第19話 死を告げられた現実

「目が覚めましたか?」

「……ああ」


 ——ようやくな。


 というように。枢機卿マザランは答えた。見慣れない天井——天蓋に、焦点を合わせながら。


「ここは……」

「ノクシオン本邸。客室です。ようこそ」


 ——いらっしゃい。


 というように。兄妹弟四人わたしたちは会釈で迎える。寝台そばから、ごきげんよう。よく眠れましたか?


 ——テオドールが代表して。


「……そうか」


 ——迷惑をかけたな。


 謝罪それに答える当事者シエル


「ああ。不審者そなたを招き入れるような安息地ところは」


 ——此処だけだからな。


「……そうか」


 ——苦労をかけたな。そんな言葉は、のどから奥に呑み込まれて帰って来なかった。あたかもあずかり知らないことだ、というように。


 彼にとって、彼女に助けられた事実は、闇に葬り去られるべき記憶——黒歴史に他ならなかった。


「私は……何をしていた?」

「同化していたな」)


(……無礼者め)


「……今は?」

「何も変わってはいない。相変わらず」


 ——気に喰わない面構えをしている。


「……ハッ! 相変わらず、小憎こにくらしい口だ!」


 ——だが。


「……どうかしていたな」

「一度呑み込まれたら、二度とは戻れない」


 ——其方は目覚めた。


反省それは訪れる。さいなまれるぞ。終わりなき悪夢に」


 ——死を告げられた現実に。


「……ハッ! ふざけるな!」


 ——其方が蒔いた……種であろうが……!


 低く渇き切った叫び声が部屋を震わせた。喉より奥から込み上げた叫び。喉が悲鳴を上げていた。


(……正気とは思えないな)


 他人ヒト所為セイにするなんて。ありえない。信じられないな。そのまま寝たきりになってしまうぞ。


 ——介錯それが。


 自然に訪れるかどうか、保証はできないぞ。握り締めるさやに、ついつい力が入ってしまうぞ。


 ——後悔はないな?


 軽蔑を込めた視線を、丁重に送り付けていた。


 ——だが。


「心中お察ししますよ」


 ——そう。


 確かに彼女は呟いた。貴女あんたに非があるとでも?


 ——どうして否定しないんだ?


(……思い遣りか? ……思い込みか?)


 ——信じることすら許さないとは。


(……大した悪役令嬢あくやくなことだ)


 ——いつまで演じるつもりなんだ?


 強気な態度が、似つかわしくないとは、決して思わないが。


 堂に入った大胆不敵な振る舞いは、あまりにも貴女に、お似合いな専売特許ふるまいだったから。


 ——定められた人物設定うんめいというように。



 ***



 目が覚めた不審者に職務質問おたずねすることは許されず、果たして無罪放免と相成った。


 当事者シエル釈放それで満足というもんだから。第三者たにんが関与すべき問題ではなかった。


 ——もはや他人事ひとごとでもなかったが。


 客室を貸した恩もある。決して水に流さないぞ。


「彼も被害者だ……とでも言うんだろ?」


 我ながら、やや喧嘩腰な尋ね方だった。どうせ貴女は、そう考えているはずだから。


「気に入らないか?」


(……ああ。気に入らないな……)


 そんな本音はおくびにも出さない。とはいかず。現実は非情だった。


「オレも呆れているよ」


(……何に?)


 ——気に喰わない面構えな彼に? 


(……彼を赦した自分に? それとも……)


 ——信じられない現実に?


(……いつも言葉が足りないな)


 そんな不々満々あれそれも、態度に出ていたことか。


「彼は一度——魔障に呑み込まれた」


 ——魔障それ精神アステルを侵蝕し、堕落させる残留思念メモリア


「現世に残された——未練」


 彼女は言葉を紡ぎ始めた。慎重に。選び抜かれた言葉を。あるがままに。捉えた現実を。ありのままに。自分の言葉で。伝え始めた。


「彼は——魔霊マゴイに憑依されていた」


 ——堕落した霊体エステルに憑依されていた。


自我エゴを保持するという根源的な欲求に囚われた」


 ——魑魅魍魎あやかしに。


 あたかも隠された真理を直観ちょっかんしているように。不可思議な説明だった。与太話であれば良いものを。


 ——要するに。


 気が狂ったんだろう? 自業自得。因果応報。


 ——自明な理だ。


「そして——彼は目覚めた。人間ヒトを超越した全能感に酔いしれていたことだ」


 ——だが、彼は取り残された。


「残された禁断症状」

「……」


残滓ざんしと混濁した記憶」

「……」


「乖離した記憶と現実」

「……」


「世界が自分を否定する恐怖」

「……」


「果たして彼は」

 

 ——正気でいられるだろうか。


「彼は新たな現実に苛まれることだろう」

「……だろうな」


(……それが理だ。知ったこっちゃないが……)


 ——所詮他人事だ。


「一件落着。彼には神罰が下された」


 ——めでたし、々々々々。


(罰を下したのは……貴女あんただろう)


 ——碌な神がいないもんだ。


 俺は心中言い捨てた。全く。正気とは思えないな。俺は。何をしていた? 結末を。見届けただけ。他でもない傍観者だろ?


 ——とっとと帰れよ。


(結局自分オマエも……彼奴アイツらと何も変わらない)


 後味を噛み締める。後悔。心残り。


 ——未練。


「あまり気にするな」


 ——所詮他人事だ。


(……どうして? 繰り返された言葉に……)


 ——怒りすら覚えているんだ……?


 一体いつまで他人事なんだ? 兄妹弟アイツらみんな家族だと。頼れる姉貴ができたと思ってる。


 どうして無関係なんだ? 家族同然とは思えないか? 問題児がいるからか? 十分な月日を共に過ごしていないからか?


 ——血が繋がっていないからか?


「他人事なんて、言うなよな」


 ——もう家族みたいなもんだろう。


 小っ恥ずかしい思いもない。本音を隠そうとしたところで、全て無駄なんだから。


 ——実体験。


 先程直面した非情な現実。嘘偽りない。


 ——非常な現実だった。


「それを聞いたら、彼も喜ぶだろう」


 ——かれ?


(……あれ? 枢機卿を気にしていたと……)


 ——思われていた? そんな馬鹿な!


 小っ恥ずかしい思いが、底から湧いて溢れ出る。無駄に察しが良い自分が恨めしい。


(……いや。察しが……)


 ——悪いのか? そんな阿呆な。


「冗談だ」

「……」


(……やっぱり言葉が足りないな)


 ——嗚呼ああ。怒りすら覚えるよ——


(……大した憎まれ役なことだ)


 全く。正気とは思えないな。一体いつまで寸劇こうなんだ? 彼女に。かなう日は来ることか? 俺に。


 ——燻る想いが。


 彼女は首元から髪をかき上げて、一息ついた。色鮮やかな内髪色は、青く透き通るように美しく、尚も健在だった。


 ——顕在だった。


(見間違いだった……みたいだな)


「これから何をするつもりだ?」


 ——鍛錬に付き合おうか?


「……はい、お願いします」


 ——よろしい。


 彼女は相変わらず、不敵な微笑みを。鋭くも、あたたかい眼差しを。俺に向けてくれた。


 他ならぬ——私に。

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