第12話 忌憚ない要求

「準備は宜しいでしょうか」


 皇宮某所、煌びやかな一室。皇帝陛下と皇太子殿下を前にして、第一秘書官ローレンスは、恭しく申し上げた。


 私と父が頷いた様子を確認し、膝をかがめて、床を手の甲で叩くこと三回。私たちをかたどった黒影が揺らめき、足元から全身を取り巻くように包み込む。


「お気を付けて行ってらっしゃ……いま……せ」


 ——気付けば。


 公爵邸門前に降り立っている。


「ようこそ、遥々はるばる遠いところを」


 ——皇帝陛下、ならびに皇太子殿下。


 門扉もんぴを少し入ったところ、庭と同化したような木椅子に腰掛けていた少女が、おもむろに近寄りながら、挨拶申し上げてきた。


「執事はどうした?」


 ——もう其方が殺したか? 


「門番すらいないとは」

「彼らは優秀ですから」


 ——空気を読んだんですよ。


忌憚きたんないお言葉をいただけるように」


 彼女は腕を振り、持ち場に戻るよう、奥に控える門番に合図した。


「では、参りましょうか」


 今にも折れてしまいそうな、細くしなやかな身体つき。しなやかなだけあって、簡単には折れないことだろう。


 ——それでも。


(まだ十六歳とは……)


 ——それは、遠くない未来——


 風に揺らめく羽織では、覆い尽くせない自然体ナニカが——隠された正体が、姿を現すことだろう。


 フリードリヒ・セレスティス——新たな皇太子は、そんな予感に満ちた胸を抱えて、公爵邸に歩み出していた。



 ***



 通された応接室は、古風ながらおもむきがあり、迎える執事も恭しく、あたたかな敬意が込められた、立派な応対だった。


「三大要求を突き付けられた」


 ——と伺いましたが?


 扱いに注意を要する問題を手掴みで、単刀直入に切り出された話。これ以上は、くれぐれも刺激しないで穏便に、と祈ったところだった。


「仔細は、書面で明示した通りだ。確認したな?」

「ええ」


(……落ち着いている)


 ——正気を取り戻したみたいだ。


 人知れず隣で、そっと胸を撫で下ろす皇太子むすこ。それが私だった。机に書状が広げられる。突き付けられた三大要求。意気衝天、高々と掲げられていた。


 1. 四公に、選帝権——皇帝を選定する権限——を付与する。

 2. 四公に、領邦俗権——各方領を統治する最高かつ排他的な世俗的権限——を付与する。

 3. 四公に、領邦教権——各方領内教会を統治する最高かつ排他的な宗教的権限——を付与する。


 ——それは。


 解離かいりした聖俗両権を統合する試みであり、領邦主権を確立させる脅迫状であった。


 権限を付与したら最後、もはや独立邦たにんであるという意思表示。選帝公として手綱を握り締めながら。


「これを認めるとは」


 ——正気とは思えませんね。


 挑発するような言動に、どきりと胸が飛び跳ねる。気が気でない。いくらでも言葉は選べるだろうに。やめてくれ。頼むから。


 ——だが。


「分かっている」


 父上は変わらず、落ち着いた様子だった。彼は皇帝だった。帝国を統治する皇帝陛下として、責任ある態度を貫こうとしていた。


「君臨すれども統治せず。これから皇帝わたしは、象徴として君臨するだけだ」

「皇帝として責任ある態度とは思えませんね」


 ——私に帝国を守護する能力はないからな。


「……娘として答えよ」

「どうぞ」


西方領主ルドルフは……信用できる父親おとこか? 帝国を守護する決意を……胸に秘めていると思うか?」

「帝国を守護する四方領主という役割を、放棄しようという男が——ですか?」


「……娘として答えよ」

「もちろんです」


 静謐を湛えた青い瞳——鋭く透き通った眼差しは、父上を捉えて離さなかった。


母親ははが生まれ育った故郷を」


 ——焼け跡にするような父親おとこではありません。


「……そうか。そう……そうであろうな」


 ——あの無礼者おとこは。


「しかし」


 ——只事ではありませんね。


「四公に選帝権を付与するとは」

「……直接話は聞いた。意味するところは……」


 ——分かっている。


 神妙な面持ちで、父上は言葉を紡ぐ。


「彼らは私を信用できないんだ」


 ——少なくとも。


「これから信用できなくなるんだと」

「……父上!」


(……どうして口を挟まずにいられようか)


 自らを貶める発言に、息子として黙っていられるはずがない。弱音を吐く父上なんて。


「父上は……」

「フリッツ」


 ——黙れ! 言いたいことは分かっている! そこまで馬鹿にされて堪るものか!


 というように。発言は阻止された。


 ——そして。


 あたかも病状を家族に説明するが如く、彼女は第三者である私に向かって告げた。


「彼を狙う不遜な輩が息を潜めている。操り人形にされていないか、くれぐれも注意するように」


 ——其方がな。

 ——其方もな。


「……そんなことは」


 ——ありえない。


 と声に出そうとして、咄嗟に口をつぐんだ。


(……だから、父上は……)


 私は納得した自分を不快に思いながらも、矛先を現実に帰そうと我に返った。他人事ではない。


 ——認めよう。これは——


 皇室を揺るがす大問題だ。もしおおやけになれば、世俗を超越した皇帝——神聖皇帝たる権威は、完全に失墜することだろう。


 ——そして、そうなれば——


(私と母上も危うい……)


 漸く事態を呑み込めた私は、言葉が出なかった。


「聖職諸侯は? 激昂する姿が目に浮かぶが」

「ああ、浮かんだ通りだ」


 歳月を共にした宰相と話すように、熟練された応酬やりとりだった。私が口を挟む余地なんて、もとよりなかったんだ。


 ——それでも、話に喰らい付いていかねば——


 新たに提出された草案か? 父上が書状を取り出し、机に広げて、該当箇所を指差した。


 ——選定された「選帝侯」に、

 ——皇帝を選定する権利を認める。


「新たに選帝侯を選定するとは」

たわけた戯言ざれごとだ」


「聖職諸侯を含む諸侯から?」

「俗世に干渉する不届き者共だ」


 ——成敗してくれて構わないぞ。


「領邦教権なんて認めるはずもないな」

「止める手筈もないはずだが」


「切り札を信用していることだ」

「……過去は嘘を吐かない」


 ——記憶は嘘を吐くとでも?


 陛下と公爵を取り巻く神妙な空気。口を挟むは野暮というもの。私は空気。ただ耳を傾けること。それだけが許されていた。


 ——ただ、それだけが——


 私に許された特権であり、義務であった。

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