第4話:惚気の証明
1.破壊する者
朝、カーテンの向こうから差し込む陽の光。
薄明るいその部屋のベッドで、
だが、どうにも安らかではない。
「んぅ……うんぅ……」
横向きで、抱き枕を抱きながら寝ているタマキは魘されているようであるが、“苦しそう”というのとは少し違うようにも思える反応で、悩ましげな声を漏らしながら、ほんのりと赤い顔で呻く。
少し顔を動かす度に、枕と布団に広がるその金色の髪が揺れる。
タマキが抱き枕に回していた腕と脚に力を込めて、ギュッと抱きしめれば、抱き枕は形を変えていく。
「しゅ、に……」
瞬間───枕元に置いてあるケータイが、音を鳴らす。
「ひぇぁ!?」
素っ頓狂な声を上げつつも、勢いよく眼を見開き覚醒したタマキは、即座に手を伸ばして鳴り響くアラームを止めた。
反射的にやったのか状況が呑み込めないまま、呼吸荒く、ケータイから手を離して、これが“現実”であると理解し、もう一度抱き枕を強く抱き、その赤く染まった顔を押し付ける。
力強く両手両足で抱きしめられ、抱き枕がぐにっと形を変えた。
「うぁあ~……」
抱き枕で声を押し殺しつつ、呻くタマキが、今度は抱き枕を弱々しく叩く。
「また、あの夢ぇ……」
そう言いながら顔を離せば、その顔は先ほどよりも真っ赤になっているが……その理由は息苦しかったから、というだけでもないだろう。
熱の引かない顔を、タマキは両手で触れて押さえるも、すぐに顔を横に振った。
こうしてジッとしていも仕方ない。否、ジッとしているわけにはいかない。
早く動かねばシュニスが起きてしまう。その前に色々と落ちつけておきたい。
赤い顔や、バクバクと音を立てる心臓や、その他諸々と。
「シャワー、浴びてこよ……」
◇
そこは道場と言って差し支えない場所だった。
畳やら木やらの独特の匂いと、凛とした空気感、そして道着を見に纏う一人の少女───アオイ・アリツキである。
彼女は背をピンと伸ばし正座をしたまま、目の前で同じく正座している私服姿の“タマキ”に、眉を顰め視線を向けた。
「……男らしくなるために?」
「そう、剣を教えてください……!」
やけに必死な様子でそう言うタマキが、頭を下げる。
アオイは腕を組んで唸り、頷く。
「五日ぶりに会ったと思ったら、そんなことを……そもそも、男らしさと剣は関係ないだろう?」
素直な正論。
「いや、武術は心も鍛えるものだから……」
「賢しいことを言うな……いや間違ってないが、それでも男らしさにはなんの関係もない。私だって剣の道を生きながらも可憐な女子としてやっている」
沈黙。
「……可憐な女子?」
「模擬戦でも」
「ごめん」
先ほどとは別の意味で頭を下げるタマキ。
「コホン、ともかく! オレは男らしさってものを磨かなきゃいけないと思った次第なわけです!」
やけに“かわいらしい”咳払いのあとに、“豊満な”胸を張ってそういうタマキに、アオイは眉間を押さえて眼を瞑った。
この世界では珍しくもない“
それに中身もそこそこ好ましく思っているのだから、もはや好きになっちゃわない方がおかしいのである。
そして、アオイが“
「タマキ……」
「ん?」
小首を傾げるタマキに、またもや動悸が早まる。
そこでふと、アオイは余計なことを思い出した。
あの日から……否、“あれから”まともな会話もせずに今日ここに来たのだから、聞いていなくて当然であり、ドタバタとしていたし脳が忘れることを推奨していたので仕方のないことである。
「いやしかしそのだな……タマキ、お前は」
「うん」
「……しゅ、シュニスの子供まで産んだのだから、もう女でいいのでは?」
少し赤い顔でそう問うたアオイに、一瞬だけ固まったタマキが───直後、顔を真っ赤に染めた。
「っ……!」
両手で顔を覆うタマキに、アオイは『かわいいかよ』と言いそうになるも思うだけで留まる。
わりかし手遅れなレベルでタマキの容姿が好きなのは、別に第一部隊内ではアオイだけではない。
顔を覆う手の指を僅かに開いて、羞恥からから潤んだ両目をアオイに向けるタマキ。
「ち、ちが……あ、あれはっ……そ、そのっ」
「あ~いやその、ちょっと待て」
片手をタマキの方へと向けて顔を逸らすアオイ。
危うく好きになってしまうところであったと、深く深呼吸。
自分はもう少し理性的で理知的で、凛々しくあったつもりだったのだが、今日はいかんせんペースが乱されると、精神的な修行の足りなさに不甲斐無く思うのだが、やはりそれも仕方のないことなのである。
ともあれ、ここで幸運なのはアオイがタマキへと“そういう意味での”好意を向けてなかったことにあるだろう。
「シノブさんみたいになるところだった……!」
「し、シノブさんがなんて?」
「なんでもない……!」
そう、手遅れの場合はシノブのようになる。
シュニスから『私とタマキの子』発言を聞かされ、その後の二人の会話を見て、シノブは脳を破壊された……合掌。
「と、ともかくだ。タマキはその、し、したんだろ。シュニスとその……せ、せ……交尾」
「交尾言うな」
交尾などと言われたらすかさずそう返してしまうのはネットに入り浸っていた人間の性。
「……そ、その、し、してないわけじゃない、けど……じょ、状況に流されてっていうか、仕方なかったっていうか……!」
「状況に流されて、そういうのはどうかと思うぞタマキ……」
女性として生きてきた歴は上のお姉さんの立場で言うアオイ。
「ちがっ、そうじゃなくって!」
「剣の前に貞操観念を教える方が先では……?」
「き、聞けってぇ……!」
◇
「はぁ~」
シュニスは右手で頬杖をつき、深い溜息を零す。
左手のマドラーでテーブルの上のグラスの中のコーヒーをかき混ぜれば、氷がカラカラと音を鳴らした。
そして珍しく憂鬱そうでなにかを悩んでいる彼女の向かいに座るのは───アキサメである。
彼女は目の前の珍しくなにか悩んでそうなシュニスを見て苦笑を浮かべていた。
「で、タマキが最近、冷たいと?」
「いやぁ、冷たいっていうか……なぁんかぎこちないのよねぇ」
カグヤの本拠であるビル、その中の社員食堂で二人はテーブルを挟んでティータイムだ。
時刻は昼過ぎ、中途半端な時間のためか隊員もまばらで、二人の会話を聞くような人間もいないだろう。
そもそも、一人で座って食事をしていたアキサメを見つけて向かいに座ったのは“非番のはずの”シュニスであり、そんな彼女が珍しく憂鬱な表情をしていたものだから、事情を聞いたわけである。
結果、別に気にするほどのことでもないだろうとアキサメは判断したのだが……。
「いや、惚気じゃないですか」
「あらシノブ」
「どこから湧いた」
いつのまにやら二人と同じテーブルについて紅茶を飲んでいるシノブ。気配を一ミリも感じなかったことに成長を感じるが、こんなところで感じたくもなかった。
咳払いをして、アキサメはシュニスに視線を戻す。
問題は彼女が状況をイマイチ理解してないことにある……わりと人間基準でものを考える珍しいタイプの神の割には、大事なところが抜けていたりするのがいかんともし難い。
「そりゃ、“あんなこと”をすれば多少はな。交際しているわけでもないのに」
「タマキだって、私に抱き着きながら『しゅきしゅき』言ってくれてたわよ?」
なにか破裂音が聞こえる気がしたがおそらくシノブの脳が破壊される音なので気にしないこととするアキサメ。
少しばかり頭を抱えるが、その原因はシノブではない。決して。
「……その、だな。そういう“行為”の最中、だったのだろう?」
「えぇ、良い顔してたわぁ、えへへぇ」
これはただの惚気なのでは? と考えるアキサメ。
おおよそ間違ってもいない気がしてきた。
「エロゲ脳ですねシュニスさん」
「……えろ、げ?」
「シノブ……」
憐れむような眼をシノブに向けるアキサメであるが、彼女がソッチ系なのは知っていたので今更である。
問題はことここに至ってシュニスへの言葉にそれをチョイスしたところであるが、言いたいことはわからんでもないのが、アキサメに名伏し難い感情を生んだ。
カグヤのナンバーワンとナンバーツー、おまけに邪神が揃ってこのような会話……まこと涜神的である。
「ん~なんというか、素面で好きと言われてないので……ノーカンってことです」
「えぇ~納得いかないんだけどぉ」
「タマキさんも脳内快楽物質まみれの時に言った言葉はノーカンになってると思いますよ」
顔をしかめるシュニスが、深く溜息を吐いた。
「ん~、じゃあどうすればいいのかしらぁ。別に好きになってくれって言ってるわけじゃなくて、前までみたいに戻りたいとこなのよねぇ」
「へぇ、恋愛関係になりたいとかじゃないんですね」
「そうねぇ、でもタマキと私の繋がりはそれだけじゃないから……貴方達風にあてはめるなら神と神子になるんでしょうし」
神とその寵愛を受けた者、神子。
厳密に二人の関係はそれとはまた違ってくるかもしれないが、似たようなものであるのは確かだ。
ただ、明確に二人の関係性は変化させることができるという意味では、大きな括りでしかないのだが……。
「神と神子でも、今はただの家族って感じですもんね。」
「ただのって引っかかるわねぇ」
「あ、ごめんなさい。ただまぁ……そうでしょう?」
シノブの言葉に、シュニスは不満気に頷く。
「どちらにしろ一歩は踏み出してしまったんだから、はいそうですかと言って一歩戻れるほど楽じゃないさ……だが、そうしなければいけなかったんだろう?」
「……うん」
「タマキもわかってるさ、だから今は気恥ずかしいだけだろう。その内戻るだろうさ」
「……そういうもの?」
どこか不安気にそういうシュニスに、アキサメは思わず吹き出す。
当然ながら不満そうな表情を向けられるが、片手を出して軽く謝罪をしつつ、頷く。
「んんっ、そういうものだ」
「まぁあなたがそう言うのなら、信じてみようかしら……?」
そう言うなり、シュニスは立ち上がった。
「そういえばシュニスさんはどうしてお休みなのにこちらに?」
「タマキが来るって言ったから付いて来たら一緒に来たんだけど、そしたらタマキったらアオイのとこ行っちゃうんだもの、付いてくるなって言われるしぃ……冷たいでしょ!?」
「あ、はい」
「とりあえずタマキから連絡くるまでそこらへんで暇つぶしでもしてるわ」
プンスコ怒りながら、シュニスは歩いて行ってしまった。
聞いてる限り、一緒にこちらまで来ているし、しっかり帰りは一緒のようだしで、シノブとしてはまるで問題が無いように思え、それについてアキサメに聞こうと思ったが、彼女もまた困ったような、それでいて微笑ましいものを見るような笑みを浮かべている。
もしかしたら最初から気づいていたのか、そうでもないのか……まぁどちれにしろ。
「面倒だから適当言いましたね?」
「大丈夫そうだろう?」
「否定はしないんですね」
まぁ、十中八九そういうことなのだろう。
「でも、タマキさんとシュニスさんが、ですか……あそこのカメラに残ってた出産映像見せられた時は脳が破壊されましたが」
いつも破壊されてるだろうとは、言わないでおく。
「完全に好きあってないというこは、まだ私にもワンチャンありますね……!」
ないと思うぞ。と言わない心遣いがアキサメにも存在した。
「しかしまぁタマキさん……未婚TS産経婦とか属性盛りすぎですね。胸熱です」
「黙れ」
「人妻寝取り感があって実に背徳的」
「上官命令だ」
シノブは黙った。
◇
真っ赤な顔で、タマキは正座していた。
組んだ脚の上に両手の握りこぶしを置いて、チラチラとアオイを見る。
アオイから見れば、タマキから視線を送られていることはもちろん理解できているのだが、結果的に俯くタマキから送られる視線は所謂“上目使い”と言うやつになり、彼女の心はもちろんかき乱されるわけだ。
空気を一変させようと、アオイは軽く咳払いをして頷く。
「つまり、そのだ……シュブ=ニグラスとその、え~、夢を見ると」
「う、うん……」
それで、その後シュニスとぎこちなくなってしまうということだった。
「……惚気か?」
「い、いやいや! 別にその、シュニスがす、す……すき、とかいうわけじゃなくってぇ……そのっ……」
「かわいいか」
「え?」
「ああいやなんでも」
アオイは冷静さを取り戻したかった。無理だった。
「と、ともかく! そういうんじゃないから、余計にそのっ、気になっちゃって!」
「……子供がいるのに操を立てねば、とか?」
「いやなんていうか……うん、それもある。てぃ、ティンダロスの魔犬……あ、あの子たちはその、私とシュニスの子な、わけだし……」
話を聞いている限り、なんとなく読めてはきているのだが……随所でタマキの所作がいちいち気になって整理しきれないところがある。
やむないことだ。アオイとてまだ17歳、距離感の近い美少女など気にならないわけがない。
しかもわざわざ対面でそんな赤裸々な相談までしてきているのだから、もう少し恋に恋するタイプであれば『もしかしてコイツ、俺に惚れてね?』的な思考になってもおかしくないレベルである。
「子、というには複雑なところもあると思うが……だがなんというか、生きるためにその、やむをえずだった、わけだろう?」
「……たぶん」
───ん、たぶん?
アオイはもやっとしたが、言及はやめておいた。
だが、やはりアオイは冷静ではない。
「……その、だがなタマキ」
「な、なに……?」
「もしも、だが……もしも私とタマキで、シュニスと同じ状況になってだな」
自分でもなにを言っているか理解しないまま、アオイは言葉を続ける。
「それで、私とその、するしか……だっ、脱出方法が、ないとすれば、その……私とその、私に、だ、抱かれる、か?」
「へ……ひゅぇっ!?」
しどろもどろになりながらアオイが言った言葉に、タマキはビクッと肩を跳ねさせて驚く。
そりゃそうだろうとアオイも思っているし、なんでそんなことを言ってしまったんだろうとも思うが、言ってしまったものは仕方ないのである。
平然と“自称男”であるタマキ相手に『抱かれるか?』と聞くあたり、アオイもまるでタマキを男と認識してないが、そこに悲しみを馳せることができるほど、タマキも余裕はない。
「え、えっと……」
「あ、そのだな、タマキ……」
膝の上に置いていた手を、タマキが胸の前で会わせてモジモジといじる。
───かわいい。
とは思っても決して口にしない。理性で無理矢理押し込める。
「す、すまない。シュブ=ニグラスの時と一緒にしては」
「……そ、それで、助かる、なら……す、すると、思う。アオイが、その、そう言う、なら……アオイと、わた、お、オレが、助かるなら……」
「へ?」
珍しく素っ頓狂な声を出すアオイ。
「その、あ、アオイが、シュニスみたいに、その、力があったとして、同じ状況なら……す、するし、う、産むと思う。アオイのこと、い、嫌じゃないと、お、思うし……」
「ひゅ」
息を吸うアオイ。
そう言われて、想像してしまうのも致し方ないことであった。
アオイは自身の頭に一気に血が上るのを感じる。
「あ、あれ、ってことはオレ……」
そして、ふと沈黙。
タマキは顔を赤く染めたまま、アオイの方に視線を向ける。
そこにいたアオイは……凪であった。
「あ、アオイ……?」
波風一つ立たない穏やかな心───明鏡止水。
そしてアオイは、フッと笑みを浮かべる。
「そうか」
アオイは静かにそうとだけ返した。
「凄い鼻血出てるけど!?」
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