第2話:邪神の逢瀬
1.還りくる日常
あれから一週間。
エルダーコクーン、ならびに獣───ヘルハウンドの調査は続いているが特に新情報なども無い。
まだそれ一つだけしかないのだから、渋谷に落下したのも偶然、と言う他なく、エルダーコクーンもヘルハウンドも核を破壊すればたちまちに消失したのだから、調べようがない。
あとは映像から調査していくしかないとのことだ。
まぁそれが終了したところで、タマキまで情報が降りてくるかはともかく……そもそも、そんな情報をもらいたくはないのだが、ないと命に関わるので受け取ったらちゃんと熟読する。
よってタマキは相変わらず、シュニスの“力が戻る”まではデスクワークと訓練漬けと言ったところだ。
シュニスの力が戻れば男に戻れる。そして悠々自適に暮らすのだ。
この男女比1:9の世界で……。
「顔変えれるなら、なるべくイケメンにしてもらってやる……」
「ん、なんていいました?」
「へひゃっ!?」
デスクに向かって“報告書”の作成に勤しみつつ余計なことを考えていたタマキは、素っ頓狂な声を出して跳ねる。
そちらを向けば、そこにいたのはボブカットの女、今はタマキの上司でもあるシノブ・ケイラだ。
可笑しそうに笑う彼女は良い上司でもあるが、いかんせん初日の印象が拭えないのでタマキにとっては“ヤベー女”に他ならない。
「ふふっ、大丈夫ですかタマキさん」
「あ、はい……」
普通にやりとりをして、ふと隣のシュニスに視線を向ければ、慣れた様子でキーボードをタイピングしていた。
最初の頃は人差し指で叩いていたのを思い出して笑いもしたのだが……。
───成長性のある神様はチートじゃねぇかなぁ。
願わくばそのチートの半分でも寄越してほしいと一瞬だけ思ったのだが、彼女の場合のチートは中々に物理的であり、かつあまりに名伏し難いものなのですぐに考えるのをやめる。
そもそも、その力の一端は確かに自分に根付いていることは、ヘルハウンドとの戦いで十分に感じたのだ。
「タマキさん?」
「あっ、すみませんシノブさん」
ついつい、話しかけられていることを忘れてボーっと物思いにふけってしまった。
素直に謝ると、彼女は眉を顰めて困ったように笑うと、タマキの肩に軽く手を乗せる。
ぴくっと反応してしまうも、シノブの親指に押された部分に妙な快感。
「んっ」
「少し、根を詰め過ぎかもしれませんね、少し休憩に行って来たらどうですか?」
「……すみません、それじゃあ、ありがたく」
彼女の気遣いにしっかりと感謝しつつ立ち上がると、タマキは肩を回しながらオフィスから出て行く。
その場に残ったシノブが自分の手を見てから、眉をひそめつつ焦るような笑みを浮かべた。
隣にいたシュニスは、いつの間にかシノブの方を見ている。
「くっ、たったあれだけで私の心を揺さぶってくるとはやりますねタマキさん」
「タマキ、かわいいわよねぇ」
「かぁいいですねぇ~」
先ほどの上司としての彼女はどこへやら、緩みきった顔で言うシノブ。
その意味はどうあれ“愛しのタマキ”を相手にそんな情欲を抱かれていることに、別に気にした様子もなく、シュニスはクスリと笑みを零すと、自身のデスクのモニターへと向き直った。
なぜだか、妙に楽しそうに……。
オフィスを出て、廊下を歩き休憩所へと向かうタマキ。
すれ違う【カグヤ】の隊員たちと軽く挨拶を交わしながら、ふと見慣れぬ顔を見かけることに気づく。
ただ、その雰囲気は誰もベテランのようで、見知った隊員と会話をしながらすれ違っていたりするので、新隊員というわけでもなさそうだった。
元々顔を覚えるのが得意なわけでもないが……一ヶ月弱こちらで世話になっているが、さすがに見た記憶がない。
不思議に思いながら歩いていると、休憩所へ向かう曲がり角で……なにかと衝突した。
「うおっ!」
「ひぇっ」
柔らかで“弾力のあるソレ”とぶつかったタマキは、そのまま後ろへと体勢を崩して尻もちをつく。
思わず眼を閉じて、床にへたりこんだタマキが目を開けば、そこには……。
───デッカ。
「す、すみませんっ……だ、大丈夫、ですか……?」
「へ、あ、は、はい」
黒いスーツを着たボサッとした黒髪を腰ほどまで伸ばした───まるで妖怪のような女が、そこにはいた。
そのイメージを加速させるように、身長はおそらく180㎝半ばほど……現状162㎝のタマキからすれば、立っていたとてその顔は十分に見上げる位置にある。
戸惑うタマキだったが、それ以上に目の前の女はキョドっているようで、長い前髪で片目が隠れているが、もう片方のその赤い瞳は泳いでいた。
おどおどと手を差し出す女の手を取れば、そのまま強い力で引かれて立ち上がる。
───でっかぁ。
デカかった。色々な意味で、色々な部分が……。
タマキの目の前にはそもそもの身長故か、シュニスより大きく見える豊満な二つのソレ。
そして、やはり身長は女が猫背であるにも関わらず、見上げなければ顔が見えない。
「え、えっと、それじゃぁ……」
「あ、はい」
そわそわとしながら、女は軽く頭を下げてタマキの横を通り過ぎて歩いていく。
振り返りその後ろ姿を見るタマキではあったが、徐々にその様子でなくなっていくことから、おそらく人見知りなのだろうということは理解できた。
初めて見る顔だが、そういう人間もこの組織にいるのだと思うと、少し肩が軽くなる。
タマキは再度歩きだし、そのまま休憩所へと辿りつく。
「あ……」
そこにいたのは、白銀の髪を持つ少女───シロナ。
セミロングの、先が青く染められた白銀の髪をふわっと揺らしながら、彼女は笑みを浮かべ、ベンチに座ったまま両手で持った缶コーヒーを一口飲む。
喉をコクリと震わせ、シロナは瞳を開く。その青い右眼と金の左目が現れた。
「ん、シキモリさんもご休憩ですか?」
「あ、はい」
頷いて、タマキは自販機の前に立って何を飲むか考えつつ、シロナについても思考する。
アオイ・アリツキから聞いた話では十八歳ということぐらいのものだった。
タマキも彼女とは会っても挨拶程度で、そこまで深く会話したことがある間柄でもないのだが、彼女が“上機嫌”だということぐらいはタマキもわかる。
自販機で自分も缶コーヒーを買おうと思えば、その前にシロナが立ち上がり、タマキより早く小銭を入れた。
「え……」
「どうぞ、エルダーコクーン並びにヘルハウンド討伐の労い、とでも思ってください……粗末で急場凌ぎなものは申し訳ないのですが」
「い、いやいや! あ、ありがとうございます!」
苦笑するシロナに礼を言うと、ボタンを押して缶コーヒーを買い、取り出す。
「すみません、でもオレ別になにも……」
「聞きましたわ。乱れていましたが映像も見ましたし、最後の一撃は見事でした……一瞬の判断がこういう仕事では生死を別けますから」
お嬢様のような口調でそう言いながらベンチに座るシロナの隣に、恐る恐る腰を下ろすタマキ。
彼女はそれを気にする様子もなく、両手で持ったアイスコーヒーを握りながら、クスリとほほ笑んだ。
元々好印象だった彼女の印象がどんどんとうなぎ上りしていく。
「ありがとう、ございます」
素直に礼を言うと、彼女は笑みを浮かべたまま頷いた。
「たまには息抜きも必要ですわ。あれから根を詰めて働きすぎなのでは?」
「あ、いや確かに、そうかも……」
なんだか、あれから必死になっていた気もする。
結局、あれから休日もあったが色々と考えていたらあまり休めた気もしなかったし、アキサメとシノブあたりと酒を飲むなんて当初考えていた予定も、有耶無耶になっていた。
いつも通りのつもりだったが、やはり初めて死を間近に感じて思うところはあったのだろう。
缶コーヒーのプルタブに爪をかけ、指を掛けて開き、一口。
「次のお休みは?」
「え、ああ、明日ですね……」
そう言うと、シロナは頷く。
「では、お出掛けでもしてみては? シュブ、ではなく……シュニスさんと」
「シュニスと、ですかぁ」
まぁなんだかんだ悪い案ではないように思えた。
「明日は晴れなのでデート日和ですわ」
「デート、ですか?」
「シキモリさんは元男性とお聞きしましたから、男性目線から見てもシュニスさんは魅力的でしょう? それにシキモリさんにずいぶんと好意的ですし、前に他の男性から声を掛けられているときはずいぶんと退屈そうでしたよ?」
そう聞くと、なんとも言えない気分になる。
だからこそシロナの提案は良いものにも思えたので、素直に頷く。
あまり接点などない自分にここまで親身になって色々教えてくれた相手だ、好意的に思わないわけがないし、彼女の案を無下にしたくもない。
すると、シロナは上品な微笑を浮かべた。
「ええ、それが良いですわね。シキモリさんが元気でないとシノブさんやアオイさんも気にしていたようですし」
「え、そうなんですか?」
「はい。それに
───え、なにそれはときめいてしまうんですが。
この世界においていないタイプの女性だったもので、思わずタマキの心は揺れた。
清廉な雰囲気でお嬢様なシロナ、(自称)男としては気にしないわけがないし、挙句こうも気立てが良く親身に相談に乗ってくれる……胸はその、慎ましいのだが……男ならば心動かされないわけもない。
むしろデートにお誘いしたい気分なのだが、それができれば20年も“童貞”をやっていない。
童貞の前に処女を喪失しような勢いの時もあるが、そこは気にしないこととする。
「その、ありがとうございます」
「いえ、礼には及びませんわ。私も少し上機嫌で浮かれてますから……幸せのおすそ分けというか」
はて、それはどういう意味だろうと首を傾げるタマキ。
「ふふっ、いえ、明日そのっ、久しぶりにデートですから、私も……」
───かわいい子には彼氏がいるんだよなァ!
心の中で膝から崩れ落ちるタマキだが、それもまた仕方のないことであろう。
ある意味、追い打ちをかけた形になるが、それを知るシロナではない。
「そろそろ時間ですね。ではシキモリさん、また」
「あ、はい」
「ふふっ、お互い明日は楽しみましょうね」
言われてみれば上機嫌が加速していってる気がすると、タマキは弱々しく笑った。
立ち上がった彼女は飲み干した空き缶をゴミ箱に入れると、タマキの方を向いて軽く手を振り、歩いて去っていく。
残されたタマキは深い溜息をつきながら、コーヒーを一気飲みしてゴミ箱に空き缶を投げ入れる。
「お、一発……」
だがまぁ、気分はだいぶ良くなったと苦笑して、勢いよく立ち上がり背を伸ばす。
近くにあった窓ガラスに映る自分の顔を見ればどっからどう見ても美女。
だがまぁ、デート云々はともかくシュニスと出かけるのは悪くはないだろう。したいことも今しがた思いついたところだ。
「さて、気合入れてきますか……っ!」
グッと両手を寄せて頷けば、窓ガラスに映った自分も同じポーズを取るのだが、両胸が寄せられて非常に色っぽいポーズに見えてしまい、タマキは力無く手を降ろす。
そして、両胸を軽く持ち上げると、溜息をついた。
たまに同僚にスタイルを褒められて悪い気がしない自分がいる。
「ぜってぇ戻る……うん、戻ろう」
言い聞かせるように言うと、彼女は今一度頷いた。
オフィスへと戻りデスクにつくなり、シュニスが笑顔で迎えてくれるが、妙に気恥ずかしくなり眼を背ける。
頬を膨らませながら両手を開き近づいてくるシュニスを、押して椅子に座らせるなり、シノブが近づいてくることに気づいた。
シュニスもシノブのことを見て近づくのを止める。
「おかえりなさい、多少は気分転換になりました?」
「あ、シノブさん、ありがとうございます。気を遣ってもらっちゃって」
素直に礼を言うと、シノブは微笑を浮かべて首を左右に振った。
それ以上、言及するのも野暮だなと大人しく引き下がるタマキだが、ふと気になることを口に出す。
「そういえば、さっきから廊下で見覚えのない人とすれ違うんですけど……」
「ああ、所謂攻略部隊、“第二機動隊”ですよ。ルルイエ離島の“攻略”を終えて帰ってきたんです……そのうち一緒することもあると思いますが、タマキさんとシュニスさんのことは話が通っているので問題ないですよ」
「へぇ~」
そういえば、なにか引っかかることがあるが……思い出せないので気にしないでおく。
「癖がある人も多いですが、それに関しては“
「……確かに」
そう言いながら、タマキの中で一番癖のある目の前の人物に視線を向ける。
半目にしながらシノブを見ていると、それに気づいたシノブが少し顔を赤らめた。
「な、なんですかそんな眼で見てっ」
───そうはならんやろ。
なっているのだからしょうがない。
「もぉ、そんな顔したってお給料は上がりませんからね……こ、今度二人でどこか行きます?」
「行かないですけど」
「くっ、好感度が足りない……!」
そんなことを言うから余計にタマキが懐かないのだが、それを理解できるシノブでもない。
真っ当な時は真っ当なことを知っているだけに余計にこういう状態であると、タマキがガッカリするはめになるのだが、ずっと真っ当でこの思考でも怖いので、おそらくこっちの方が良いのだろう。
肩を落として自分のデスクへと戻っていくシノブを見つつ、彼女にも色々と世話になっているしなにかしらお礼はしたいと思う。
ふと、シノブのデスクの傍にアオイがいることに気づく。
「あ……」
目が合うなり、アオイが軽く笑みを向けてくるので、タマキは軽く手を振り返した。
「授業が終わってから出勤って、よくやるなぁ」
ぼやきながらも、タマキはシュニスへと視線を向け“それ”を言おうとして言い淀む。
すると、シュニスはタマキのそんな様子に気づいたようで、首をかしげた。
「ん、どうしたのタマキ?」
「ああいや、明日は一緒にどこか出かけるか~って」
そう言うと、シュニスは一瞬固まるも───すぐに、パァッと笑顔を浮かべる。
「デートってこと……!?」
「あぁ、いやそういうわけじゃ」
一発で看破されて少しばかり焦りつつ、視線を逸らして気恥ずかしそうに言うタマキに、シュニスは嬉しそうに椅子を近づけた。
別段、タマキとしては彼女に気があるわけでもないのだが、そうなってしまうのだろう。
男女が共に出かけるそれをデートと呼ぶのなら……間違いではない。タマキの中では“男女”なのだ。
「ふふふっ、タマキがデートに誘ってくれるなんてぇ~、これはタマキが私の彼女になっちゃう日も近いかしら……!?」
「いや付き合わないし……! いや彼女じゃなくて彼氏だし……!?」
「……え?」
小首を傾げるシュニスをしばき倒したい感情が芽生える。
「男だから、男っ……!」
「まぁまぁ、それは置いといて」
「最優先事項だが……!?」
タマキの言葉を軽く受け流し、シュニスは椅子に座ったまま上機嫌に体を左右に揺らす。
「あ、そういえばタマキ、お化粧品をもらってたわよね。私がやってあげるわぁ」
「い、いや良いから出かけるだけなんだし、そもそも」
「ダメよぉ、素材が良いんだからぁ、私に似て」
否定はできないので、タマキは押し黙る。
だが、やはり化粧は認められないと、別に男でも化粧をする時代だった人間のタマキは無駄なプライドで首を左右に振ろうとするが、シュニスの手がタマキの頬に伸びた。
へっ、と情けない声が口から漏れるも、シュニスは微笑を浮かべているのみ。
「ねぇ、かわいいタマキの新しい一面、私が見たいの……」
「い、いやっ、そ、その……」
「明日だけで良いから、私に見せて……ね?」
優しく、囁くように言いながら、頬に当てられたシュニスの親指がそっとタマキの頬を撫でた。
そんな彼女の見えぬ瞳からの視線と、優しく頬を撫でる感触に、熱に浮かされたような妙な感覚で、ボーっとして思考を停止したタマキは、無意識の内に頷いてしまう。
弱々しい、頬を赤くしたタマキの肯定に、シュニスはパァッ、と笑顔を浮かべた。
「う、うんっ……」
「フフッ、ありがとう。タマキ……」
そう言われて手を離されてから、数秒して───タマキは我に返る。
「なにやってんだオレぇ……!」
「え~私って言ってよぉ」
「やだ……! オレは、オレは男だぁ……!」
嘆く様に言うタマキを見て、シュニスは眉を顰めながらもおかしそうに笑う。
なにはともあれ、タマキの気分転換たるデートの約束は取り付けられた。
ただ、それの犠牲もあるわけだが……。
そんな光景を離れたデスクから見ていたシノブは、口をあんぐり開けて驚愕の表情を浮かべている。
そう、その犠牲である。
「寝取りじゃないですか……!!」
「寝てから言え」
アオイの辛辣な言葉に、シノブは頭をデスクに沈めた。
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