3.犬も食わない

 

 ラーメン屋のカウンター席、タマキが出されたラーメンを半分を食べ終えるなり、ふと横をみやる。

 二つ隣の席に座っていた黒い女は、すでにどんぶりを両手で持ってスープを飲んでいた。

 あの量をいつの間に平らげたのかと、眉を顰めながら麺を啜るが、やはり“かつて”のようにはいかないな、と感じる満腹感に息を吐きつつ、おもわず呟く。


「……うっそだろ」


 言葉に出してしまったものの、誰にも聞こえないほどの小さな声だ。


「ぷはぁ~っ」


 視線の先にはスープも飲み干し満足そうな表情を浮かべる女。

 緩んだ顔で息を吐き、どんぶりをそっとテーブルに置いた。


「ごちそうさまでしたぁ」


 両手を合わせてそう言う黒い女は、すぐに立ち上がってタマキの方を向く。

 そうなれば彼女の方を見ていたタマキと自然と目が合う形となり、女は反射的に『あっ』とだけ声を出して目を逸らしながら、なにかを悩む様子を見せてから、再度視線をタマキへと向けた。

 黒い前髪に隠れて、変わらず左目は角度的に前髪がかかっていて見えないが真紅の右眼だけがタマキの黒眼と交差する。


「お、おつかれさま、です……」


 ようやく絞りだしたそんな一言と共に軽く会釈をされ、タマキも少し遅れて会釈と言葉で返す。


「お、お疲れさまです」

「そ、それじゃぁ……」


 そわそわしながらも、黒い女はそのまま歩いてタマキの後ろを通ろうとする。

 タマキは少しばかり前に出たが、やはり狭いラーメン屋ではたかが知れていたのだろう、突如───後頭部になにかがぶつかった。

 独特の弾力をもったそれが後頭部を打ち、タマキの心身に衝撃を与え、それはそのまま彼女の頭頂部を“ずり”っと通り過ぎる。


 ───でっかぁ……。


「す、すみませんっ……」 


 衝撃的だった。なんだかんだと“正気の状態”で“自分以外のソレ”を感じるのは初めてだったものだから。


 ───宇宙……!?


 思考はやはり童貞を拗らせた男のものであるから、もうダメだ。

 黒い女はタマキを通り過ぎるも、さらに一つ隣の席を越えなければ出口には辿りつかない。

 そしてそちらにも客が座っていたようで、タマキより少し身長の高い隣の女性はもちろん頭部にソレを受けるわけであり……。


「あっ、す、すみませんっ……」


 謝罪をしながら通り過ぎていく黒い女。


 そしてタマキは聞いた……隣のその女性の声を。


「宇宙……」





 カグヤ本部の社員食堂にて、シノブがテーブルに顔をつけてダバダバと涙を流している。

 そして向かいに座ってるアオイ・アリツキはどことなく気まずそうな表情を浮かべていて、その原因はもう一人、テーブルを囲むように座っているシュニスの存在のせいもあるだろう。


 そしてアオイとして一番気になるのは周囲からの視線であった。

 宿直後即勤務という法で許されているものの、あまりよろしくないであろうシノブの労働ついては、彼女の“趣味”のようなものなので置いておくとして、なにより“あのシノブ”が、情けなく涙を流していることについて、皆思うところがあるのか、近くを行く者はぎょっとした顔でシノブを一目見て、何事もなかったふりをして通り過ぎていく。

 アオイとしても尊敬していた上司のそんな姿を見てストレスを感じざるをえないのだが、そこに思慮を向けてくれるような相手はいない。


「うぅ~タマキさんがぁ~」

「タマキ、怒っちゃったぁ」


 シュニスも眉を顰めて落ち込んでいるようで、アオイはこれが自分が警戒していた邪神の姿かと頭を抱えたくなる。


「シュニスさんが黙っててって言うからタマキさんに黙ってたのにぃ」

「説明したでしょぉ、で黙っててくれたじゃない」


 シノブは彼女がタマキにそれを内密にした理由を聞いているし、それを理解して彼女の要望通り黙ってはいたわけだが、結果的にタマキの反感を買うことになったのも事実。

 結果的に割を食ったのはシノブなわけで、タマキが昼休憩でオフィスを去る前に謝罪しようと思ったのだが、細められた目で見られて臆してしまい……そのまま、今現状に至る。


「でもタマキさん、ジト目もかわいかったぁ」

「すごいわかる」


 シノブの言葉に勢いよく頷きながら同意するシュニス。

 そんな二人をそれこそジト目で見るアオイは、軽く溜息をつきながら頭の中で『別にハッピーそうなのでこれ放置で良いのでは?』等と思考した。


 ……のだが、気づけば二人して自分の方へと顔を向けている。


 非常に嫌な予感、否……面倒な予感。


「なんですか……」

「なんかアオイ、最近タマキと仲良いわよねぇ」


 シュニスの言葉に、アオイは記憶を掘り下げ見れば、確かに先ほど昼食に行く姿を見かけた時も軽く笑顔で手を振られた。

 シノブとシュニスには“そのような態度”だったにも関わらずだ。

 知る知らないはともかくとしても、最近は彼女から話しかけられることも増えた気がする。


「……ん、そうか?」

「え、なんか満更でもなさそうな顔してる」


 どこか嬉しそうに言うアオイ。


「タマキは私のお嫁さんになるんだからぁ……」


 どこか拗ねたように呟くシュニスだが、シノブがバッ、と空を切って起き上がると同時に右手を指の先までシャンと伸ばして天に突き上げる。


「異議あり!」

「認める」

「不当じゃない」


 シュニスの邪神らしからぬ真っ当なツッコミに、近くのテーブルに座っていた一団が噴き出すが気にする三人ではない。

 アオイとシノブにとっての問題はシュニスの発言であるし、シュニスにとっての問題はタマキと“また”ギクシャクとすることである。

 最近、仲直り(?)したばかりだというのにコレではあんまりにあんまりだ。


 シュニスの日課たる朝のセクハラルーティンもできなくなってしまう。

 そしてそれは、かなりマズイ。


 あの多幸感に邪神はもう夢中である故に……。


「にしてもまた喧嘩か」

「喧嘩じゃないわよぉ、ちょっとアレなだけで……しっかり話せばタマキだってわかってくれるんだからぁ、別に悪いことたくらんでたとかじゃなくってタマキのためだし……」

「言い訳の仕方が完全にソレじゃないですか……」


 どれかと聞かれれば、所謂アレであるが、シュニスは理解できずに小首を傾げた。


「嫁もなにもまずタマキに好意をもってもらうところからだろう……そっちの意味で」

「う゛っ……」


 唸るシュニスを前に、グイグイと“恋バナその手の話”を進めるアオイを意外に思いながらも、シノブも同意するように頷く。

 なし崩しで色々とあったようだが、まだ婚約しているわけでも、ましてや付き合っているわけでもない。

 一緒に住んでいるようだが、特にそういった感じでもないとシノブは考える……いやまぁ、願望も入っているわけだが。


「子供もいるのに……」


 真っ当に“子供”と言って良いかは危ういところではあるが、まぁ間違いでもないのだろう。タマキも完全に、ではないがそう認識はしている。

 タマキの肉体を使って、生物を生み出したのだからやはりそれは、そういうことなのだろう。

 ともあれ、シュニスは何かに気づく。


「あの子たち、私とタマキが離れても間違いなくタマキについていきそうよねぇ……」


 つまり、ティンダロスの魔犬ことフランとベルナたちのことだろう。


「別にそれがどうとか言う話ではないですけど、20年前の男女間の離婚では母親が親権を握る形になるのが大多数だったそうですよ」

「……タマキに言ったらおもしろい反応しそうねぇ」

「邪神だな」


 まごうことなく邪神なのである。


「シュニス」

「ひゃぁっ!?」


 突然の声に、シュニスがらしくもなく跳ねた。

 それは意外な光景であるし、なんなら初めてのことなのだが、それ以上にアオイとシノブの二人もシュニスを呼ぶその声と相手に驚いて固まってしまったのだから、反応もなにもあったものではない。


 シュニスの傍に立つのは眉を顰めている───タマキ。


 まさかのラスボス登場に動揺が隠せない三人の前、タマキのその表情は『私は不満です』と貼り付けているようにすら思えた。


「えっと、ど、どうしたのタマキぃ……?」


 恐る恐るタマキを見るシュニスに邪神の威厳は一切ない。


「シノブさん、アオイ、座っていい?」

「あ、どうぞ」


 シノブは即座に返事を返し、アオイも頷けば、タマキはテーブルを挟んでシュニスの向かいに座った。

 ムスッとした様子で腕を組むタマキ。

 勿論そうなればその豊満な胸が持ちあがるわけで、シノブはガン見してアオイはあえて上を向く。


「……オレも異動申請出すから、第四機動隊」

「……えっ!?」


 驚愕したように口を開くシュニスと反対に、シノブもアオイも『あ~だろうなぁ~』ぐらいの感覚でそれを聞いていた。

 そもそも今朝方や先日も仲間内でその話をする時、シュニスが第四機動隊に行けばタマキも行くものだと言うていで話をしていたし、なんとなくそうなるだろうことは理解している。

 だからこそ、シノブは再度テーブルに伏す。


「……なに、オレが行ったらダメな理由、あんの?」

「そ、そうじゃなくって……第四機動隊って、色々するし危ないことだって」

「第一機動隊だって一緒だし」


 第四機動隊、全隊対象独立個人派遣部隊。

 文字通り各部隊の足りない部分に、所属している部隊員を派遣し貸し出す部隊ということである。つまりそこには第一部隊、第二部隊、第三部隊の仕事が舞い込んでくるわけで、危険度の高い仕事が多いのも事実であろう。

 だからこそシュニスは自身を理解しているから、行くべきだと感じたわけだ。


 力を取り戻す……否、力を得る方法は理解している。ならばタマキのためにもそちらが正解だと思った。


「でも、その比じゃなくなるかもしれないし……場合によっては第二機動隊にも参加するのよ?」

「……攻略部隊だろ、わかってるよ」


 シュニスとしては、タマキが付いてくることはないと思っていた。

 むしろ嫌がるだろうけれど、シュニスが行くと言ったら付いて来てしまうのだろうと、そちらも理解していた。

 だからこそ言わずに、事後承諾のような形で納めて、タマキには“比較的安全な位置に配置してもらうことが可能”である第一機動隊にいてもらおうと考えたのだ。


 さすがに自分を追って第四機動隊に来るなどとは、思ってもいなかったものだから……。


 にも関わらず、タマキは異動するとまで言った。


「……危ないわよ?」

「わかってるけど、シュニス一人にいかせるの、違うし……」


 別に違くはないだろうと、シュニスは不思議に思う。


「お、オレを男に戻すためにその、旧支配者ってのをなんとかしなきゃ、なんだろ……?」

「えっと、まぁ厳密には力を得られればなんでも良いから、っていうのもあるわね。断絶された宇宙でも、力を得ればそのぶんできることは増えるわけだし、最終的にはそこが目標ではあるんだけど」

「なら、オレもやる。色々……」


 シュニスとしては、タマキは自身を被害者と捉えていると思っていた。いや、実際にそうであるし、それに関してはタマキも否定しないだろう。

 だがどういう心境の変化か、タマキは付いてくると言っている。

 それに心境の変化で言うとシュニスとて然りだ。


 前までは、それほどまでにタマキを危険に晒したくないと思っていなかったし、彼女をなんとかしてやりたいなどとは思っていなかった。

 だがそれでも、今は違う。

 故に今回のコレである。


「だからっ、一人で勝手に決めっ、んなよぉ……」

「えっ!!?」


 シュニスが明確に驚愕したのは、タマキが瞳一杯に涙を溜めて弱々しくそんな言葉を吐き出したせいだろう。

 アオイとシノブも驚愕した表情を一瞬浮かべるも、すぐにシュニスへと視線を向ける。

 なぜだか『泣~かした~』と言われているようで非常にいたたまれない気分になる邪神シュニスであったが、確かに自身が悪いのだろうと反省。


 非常に邪神らしくもないが、シュニスはこれでいい。


「たたた、タマキっ……そ、そのっ」

「た、頼り、ないかなぁ? お、おれだって、最近はっ、頑張って……っ」

「ち、違うのよタマキっ、ただそのっ」


 周囲は何事かと四人のテーブルを意識するものの、なんとやらは犬も食わないので関わることもなかった。

 タマキは自身の瞳に溜まるソレを認めたくないかのように、堪えるように両手の握りこぶしを膝の上に置いる。

 シュニスは理解した。これは邪神シュブ=ニグラス、最大のピンチ。


 この世界に現出した時とは違う、常識力を身に着けてしまったが故の、絶体絶命である。


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