第14話 与えられた鉄槌

「これから出発すると?」


(……信じられませんが)


「ああ、早いに越したことはない」


 足を止める気がない彼女。


(それにしても……)


「拙速ではありませんか?」

「拙速は巧遅に勝る」


 歩調を緩める気がない彼女。


「立ち止まる気なんて……ないんですよね」

「ああ」


 ——既に賽は投げられた。

 ——立ち止まる迄も無い。


「約束したからな」


 ——家族を守り抜く。

 ——今度こそ。



 ***



 ——神に遣わされた天才。


 そう謳われた男が、一人座り込んでいた。


 眼前に据えられた彫像には、「神が遣わした神秘」を意味する古代語。厳かな雰囲気を醸し出す神聖文字が彫り込まれていた。


 ——神は世界を霊気エーテルで満たされた。


 万物に霊気は宿る。生きて活動しているか。死して休止しているか。違いはあるものだが。


 身体は器である。大気に漂う霊気——生きて活動している霊気を、取り込み、溜め込む器である。


 物体は休止した——形を成した霊気である。死して活動を停止し、再び動き出すことはない。


 ——それこそが、

 ——世界に秘められた神理。


 聖典『創世記』は、く語りき。


 神理を否定する存在は、鬼か悪魔か。少なくとも、人理を超越した存在に他ならない。


 ——超越者アウローラ


 それは、

 神理を否定する存在。


 ——否定者アンノゥン


 天命にあらがい、運命にそむく。

 予定調和にあらざる存在。


 ——非天アスラ


 ある者から見れば、それは鬼人オニビトであった。

 ある者から見れば、それは魔人マジンであった。


 何事にも先人がいる世界だ。


 先人は東ノ森に居を構え、東ノ魔人と称された。彼女を受け継ぐ者。正確には従姉妹いとこだが。ムスメ


 ——東ノ魔女、と彼女は称された。


「……ユニウェル。彼女も大きくなったものだ……」


 ——其方は知っているか?


 感傷に浸っている最中、彼方から靴音が近付いてきた。見たくもない顔からは、目を背けるに限る。


 ——振り返る迄も無い。


「スターク枢機卿。少しは反省したかね?」


 地下に設けられた祈祷室——通称「徴罰房」——を訪れた男は、非常に不愉快な笑みを浮かべているに違いない。


 神に遣わされた——気分を害する——天才であると、彼自身も自負しているに違いない。そうでなくては、人前で笑うことなど到底できないはずだ。


「いえ、まったく」


 ——反省していません、と背中で語る。


「……気に入らないな。何を反省すべきかすら、理解していない面構えをしている」


(……お前には……何が見えているんだ?)


 なにより生まれて此ノ方、此ノ顔だ。そう、これからも。一生理解する機会はないことだ。


「反省すべきは、貴方です。マザラン枢機卿」

「……愚か者め。神を信じないとでも? 教皇聖下を信じないとでも? それとも……」


 ——彼女を信じないとでも?


「信じる信じないではありません、猊下げいか


 ——いい加減、目を覚まして下さい。


「まだ間に合います。いえ、今を逃せば……」


 ——手遅れになります。


 と言葉を紡ごうとした——刹那。


 縦横無尽。天井から壁に亀裂が走る。漂う大気は恐怖に駆られ、怯えるように振動し始める。


 ——異変を察知するには十分だった。


「……何事だ!?」

「……哀れな狼少女です」


 天地鳴動。亀裂が四方を満たした瞬間。


 ——世界が破裂した。


 例えるなら、視界を覆い尽くした硝子ガラスが、一気呵成に割れた衝撃音。水を差された興奮も冷めやらず、黒い霧がさらい出すように我々を覆った。


「……馬鹿な。ありえない……」


 信じられないほど、情けない声だった。


 ——気づけば、全てが無に帰していた——


 地上に放り出された敬虔なる信徒達は、何が起きたかも分からず、呆然と立ち尽くすか、地に膝を突いて、赦しを乞い続けていた。


ひとさみしく囚われの身とは、情けないことです」


 ——ああ、お仲間さんがいましたね——


 とぼけた調子で、軽やかな口調だった。相変わらず喧嘩腰な点さえ除けば、母親に瓜二つな少女だ。


 ——ああ、髪色を忘れていたか——


「……ウィシェル」

「こんなことだろうと思いました」


 ——杞憂に終わらず何よりです。


「……好きで囚われた訳ではない」

「皆さん、後には」


 ——そう仰います。


「……他意はないんだ」

「他愛もないことですから」


 ——お気になさらず。


 相変わらず堅物な彼に、彼女は幾分か親しげな調子で、幾分か棘を含んだ口調だった。


「……まだ気が済まないか?」

「中途半端な余興では」


 ——不興を買ってしまいますから。


「……次は、何をするつもりだ?」

「古今東西、怒りを現すとしたら」


 ——落雷あれでしょう。


 余韻を残して、彼女は暗闇に消え去った。


 ——否。


 黒い霧に攫われて、彼女を残して、我々は消え去った。教会跡地に存在した信徒達すべてを、霧が覆い隠して、前庭に移動させていた。


 ——神隠しとは、かくなるものか。


 立ち退き避難。隔離したんだ。降り注ぐ災難から。我々を。鉄槌てっついを下そうと。我々に。


「忘れられない教訓を」



 ——雷閃バルカ



 瞬く間に目が眩むような閃光。


 ——大気に亀裂が走る。

 ——大地に激震が走る。


 予感それを現実とする雷鳴轟くような一撃。


 ——蒼き雷霆。

 ——天地神明が下した裁き。


 神鳴それを彼女は繰り出した。


 ——おお、運命ノ女神よ——


 敬虔な信徒達かれらに存在を証明するには、十分な一撃だった。正真正銘。俗世を超越した存在。



 ——超越者わたしは此処にいる、と。



 ***



 黙祷。捧げられた祈り。空から降り始めた雨は、怒りをなだめるように、そっと頬を伝っていた。


 沈黙。沈められた怒り。底知れない深淵は、地べたをつくばるように、孤独な少女をかたどっていた。


神霊あなたは嘘を吐きませんね」


 唖然とした信徒群かれらから、突如清らかな声が届けられた。雨に打たれながらも、彼女に近付く人影。


 ——いかにも神聖なる趣を湛えた、

 ——白い面紗ベール


 ——黒い司祭服とは一線を画した、

 ——白い祭司服。


「風邪を引くぞ」

「あら。魔女あなたにも、人を思い遣る心があるとは」


 ——罪深き者ですね、

 ——神とやらは。


「主を愚弄ぐろうする聖人とは」


 ——全く難儀な奴だ、

 ——神とやらは。


 以心伝心。にこりと微笑んだかと思うと、相も変わらず清らかな声で、自己紹介を忘れなかった。


 ——存在を脳裏に刻み込むように。


「私は、アナスタシア・アルビオン」


 ——恐れ多くも、

 ——聖女を冠された者です。


 セレスティア大聖教会——通称「教皇庁」——は、一夜にして焼け跡が残るのみとなった。

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