2.大と特大
邪神シュブ=ニグラスは眠らない。
いや、総ての邪神が眠らないわけでもなく、シュブ=ニグラスも“本来”であれば眠る。
ならば、なぜ“シュニス”は眠らないのか……。
別に昼寝をしすぎただとか、不眠症だとか、酷く不健康な生活リズムだから、などでは決してない。
眠ると言うことが“この世界”で必要のないものだからしないのである。
「あら、朝……」
だがそもそも、邪神の“睡眠”は睡眠欲からくる眠りではない。
「今日の朝ご飯はなにかしらぁ」
人は夢を見る。眠る故に。
邪神は眠る。夢を見る為に。
行為は似ているが、目的も前提も違う。
その最たるは
「……良い匂い」
シュニスは、自室を出て漂う匂いに緩く頬を綻ばす。
数ヶ月が経ったとはいえ、シュニスにとってそれは新鮮で、素晴らしいことである。
上機嫌でリビングダイニングに入ると、すぐ横のキッチンでタマキが料理をしているのが視界に入った。
「ん~♪」
鼻歌混じりに朝食を作っているタマキ。
部屋着であるキャミソールとショートパンツの上からエプロンをつけて、上機嫌に体を揺らす度に、その金色の髪が揺れる。
シュニスは相も変わらず瞑ったままの目でありながらも、タマキの安産型の臀部が左右に揺れるのを視界に収めつつ、呟く。
「あ~幸せ」
「ん、シュニスか……おはよっ」
呟いた言葉は届いていなかったようだが、シュニスに気づいたタマキが振り返り、上機嫌なまま朝の太陽の如く眩い笑顔を浮かべる。
シュニスは、“人智を超えたものが山ほど入っている”胸の奥に、ぽやぁっと不思議な温もりを感じ、そのまま本能に従うが如く、大して思考も働かせないままゆっくりとタマキへと近づいていく。
「っし、これで終わり」
一方のタマキはと言うと、ドレッシングをサラダにかけて、ボトルを置く。
「タマキ」
「ひゃっ!?」
背後から抱き着かれ、名を呼ばれ、思わず“男らしさの欠片もない”ような声を出しながら体をビクッと跳ねさせる。
背中に感じる大きく柔らかな二つの“ソレ”も原因ではあるだろうが、なにより背後から抱き着かれるという状態に顔を赤らめる。
こうなる前は決してそういう方面に明るくなかったタマキとしては、喜ぶべきなのだろうけれど……今はそうではない。
「な、なんだよぉ」
「夢みたいだなって……“人間らしく”言うと」
現実味がない、それほどの多幸感にシュニスは自身が崇高で神性な生物であるということすら忘れそうになる。いや、しかしシュブ=ニグラスのその姿としては正しい。
その姿をとっている限り、彼女は思考やらが人に近づくようにできているのだ。
だからこそ、感情や欲望に流されやすい。
「ちょっ、なんだよぉ……朝飯だろっ」
可愛らしい声から荒い口調でタマキが文句を垂れるが、シュニスは気にする様子もない。
背後から変わらず抱き着いたまま、タマキのうなじに顔を埋め、背後から回した手に少しばかり力を込めて、タマキを抱きしめる。
赤い顔のまま、眉を顰めるタマキはなぜシュニスがこういった行動に移ったか理解できていない。
シュニス自身も、上手く説明はできないだろう。
尤も、それは純粋で単純でもっと原初的な欲望である。
「タマキ……」
「ひゃっ、み、耳元で呼ぶなぁ……」
くすぐったさに身を捩るタマキを抱きしめていた手を緩めれば、タマキは少し前のめりになりキッチンへと体重をかける形になった。
そのまま、シュニスの手がタマキのキャミソールの裾の内側へと侵入……。
「んにゃっ!? こ、この、ばかぁっ……!」
「へ……って痛ぁっ!」
……しなかった。
「うぅ~っ……いったぁ」
タマキから僅かに離れて、肘で鈍く突かれた脇腹を押さえる。
らしくもなく、低い声で唸るように言うシュニスを少し心配そうに見ながらも、タマキはハッとして頭を振ると、相も変らぬ赤い顔でシュニスを“迫力なく”睨む。
一度は“体を許した”ものの、それは
だからこうして、流されそうになるもギリギリのところで踏みとどまっているのだ。
「朝から盛ってんじゃないっ……!」
そしてこれは、
◇
カグヤ本部のビル。
出勤時間ということもあり職員が続々と出社してくる中、シノブ・ケイラは人がまばらな食堂の窓際のソファ席にいた。
静かにコーヒーを飲みながら、テーブルの上に置いた携帯端末でニュース記事を読む。
カグヤ本部内の食堂に、朝いる人間は大体二種類だ。
朝食を抜いてきてここで摂る者、または……。
「宿直すか? けーらさん」
「ええ、貴女は……宿直みたいな恰好ですねコシヤさん」
声をかけられそちらを向いたシノブの視界に入るのは粗放な恰好の長身の女性、ライカ・コシヤであった。
気怠そうな表情で、へらっと笑うライカはその紅色の長い髪をやはり乱雑にまとめている。
恰好もスーツではなく、よれたシャツとズボンのみで、足元は履いてくるのを間違えたのか色違いのクロックス。
肩にかけたカバンも年季が入っているようで、そのだらしがない雰囲気に拍車をかけている。
「おはざす」
「……おはようございます」
少し呆れたような表情を浮かべるシノブではあったが、いつも通りなので一々言ってもキリも意味もないことは理解していた。
だが、小言ぐらいは言っておきたい。いや、立場的には言わざるを得ない。
「第四機動隊の隊長なんですから、しっかりしないと示しつきませんよ」
「今更なんかしても示しなんてつかないっすよ。そもそも、
「まぁ、否定はしませんけど……ユウキくん、一応特別枠なんですから無理させないでくださいね」
「わかってますよ。戦場にゃ極力サポートでしか出して無いすよ」
そう言いながら、シノブの向かいに座るライカ。
「にしても宿直多いすねけーらさん、あんまやりたがる人いないから受け持ってんでしょうけど」
「まぁそうですね。なるべく分散はさせてるんですけど、どうしても……それに物騒なので男性を宿直に割り当てにくい風潮もありますし」
カグヤ内に限った話ではないが、昨今のご時世の風潮としては男性をなるべく危ない目に合わせることは厳禁、というような形になっている。
例外こそあるものの、そんなご時世なものだからカグヤはもちろん一般的な警察なども、現場は女性の仕事であり、結果的に男女の扱いは20年前から一変した。
夜中に男性を一人で歩かせるのは危ない、だとか男性を狙った事件が起きるだとか……。
「あー……ゆーきに関してもタカナシさんから注意受けたなぁ。なるべく早めの帰宅を促すように~って……」
「たぶん一応ですよ。コシヤさんはそこらへん、気を使うタイプだってことはアキサメさんもわかってはいるでしょうし」
「そうかすかねぇ……」
「そうですよ。でもなければ第四機動隊の隊長に任命しないでしょう」
機動隊の隊長同士、やはり積もる話は多い。
まったくタイプが違う二人ではあるからか、食堂にいる者たち、若い者たちは少しばかり意外そうな表情をしているが、ベテランらしい者たちはそうでもなかった。
しのぶが窓の外へと視線を向け、立ち並ぶビルを眺める。
「……そのですね。一つ頼みが」
「んぁ、珍しいすね」
そう言いながら、シノブの飲んでいたコーヒーカップを勝手に取って一口飲む。
「いいすよ。私にできっことなら」
「シュニスさんがそちらに異動になると、おそらくタマキさんも行くと思うんです」
今より危険であろうと、だ。
それはシノブはもちろん第一機動隊の面々全員が理解していることであり、シュニスに“口止め”されていなければ今頃タマキにも知れていて、おそらくもっと早く異動願いが出されることだろう。
だからこそ、シノブは神妙な面持ちで、ライカの目をジッと見た。
「なるべくタマキさん、こっちに貸出お願いしても……!!?」
迫真の表情で訴えられて、ライカは再度シノブのコーヒーを飲み、窓の外にその気怠げな視線を向ける。
───噂通りやべーな、シキモリちゃん……。
◇
灰色の部屋を、僅かながらのライトが薄暗く照らす。
その部屋の中心には機械的な椅子が設置してあり、そこには一人の女が座している。
拘束衣で身体を、首と胴体と脚はさらに上から鉄の錠で椅子に固定されていた。
ここまで厳重な理由は、無論その女がそこまでするに値し、そうしていても死なないと思われているからに他ならない。
おまけに頭から装着されている黒い機械で視覚と聴覚まで塞がれている。
すると、頭に装着された機械が動きだし、目と耳を覆っていた部分が上へとスライドした。
茶色の長い髪が揺れる。
「あ~……尋問の時間ですかぁ、お疲れ様ですぅ」
茶髪の女はケラケラと笑いながらその緑色の視線を持ち上げ、目の前の女を見やる。
「アキサメさぁん……」
「ヤドリギ、時間の無駄だからすんなりと終わらせてくれると助かるな」
拘束されている女、ユーリ・ヤドリギは目の前に立つアキサメ・タカナシを見てクツクツと喉を鳴らし笑う。
頭を僅かに左右に振ってみるユーリだが、アキサメは別に気にする様子もない。
「でも、あまりお役に立てるかはわかりませんよぉ」
「……お前を殺したり痛めつけたい人間は五万といる。そいつらが担当になる前に吐いてくれないと私も、少し後味が悪い」
「お優しいことで……まぁヨダカさんとか色々な機能が使い物にならなくなってるでしょうからねぇ
さも平然という様子を見ていると、別に心を痛める必要もないのかと思うアキサメではあった。
葛藤するアキサメを前に、ユーリは続けて言葉を続けていく。
「えっとぉ、そしたらどこからですかぁ?」
間延びするようにそう聞くユーリに、アキサメは近くにいた別の隊員を見る。
ユーリの視界には入っていたが、別に興味もないのでいることに今気づいたが、やはりすぐに興味を無くしたのか、ユーリは再度アキサメへと視線を戻す。
隊員が端末と専用のペンのようなものを、会話を記録するために持つ。
「前回、お前が
「ええ、全部研究のためですよ。良いパトロンだったんですけど……知ってる話漏らすだけで色々とくれたんでぇ、研究場所も、研究費も、資料や実験材料だって」
その言葉にアキサメの斜め後ろにいた隊員が表情を強張らせるものの、ユーリはケラケラと笑う。
「だが、お前のその身体についてだ」
「えぇ~えっちですねぇ」
変わらず人を馬鹿にしたように笑うユーリではあるが、すぐに表情を変えて少し唸りを上げる。
アキサメの言う身体については、もちろん彼女が言ったようなことではない。
「シロナが切断した手足も、傷跡も……シロナが“不死の類”と言っていたが、どういう原理だ。我々とてそのような生命体、邂逅したことがない。ルルイエから放たれる生物はもちろん、ルルイエ離島に生息する生物とてまた然りだ」
「いや、あるでしょう。不死の生物……わざと目ぇ、逸らしてるんですかぁ?」
「……シュニスと、タマキか」
いや、だが……とアキサメは目を細める。
彼女らの、否“シュニス”の言葉によれば、タマキの場合は厳密には不死ではないとのことだったはずだ。
本当に不死であるのはつまり……。
「邪神と同列と語るか、自身が?」
「いえいえ~さすがにそうは言いませんけど、でも不死の存在と邂逅していないという言葉は嘘でしたねぇ。じゃあ、ヒントはそこに在ると思いませんかぁ?」
「……タマキと同じだとして、タマキの不死性はシュニス由来のもののはずだ」
シュニスと離れればタマキは不死ではなくなると、彼女からは聞いた。
離した状態で殺害されなければ、という話なのであの二人は戦闘ともなれば同じ場所に送っている。
だが、タマキと同じような者だとすれば目の前のユーリはなんなのか?
「タマキがシュブ=ニグラスの神子のように、お前もまたナニカの神子だと?」
「いえいえ、そこまでは言いませんけどねぇ」
自嘲するように笑うその表情に、アキサメはわずかな違和感を覚える。
「まぁ人に歴史ありとは言うんじゃぁありませんかぁ?」
「……ユーリ・ヤドリギについて調べろ。生まれから今まで洗いざらい」
「ハッ!」
部下に指示しつつも、アキサメはユーリから視線を外さない。
「……あ、こっちからも質問良いですかぁ?」
「ダメだ」
一刀両断、ユーリはケタケタ笑うが肩を揺らすことすらできないだろう。
「タマキさん元気してます? できれば会わせてほしいんですよねぇ」
「……許可しない」
その言葉を最後に、ユーリの頭部に装着された機械が起動する。
「あちゃぁ……ま、それじゃあアキサメさん、また後日~」
機械にユーリの目と耳が塞がれ、アキサメは踵を返して部下と共に部屋を出た。
真っ白な廊下に出ると、背後の扉が独特の機械音を発し閉じられる。
大きなため息を吐くなり、アキサメは部下と共に歩き出した。
「ヤツがあんなに疲れる相手だったとは、分厚い猫を被ってたものだな」
「総長、ヤドリギの経歴についてですが……」
「多少荒っぽくても問題ない。なにか公的な手続きが必要ならば私に」
慣れたようにそう言いつつ、思考する。
「タマキと、ヤドリギ……やはりシュニスに聞くのが早い、か?」
◇
理由は多数あるものの、その中で最も彼女の機嫌を損ねたのは間違いなく“シュニス”のことであろう。
本日、正式に異動の辞令が下ったのだ。
『シュニス・シキモリを第四機動隊に異動とする』
要約するとそういう旨の書類が届き、シノブは公表した。
知らない内にシュニスがそれを決めて、シノブに提言したことも勿論だが、周囲も知っていたようで、結果知らないのは自分だけだったようで……数々のことが重なった結果、ここまで明確に彼女が怒る原因に至ったわけではある。
いつもシュニスと共に昼食なわけだが、故に今日は違い一人で街を行く。
「凄いかわいい子いるんだけど、モデルとかかな?」
「怒ってるっぽいけど……いやまぁあれはあれでアリ」
「服装が男の子っぽいのも良いわね」
通行人の結構大きな声での会話だが、タマキの耳には入っていない。
一本に結った金色の髪をなびかせながら、タマキは一件のラーメン店に入る。
丁度、ピーク時間からズレているからか普段ならば並ぶところを、あっさりと入店することができたのだが、やはり席はほとんど埋まっていてカウンター席も残り一席のみ。
食券を買うなり、唯一空いていた奥から三番目の席へと向かって行く。
───ここの奥の方のカウンター席狭いんだよなぁ。
胸を押さえつつ目的の席まで行って座り、食券を出すなり、女性店員が対応に来る。
「ラーメン小で、お好みございますか!?」
「野菜ニンニク少なめで」
それだけを伝えると、店員が景気よく返事をして下がっていく。
第一機動隊の同僚に連れられてシュニスと共に一度来てから、定期的に食べにくるラーメン店ではあるのだが、いかんせん量が多い。
同僚やシュニスは普通サイズを食べていたのだが、タマキはそうもいかなかった。
男女比故か、タマキが“
───味は良いんだけどなぁ……。
「ごちそうさまでした!」
「ありがとうございましたぁ!」
隣、奥側の席の女性が立ち上がり、そのままタマキの裏を通って出て行く。
タマキと比べてもずいぶん“スレンダー”なので、そこまで大変そうでもないのを見て少しばかり羨ましくもなるタマキが、視線を降ろして、楽だからとテーブルの上に乗せている自身の胸を見て、少しばかり現実逃避をしたい感情に駆られた。
ふと、今しがた女性が立った左方を見れば、その隣に女性が一人。
「あ……」
タマキはその女性に見覚えがあったし、女性もタマキに見覚えがあった……だからこそ、同時にそうして口を開く。
黒いスーツ、180は超えるだろう高い身長に、シュニスよりも大きいであろうその胸部装甲。
ボサッとした黒い長髪、長い前髪は顔の向きのせいか左側を隠しており、残った真紅の右眼だけがタマキの黒い瞳と合う。
───色々とデカい人おる。
「ハイお待たせしました! ラーメン大の野菜ニンニクアブラマシで!」
「へひゃっ、は、はい……あ、ありがとう、ございます」
巨大などんぶりを受け取り、自身の前へと置く妖怪のような女。
「い、いただきますっ」
気恥ずかしそうに顔を赤くして、呟くように言った女はタマキの方に視線を向けないようにしながら、髪を束ねて食事を始める。
少しして、タマキのラーメンも届くのだが、黒い女性が食べてるものと比べるとだいぶ小さいように感じた。
横目でそちらを見て、タマキは箸を取って両手を合わせる。
「いただきます」
───ホント色々デカいなぁ……
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