第20話 零れ落ちた夜

「エマ、起きてる?」

「はい、お嬢さま」


 果てなき暗闇——天蓋があるはずだけど——に向かい合いながら、瞳をとじて、問いかける。瞳をとじて、耳を傾ける。


 月明かりも届かない、真っ暗な部屋で。瞳をひらいて、私は語り始めた。


「最近ね、ふと思うの」

「……何をですか?」


 私は身構えた。新たな黒歴史が生まれる気配を、敏感に感じ取っていたから。


 それは——実体験だった。こうして大人になっても——大人になったからこそ——直面しようとは。


 非情な現実。運命とは——なんと残酷なものか。


「世界が作られた物語だったら、私は何者かなって」

「……もちろん、主人公ヒロインですよ」


 ——天使みたいなお顔ですから。


 主人をおだてる侍女。なにも問題はない。事実には違いない。


「物語を求めるは、人間には抑えられない衝動です。自明な理ですよ」


 ——誰しも幼い頃から、そうでしょうから、と。不思議なことではありませんよ、と。あたかも自分に、言い聞かせるように。


「最近ね、ふと感じるの」

「……何をですか?」


 あ、やめて。古傷をえぐらないで。お願いだから、ね? 良い子だから。


「私は異世界から、迷い込んでしまったんじゃないかって」


 うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。


「……エマ? 聞いてる?」

「……はい、お嬢さま」


 ——聞いてますよ。よく効いてますよ。


「きっと私は、此方こなたとは異なる彼方かなた——異なる世界で、生きていたのよ」

「……はい」


「そして此方こちらに迷い込んだ際に、記憶を失ってしまったんだわ」

「……はい」


「そう思わない?」

「……はい」


 ——思いません。少なくとも——現在いまは。そう——思いません。


「……イルーシャ」

「……はい?」


 ——なんと言いましたか?


「イルーシャ——そう……私を呼ぶ声が——聞こえるの」

「……イルーシャ」


 ——異邦いこく情緒あふれる名前。


「私は……イルーシャ。どうしてか、わからないけど、そんな気がするの」


 ——女ノ勘って奴ね、と。


 誤魔化すように、付け足された言葉。お嬢さま自身も——自分が言っていることを——とても真実だとは思えない、というように。


 それでも——だからこそ——不安で仕方ないんだろう。第三者わたしに——こんな話をするほどに。


「そんな話をしては、ミカエラ様が悲しみますよ」

「ミカエラ……お母さま。そうね……そうよね。身命いのちを賭して産んだ娘に……否定されるなんて」


 ——なんて……私は……親不孝な娘なの。


「いえ、お嬢さま。いいえ、決して……」

「……うん、わかってる。ただ記憶になくて……寂しいだけ」


 ——おいたわしや、お嬢さま。もう——お眠りなさいませ。


「……あれ?」



 ゾッ



 ——と背筋が冷えた。


「生まれ変わった設定ことにすれば、誰も不幸にならなくない……?」


 ぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。


「……エマ?」

「……不幸にならない——こともないと思いますよ」


 ——何を考えているんですか? そこまでにしておきなさい、というように。つい訴えるような口調になってしまった。


 そう、要するに——呆れた返答だった。新たな境地ですね。よくぞ——そこまで至りましたね。


「そうかなぁ」

「そうですよ」


 ——そういうものかな、と。おいたわしや、おいたわしや。もう——お休みなさい。お体が持ちませんよ。私が。


「……ルークと私って」

「…………はい」


「本当に双子なの?」

「……はい?」


 ——?


「お前とルーカスは、同じ頃に生まれた」


 ——あたかも、誰かから言われたように。だから双子なんだ、と。


「同じ頃に生まれたなんて、双子でいう?」

「……少し奇妙な言い回しですね」


 ——まるで別々に生まれたように、聞こえなくも……ない。


「思い出して、エマ。私とルークは、双子で生まれたんだよね?」

「……私が屋敷こちらに来たときには、すでに成長なされていましたから」


 ——そう……そうよね、と。放心気味な様子だった。おいたわしや。


(まさか……そんなはずは)


「私は——ノクシオンなの? 天使みたいな顔だなんて、誰にも……」



 ——似てないじゃない!!



「……信じられない!」

「……」


「私は……ノクシオンなの!?」

「……」


「みんなと……兄弟なの!?」

「……」


「本当に……!? 信じられない……!」

「……」


「もう……何も……信じられない!」

「……」



「信じられないの……!!」



 ——心が叫びたがっていた。だから叫んだ。心のままに。


 乱れた息遣いが、部屋にこだまする。心がきしんだ。軋んだ想いが、部屋中に鳴り響いていた。


「……シエル! いるんでしょう……!?」

「……」


「シエル! 答えて! 応えてよ……!」

「……」


「お願い! お願いだから……!」

「……」


「約束! 約束を……果たしてよ……!」

「……」


「罪を! 罪を……償いなさいよ……!」

「……」


「私を! 私を……欺いたんでしょう……!」

「……」



「シエル……!!」



 もはや——信じられなかった。


 叫びは闇に呑み込まれ、返事は返って来なかった。何を信じていいか。誰を信じていいか。わからない。なにもわからない。


 ただ——こたえてほしかった。


 むせび泣く夜なんて。悔しい。別れを告げたい。信じられない現実に——別れを告げたい。


 こらえきれない涙が——溢れ出る想いが——頬を伝って——こぼれ——落ちていった。


 。



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 。

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