第13話 下された破門

 御来訪から数日後、聖教会が声明を発表した。


 ——分かる者には、分かる物だった。


 皇帝をけなおとしめる美辞麗句が至る所に敷き詰められた、見るにも聞くにも堪えない代物だった。


 肝心な主張は、極めて簡潔だった。


 ——三大要求を承認した皇帝は、

 ——帝国神霊に背いた大罪人である。


 世俗にまみれた皇帝を弾劾する声明。


 ——それは。


 神憑性を否定する破門宣告であり、聖職者が下した宣戦布告だった。


 信憑性は何処吹く風。波紋はあまねく帝国中に広がり、人心を揺さぶった。


 帝国に厳しい冬が訪れようとしていた。


 ——はたから見れば。


 四公と聖教会が皇帝を見放した異常事態。余波は当然、ノクシオン公爵領にも吹き荒れた。



 ***



「大事件だぞ! シア!」


 妙に興奮したギル兄が、部屋に駆け込んできた。相次いで発行されている号外を手にしながら。


 私は寝台ベッドから起きたばかりで、憑き纏う睡魔に抗いながら、侍女が織り成す洗練された朝支度に、眠気に満ちた身を委ねているところだった。


「破門だぞ! 破門! 聖教会が皇帝を破門した!」

「……そうですかぁ。たいへんですねぇ……」


 ——未曾有みぞうな大事件だ!


 と一人で大騒ぎしている兄をよそに、鏡に映った娘と目を合わせる。かわいい天使が、そこにいた。


「相変わらず天使みたいなお顔ですね」


 手際よく作業を続ける侍女エマが、それとなく呟いた。真面目な表情を、一切崩すことなく。


(……心を読んだか? さては目覚めたな?)


 能面侍女に妙な疑惑を抱いた最中、まだ部屋にいた兄が口を挟んだ。未だ興奮冷めやらぬ調子で。


「三大要求! 破門声明! 歴史を覆す転換点!」


 ——いや


「特異点と言わずしてどうする! シア!」


(……どうもしませんが。どうかしてますよ……)


 ——これだから男って奴は。


 女性が身嗜みを整えている最中に。全く想いが重い兄ですこと。お疲れサマンサ。さよなライオン。


「我が家は、どう対応するか決まったんですか?」


 空想クウソウ彼方カナタまで飛んで行きそうな話題を現実に戻そうと、私は呆れ気味に尋ねた。御陰様様、覚めた目を向けて。冷ややかな調子で。妹思いな兄に。


「今頃、兄さんは頭を悩ましているだろうな」


(……なんで他人事?)


 そこまで騒いでおいて? 実は剣しか頭にない? いや、分かっていたけれども。ええ?


 ——何を考えているんですか?


 身体全体を揺らめかして、これ見よがしに目で訴える。伝わっているかは、誰にも分からない。


(……それでいいもん)


 ——当て付けに過ぎないんだから。


 奇行に走る妹を見て、何か想いが伝わったか、兄は黙って部屋を後にした。好い君です。なんて。



 ***



「どうするべきかな?」


 頭を抱えた私は、二人に意見を伺った。お先にどうぞ、と目で促す彼女。若者が年長者に順番を譲る。むべなるかな、というものです。


「ノクシオンは、皇室を支える最後ノ砦」


 ——付いて離れず。


「それがノクシオンであると。旦那様は常々仰っておりました」


 しみじみと語る執事ジャッジ。熱くなる目頭。最近、涙脆くなって困る。全く、正気とは思えませんな。


 ——いや、そんなことはさておき——


「皇室支持を表明するべき……ってこと?」

「はい、左様でございます」


 ——シエルは?

 ——同意する。


「決まったね」


 ——ノクシオンは皇室を支持する。


「これで決まり。誰も文句なし」


 ——めでたし、めでたし。


 というように。不安も悩みも雲散霧消。霧が晴れた爽快感に任せて、公子かれは話を切り上げた。


 ——だが。


 執事わたしは内心、不安に取り憑かれたままだった。


「聖教会に対しては、いかが対応いたしますか? 早急な対応が必要かと」


 常日頃、無闇に口を挟まないよう心がけている身としては、似つかわしくない行動だった。老婆心とは、かくなるものか。出過ぎた真似をした。


 ——衝動に駆られた愚か者め。

 ——分を弁えない不届き者め。


(……後悔先に立たず。後で悔やんだところで……)


 ——口を挟むな、ジャッジ。

 ——オマエには分かるまい。


 巡り巡る思考と記憶が、私を捉えて離さない。


「……ジャッジから尋ねてくれるなんて」


 ——雪でも降りそうだね。


 あはは、と。明るい声だった。頭にかかった霧を、吹き飛ばすように。明るく爽やかな声だった。


「……冗談だよ。まあ、本当に降りそうだけど」


 ——ありがとう、ジャッジ。


「僕は君に、積極的な姿勢を求めているんだよ」


 ——当代ぼくは、ね。


「何も分からないから」

「……左様で……ございましたか」


 ——そうだよ。


「自分が僕にとって、どれほど頼りになる存在か」


 ——よくわきまえておくように。


 冗談めかした口調で、主人が語る言葉に、耳を傾ける。澄ました耳で、そっと。開かれた目で。


「……はい。深く……心に刻んでおきます……」


 ——!


「……失礼」


 こぼれた涙を、そっと拭い取る。歳を取ると、涙脆くなって困る。今なら、私にも分かる。


 ——分かる者には、分かる事だった。


「……失礼いたしました。それでは……」


 ——いかなる対応をとるべきか。


 貴女ノ番ですよ、と目で促す執事。年長者が若者に機会を譲る。むべなるかな、というものです。


(……良き時代となったことです)


「ノクシオンは、帝国を支える最後ノ砦」


 ——憑いて離れず。


「それが黒影一族ノクシオンであると。骨身に染みる教訓」


 ——洗礼を、聖教会かれらに施してやろう。


「あ……はい」


 思わず気が抜けた返答をしてしまった。有言実行。俗世を超越した存在。頼りになる超越者アウローラ


(災難だな……身から出た錆だけど)


 狙った獲物は逃さない——憑いて離れず。


 刺客を抱え込んだ元凶に情けをかけるほど、彼女は甘くない……はず。


 ——自業自得。

 ——因果応報。


 聖教会は、彼を見放された皇帝だと見誤った罰——報いを受ける運命と相成った。


 そもそも皇帝を狙うか? 普通。ありえない。正気とは思えませんな。


「テオドール、留守番を」

「……任されました」


 ——児戯は終わりだ。


 というように。彼女は粛々と歩を進めた。


 ——それが、運命というように——

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