第7話 開かれた悟り
「皇室典範に従い、皇太子ハインリヒ・セレスティスが、皇帝ハインリヒ一世として即位する。それで良いではありませんか」
——そう思わないかい?
私に目配せする彼。新手な嫌がらせ?
——誰も異議を唱えておりませんよ。
皇太子に目を泳がせつつ、ただ首肯する。
(……そもそも)
——会議が始まってもいないけど。
「……もちろんだ」
——まさか異議を唱える者はおるまい?
彼は、ようやく足を動かした。
(……歳は取りたくないものだ)
——少なくとも、あのようには。
もはや悟りを得たように、余裕
(……
内なる叔父さんに語りかける。正気とは思えませんな、と再生される声——ふっと口元が緩んだ。
「何がおかしい?」
——油断。
溢れ出る敵意を抑える気すらない狂人に、目を憑けられるなんて。
(……勘弁してくれ)
滅多無性に見境なく噛み付く狂犬に、そろそろ嫌気が差してきた。いつ怒号や罵声が浴びせられるか怯える日々なんて。
(……想像したくもない)
(……私なら耐えられないよ)
第一声を発しようとした時だった。
「殿下」
「……スターク枢機卿。なにごとだ?」
——口を挟むとは。
「彼女が恐れ多くも、不遜な態度を示したことは事実です」
——が。
「自ら反抗する機会を捨てるとなれば、反省する機会が与えられてこそ、慈悲深く慈愛に満ちた……」
——
(……反省? 一体何を言っているんだ?)
——御心に適うと何だ? 仲直りできるとでも? 答えは否。赤子でもわかる問題だ。空気を読めさえすれば。
——だが。
結果として、私は助かった。不条理を押しつける大人に助けられた。彼女を犠牲にして。それだけが事実だった。
「彼女は異議を唱える機会を捨てることでしょう。罪に問うは御心に適いません。赦しを乞う機会こそ与えられるべきです」
——他ならぬ殿下に、赦しを乞う機会が。
「ほう……」
にやりと御機嫌を取り戻す殿下。兎にも角にも
——新たな戦端が開かれた。
「ありもしない罪に赦しを乞えとは」
「自覚する必要はありません」
「さぞや不条理に慣れ親しんだことだ」
「ええ、自負しております」
「なんと哀れな子羊か」
「情け深い狼には、頭が上がりませんね」
——心にもないことを、と誰もが思っていた。決して声には出さないが。
「器量に恵まれて幸いか?」
「お陰様でしょう」
「不毛な善行を積んできたことか」
「ええ、自負しております」
「大した果報者だ」
「彼女には……足を向けて寝れませんね」
あてこすりすりと皮肉を効かせた不穏な会話に、
——いい気味だ。
心穢れた子供をよそに、心清らかな大人が場を収めた。
「お楽しみなところ悪いけど、会議を始めても良いかい?」
「「もちろん」」
妙に息が合った返答を受け、大公が目で促すと、ローレンス卿は胸を撫で下ろすように息を吐き、一拍置いてから粛々と告げた。
「ただ今から、会議を開催いたします」
***
「荒らすつもりはなかったの」
——嘘つけ!
ついうっかり目で訴えてしまう。決して声には出さないが。とばっちりを受けたような気分は、とても隠せるものではなかった。
——とんだ
図らずも脳裏に浮かんだ台詞を押し込める。何はともあれ。いずれにせよ。
——本心ではないんだから。
「ごめんね。巻き込みたいとは」
——思ってなかった。
「……巻き込むだろうとは」
——思ってた……ってこと?
議場を後にして、豪華
「……不安にさせると思って」
——言えなかったんだ、と。
はぁぁぁ……とため息をつく。彼女に宛てたものでもない。強いていうなら。
——自分を取り巻く運命に?
「あの
——阿呆。途端に口も悪くなる。
「切り札を隠すつもりもない。見せびらかさなくては気が済まない。大きな子供だ」
——相手にもならない、とでもいうように彼女は言い捨てた。不安に思うことはない、とでもいうように。
(……少なくとも)
——相手にしたいとは思いませんが。
「そういえば……」
——ユニウェル。
声に出そうとして、とっさに口をつぐんだ。どうやら彼女と、ただならない関係な何者か。短気は損気。触らぬ神に祟りなし。
——否。
ただ臆病だっただけ。全て言い訳だ。緩んだ雰囲気に水を差すようで
「身体に起きた異変に、シアも内心不安だと思います」
話を逸らすように、必死に言葉を紡いだ。
「自分より私を気遣うような妹で、兄としては情けない限りですが、とても良い子なんです」
——どうか彼女を頼みます。
私は願いを託していた。
——それもまた本心だった。
「もちろん」
——心配することはない、と。
「約束したことだ。彼女と——大切な人たちを守り抜くと」
——其方も含めてな、というように。
穏やかな微笑みに隠された、決意を秘めた眼差しに、私は目を奪われた。
大胆不敵な態度を装った十六歳。
——そうだ。
不用意に嵐を招く必要はない。急に招かれても困るだろう。まだまだ先は長いんだから。
忌まわしい穢れた血。燦燦たるノクシオン。そして——超越者ユニウェル。
深淵から姿を現した怪物は、いかなる感情をたたえていることか。ただ同情することすら、私には許されないような気がした。
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