなら保護することができる。だから後見人として、当主代理を務めよう」


 さっぱりと至極簡潔な主張には、受け入れざるを得ない現実が込められていた。淡々と事実を突きつける清々しい口調が、逃れられない運命を物語っているようだった。


「議長」

「はい、ギルバート卿」


「あわてん坊をけしかけた黒幕に、心当たりはあるかを問いたい」

「エリアス卿に違いない」


(……ええ!?)


 これ見よがしに身を乗り出して、驚きを表現してみせたいところだった。


 ただ、あまりに、平然と言うものだから、実は、冗談かもかも? なんて、混乱しているからか、つまり結局、それどころではなかった。


「議長は如何いかがお考えか?」

「……仰る通りかと」


けいも同様か?」

「……ああ」


 会議に染まりきったように、やや大仰おおぎょうな言い回しが耳につく。


 私は困惑を隠そうと俯いた。一人取り残されたような感覚に襲われていた。


 自分だけ異なる世界で生きてきたような疎外感に、身体からだむしばまれるようで、身震いがとまらないの。



 ——これは私が知っている現実なの?



(……動機は何?)


 エリアス卿は、常に笑顔を絶やさない紳士で、私たち兄妹に優しく接してくれた。


 庭園を引きずり回すように連れ歩きながら、覚えたばかりの花言葉を熱心に伝える私を、温かい目で見守る彼の顔が……え?


 ——?


(……思い出せない)


 茫然自失。自我を置き去りにして、彷徨さまよい出るように記憶がたどられる。黒い霧が覆い隠した顔に、戸惑いよりも嫌悪感を覚える。


 ——嫌だ。思い出したくない——



「やめて!」



 私は叫ばずにはいられなかった。乖離かいりする現実と記憶に、世界が自分を否定する恐怖に耐えきれなかった。


「「「シア!」」」


 ——どうしたんだ!?


 皆が慌てて駆け寄った。震える身体に手を寄り添えた。ただ一人を除いて。



 ——ルシア嬢。



 落ち着いた声音が穏やかに響き渡った。あたかも波紋が広がるように。気づけば身体が動かない。金縛りにでもあったように。


「覚えているだろう? 出会いがしらに」


 ——伝えた願いを。


(……願い?)


 迫り来る霧から現れた姿。ひるがえる黒髪と羽織。そして——覗かせた青い瞳。


「オレに機会をくれないか? つぐなう機会を」


 ——私に。


 忌まわしい記憶を塗り替えるに飽き足らず、余韻に浸る暇も与えない。


「……貴女あなたを後見人に指名しろと?」

「そう」


「それで……何を償うというの?」

あざむいた罪を」


「……私を?」

「そう」


(……覚えはないけど)


 ありもしない罪を償うという人間を前にして、ルシアは妙に冷静になった。


 理由は分からないけど、家族を守るに足る能力と意志を備えた超越者アウローラが、力を貸してくれるという。


(嘘ではないだろうけど……)


 ——みんなは?


 彼女を選んで良いか、振り向いて問いかける。自然に震えは止まり、身体は動くようになっていた。


「願ってもないよ」

 笑みを浮かべる——テオ兄さま。


「別に構わない」

 少し悔しそうな——ギル兄。

 

「シアが良かったら」

 気遣わしげな——ルーク。


家族みんなを守るためには……)



「一つだけ約束してください!」



 意を決した力強い声が、議場を震わせた。


 気が向くままに机を勢いよくたたいたせいか、手のひらは熱を帯び、反発するようにうずき出していた。


「私と大切な人たちを守り抜くこと!!」


 ——いいですね!?


「ああ、もちろんだ」


 ——約束しよう、と。


 意気込んだ調子が身を退くにつれ、覚悟が固まっていくようだった。


(いいでしょう……くれてやりましょう!)



 ——罪を償う機会とやらを!!



「それでは、あなたを……」


 コホン、と小さく咳払い。すみに控えている執事に視線を送る。後はこれ見よがしに威儀を正して。



「私、ルシア・ノクシオンは、オルフェン公を後見人として指名します」



 毅然きぜんとした態度で告げる妹を前にして、テオドールは感慨深い気持ちでいっぱいだった。


 遺言が執行された瞬間を記録するに際して、ジャッジも思わず目頭が熱くなった。


「遺言は果たされた」


 彼女は席を立ちながら呟き、黒い霧と化して浮かび上がったかと思うと、此方こちらに飛び込んでくるように着地した。


 翻る長髪と羽織。一瞬怯えたルーカス。とっさにつかを握るギルバート。感嘆するテオドール。そして——揺るぎない意志が込められた——青い眼差し。



「次はオレが——約束を果たす番だ」



 カンカン、と始まりを告げる鐘が鳴り響いていた。それはもう——天高く。

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