第16話 赦されざる禁忌

「随分と派手にらかしたな」


 教皇庁消失——という見出しが、日報一面に踊っている。分かる者には、分かる事だった。教皇庁は、存在を否定され、文字通り消滅した、と。


 下手人は当然——彼女アウローラだった。神が遣わした神秘——霊気エーテルを否定する者。本当かも原理も知らないが。それもまた神秘。


「神を恐れぬ存在に……感謝する日が来ようとはな」


 ——感謝。


 皇帝陛下ちちうえが呟いた一言が、どれほど大きな意味を持っていたか。未熟な皇太子わたしには、理解できなかった。


「感謝される筋合いはありません。それに——」


 ——恐れていないとは限らない、というように。彼女は言葉を紡がなかった。ただ余韻を残すのみだった。


「……疲れたことだろう。身を休めると良い、と言いたいところだが……」

「ええ」


 ——わかっています、と。自分に言い聞かせているようだった。


「……すまんな」


 それは何に対する謝罪だっただろうか。


 ——謝られる筋合いもありませんよ、と。彼女は呟いた。



 ***



「大事件だぞ! シア!」


 妙に興奮したギル兄が、部屋に駆け込んできた。相次いで発行されている号外を手にしながら。


 ——あれ? と既視感。よくも大事件が、次から次へと、そう頻繁に。


後見人アイツ、やりやがったぞ! 教皇庁を消滅させた! もはや戦争だ! だから聖女アレが来てたんだ! えらいことだぞ!」


(お兄さまも……まだ十四歳ですもんね)


 ——戦いに興奮して、漠然と憧れてしまうことも、仕方ないことよね。


「戦争だなんて……縁起でもない。軽々しく口に出しては、いけませんよ」


 類を変えた成果が出ていたか、話を合わせることはしなかった。言うべきことは、言わないといけない。御令嬢として。淑女として。人として。


 いや——もとから興味がなかっただけかな。


「……そうだな。悪かった。ただ——大事件には変わりない」


 ——下手人アイツが何をしたか、よく理解しておくように、と。


 号外それを置いて、部屋を去っていった。



 ***



「お嬢さま、お呼びでしょうか?」

「ジャッジ! そう。貴方あなたに聞きたいことがあって、呼んだの」


 ——なんなりと、お尋ねください、と。


彼女シエルは……何者なの?」


 今更だよね、と恥じらいを隠せない。でも頼れる執事ジャッジなら、丁寧に答えてくれることだろう。間違っても、からかったりはしない。そう、紳士ジャッジだから。


「お嬢さまも御存知かと存じますが、彼女は超越者アウローラであると伺っております」

「詳しく説明してもらっても?」


 ——もちろんでございます、と。わかりやすいように、少し言葉を崩して。しかし、丁寧に。


「世界は霊気で構成されていると、学んだことでしょう」

「うん」


「生きて活動する霊気を利用することで、我々は様々な恩恵を享受しております」

「……うん」


「ただ——死して活動を停止した霊気を、再び活動させることは、できません。死は平等に訪れます。死はくつがえりません。それが理というものです」

「……なるほど?」


「人智が及ぶ限りでは、死は覆りません。だからこそ、人智を超えた者を——死を覆した者を——超越者アウローラと呼んでおります」

「……霊気が活動を再開すると、物体はどうなるの?」


はたから見れば、気化したように見えることです。雲散霧消。あたかも消滅したように」

「……命を吹き込むと、形を失うのね」


 ——あれ?


「それでは……」


 ——いや。


「彼女は……」


 ——そんなはずがない。


「死者をよみがえらせることも……」


 ——そんなはずは……ない。


「できるの?」


 ——そうに決まっている。


「まさに言い得て妙、と言いますか。命を吹き込むと、形を失う」


 教師ジャッジは続けた。生徒が成長した瞬間に立ち会って、教師冥利に尽きる、というように。少し興奮した調子で。まくし立てるように。


「身体は器に例えられますが、その器——身体そのものもまた、物体です。もしも死者を蘇らせようとすれば、おそらく死体が消滅する——まさに引導を渡すことに、現世から痕跡を消し去ることに、なるでしょう」

「……彼女は試したのかな?」


 それは開けてはならない引き出し——不可触パンドラノ箱だった。


「……はい?」

彼女シエルは……死者を蘇らせようとしたことが……あるのかな?」


「それは……」


 ——赦されざる禁忌です、というように。常識人ジャッジは口をつぐんだ。


 そして音もなく——影は忍び寄っていた。


「あった」


 ——神域それおかそうとしたことが、と。


 背後から突きつけられた告白に、胸が高鳴った。それは文字通り——激しい鼓動が、高らかに鳴り響いた——それだけであったが。


「授業は終わり。今日は、そこまで」


 有無を言わせぬように。淡々と。


(彼女に触れることは許されない……)


 ——意志それを彼女は、否定することだろう。


 いかなる物体も力も、霊気に満ちた存在・現象である限り、彼女に触れることは許されない。接触それを彼女は、否定することだろう。


超越者アウローラが、不可触民パンドゥーラ——賎民せんみんだなんて……)


 ——皮肉なことね、と。


 それは——頭に浮かんだ言葉遊びだった。失礼にも程がある。わかっているんだから。


 ただ——単なる言葉遊びではない——なにか世界が抱え込んだ真理、人間が抱え込んだ心理を、言い当てているような気がした。


(勘違いかもしれないけど……)


 だって——当てにならないものだから。女ノ勘というものは。


 彼女は選民、されど賎民。文字通りな意味かは、問題ではない。ただ接触をはばかるべき存在。だからこそ——不可触民せんみん


 そう、少なくとも——彼女が直面した現実——世界が残酷な一面を持つことは、誰もが了解できることだった。


 私も直面したばかりだったからね。

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