第2章 英雄なき時代

第11話 青天ノ黎明

 ——それは、

 ——即位式前夜、空を覆った青天セイテン霹靂ヘキレキ


 急転直下。秘密裡に。既に事態は動き出していた。誰も予期せぬ方向に。


 ——そう、当時者かれらを除いて——



 ***



 ——四公よんこうが皇室に三大要求を突きつけた。


 号外は空を飛び交い、紙面は大いに賑わい、市街は浮かれ騒ぎ、お祭り騒ぎな活況を呈していた。


 切り拓かれる新たな時代に。語り継がれる異常な事態に。歴史を根底からくつがえす転換点に。


 ——自分達は生きているんだ。


 熱に浮かされた戯言が、人々を駆り立てた。


 帝国に激震が走る。歴史に刻まれた過去が、再び世界を呑み込もうとしていた。


 西は皇室直轄領、東はノクシオン公爵領で構成される中央領は、四方を四大公爵領に囲まれている。


 各方領は半ば独立した自治権を有し、「四公」と総じて称される四大公爵を、各々領主に据えて統治されていた。


 ——それは、遥か彼方なる時代——


 異なる文化と価値観を有する部族同士が、互いに争い合う時代があった名残り。


 西は、煌天族スカーレイ

 東は、楻天族エメリィ

 北は、堭天族アンブレイ

 南は、湟天族アズリィ


 ——そして、交易中心地にして緩衝地帯たる——


 中央は、鍠天族シルヴィ


 各々覇権を握った部族が領地を形成し、手に負えない共通なる敵を迎えて、大同団結するに至った。


 ——それこそが、現在における帝国ライヒ——


 少なくとも——現在いままでは。



 ***



「いったい……どういうつもりか」


 ——説明してもらおうか?


 皇帝と五公で構成される実質的な最高意思決定機関——通称「円卓会議ラウンド」が招集されていた。


 ——本来であれば。


 盛大に開催される即位式を控え、四公が新たな皇帝陛下を迎え奉り、適当に祝辞でも述べて解散していたことだろう。


 ——しかし、そうは問屋が卸さなかった——


「先日、書面で明示した通りだ」


 ——読めば分かるだろう。


「……相変わらず礼儀を知らないな」


 ——ルドルフ。


 西方領スカーリアを統治する男——ルドルフ・スカーレイが淡々と冷めた調子で答えると、ハインリヒは呆れた調子で言い捨てた。


「娘を嘲笑あざわらった男に、礼儀を尽くす父親はいない」


 私は堪え切れなかった。


「妹を殺した小娘に!」


 ——礼儀を尽くす兄などいない……!


 嫌悪を通り越して歯を剥き出した憎悪が、意を決しなかった過去を後悔するような叫びが、議場を震わせた。


 抑え切れない怒りを打ちつけるように、円卓を勢いよく叩いたせいか、手のひらは熱を帯び、反発するように疼き出していた。


「……娘を信じない父親などいない」

「……ハッ! 信じ切れない父親など……」


 ——山ほどいるだろう……!


「兄上」


 確固とした声音が、穏やかに響き渡った。あたかも波紋が広がるが如く。


 耳を傾けずにはいられない。目を向けずにはいられない。慣れ親しんだ声。慣れ親しんだ顔。


 そして——日常羽織トレードマーク


「……ハイゼル」

「落ち着きましょう、兄上」


 乱れた息が収まるにつれ、理性が思考を巡らせ始めていた。行き場を見失ってはいない。まだ遅くはない。抑えつける気など到底ない。


 ——だが。


 立ち上がった身を下ろす。身体を椅子に落ち着けた。冷静になる。合わせる顔が無い。顔前で組んだ手に。ひたいを押し付ける。項垂れた。


(……視線を合わせることなんて)


 ——どうしてできようか?


「……苦労をかけるな」

「いえ……気持ちは分かりますから」


 閉じた瞳を開き、彼に呼びかける。


 ——ルドルフ。


 仇敵かたきを庇う相手だ。合わせる視線も顔も、あるはずがない。それで良いではないか。


「……其方が、数少ない父親それだから。其方に免じて、手を下さずにいるんだ」

「ああ」


「其方が庇わなければ、私が殺していた」

「……心中お察しする」


 ——それで。


「何が目的だ?」

「万全を期して、敵を迎え撃つ」


「皇室は必要ないか?」

「迎え撃つは、四方領主われわれだ」


 ——ただ。


「敵が入り込んでいる。共倒れは御免被るからな」

「まさか……此方に?」


 ——中央領こなた四方領かなたも知らないが。


おのが身は、おのれで守る。ただ、それだけだ」


 円卓を沈黙が駆け巡る。暗黙ノ了解。ただ、何事も確認は必要だ。ただ、それだけだった。


「骨身に染みた教訓を、もう忘れたか?」


 ——誰も信用しない。それが——


「……当代五公わたしたちだろう」


 沈黙は肯定。ただ、皇帝は黙認すべき生き物ではない。ただ、それだけだった。


「……承知した」


 ——だが。


「此方を……いったい誰が守ろうか……?」


 ——英雄なき時代に。


「兄上……」


(ハイゼルに無理をさせる訳には……)


 ——だが。


(私には……荷が重すぎる……)


 自分に帝国を守護する能力がないことは、自分が一番分かっている。全く分不相応な役職だ。


 ——嗚呼ああ。弱音を吐く皇帝なんて——


「小娘では気に入らないか?」

「……なんだと?」


 ——我が愛娘まなむすめでは気に入らないか?


「そう……聞いているんだ」

「……未婚にもかかわらず、別姓を名乗る愛娘か」


 ——大した親子愛だ。

 ——それほどでもあるが。


「後悔先に立たず。今を生きる大した娘だ」

「親馬鹿……此処に極まれりだな」

「信じ切っているからな」


(……誰も信用しない。もう忘れたか……?)


 ——否。


(……気持ちは分かる。だからこそ……)


「……人は」

「……ん?」


 ——人は死を告げられてから、残された時間を生き始める。決して後悔しないように。


(……運命付けられた)


「……骨身に染みる洗礼を受ける生き物だ」

「娘は堕落それを否定した」


「神に逆らう気か?」

「神と共にある」


「……正気とは思えないな」

「娘は正気それを否定した。認めるときだ」


 ——俺達は正気ではない。


「……本気か?」

「真剣を取り出そうか?」


 立て掛けられた鞘に、彼は手を伸ばして見せた。新たな時代を切り拓こうと、揺るぎない意志を示して見せた。


「後悔先に立たず。現在いまを生きるときだ」


(……相変わらず礼儀を知らない男だ)


 ——どうかしている奴だ。


「……頼りになるんだろうな? 人死にはもう……」


 ——御免被るからな。


(家族を失う悲しみには……慣れないものだ……)


 不慣れな現実に、苛立ちを隠せない。そんな自分にも腹が立つ。もう疲れた。もう休みたい。非情な現実に別れを告げたい。


 ——もちろんだ。


「自慢の娘だからな」


 ——それは、

 ——晴天が空を覆い尽くした、とある昼下がり。


 後世において「大空位時代」と語り継がれる新たな時代が、今まさに幕を開けようとしていた。

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