2.ファーストブリーフィング


 ───カーテンの向こうから差し込む光に、“彼女”は目を覚ます。



「……朝か、ん……そうだね。女の子だね」

 

 識守珠輝……タマキ・シキモリの朝は早……くない。実に普通の時間に起き、自身の豊満な胸を見て死んだ目で天井を見上げる。

 都庁タカマガハラに居を構える【アマテラスの代理サクラ】の意向で用意されたマンションの一室、そこにて眼をさましたタマキは、一月経ったにも関わらず慣れない様子で着替えを始めた。

 顔を僅かに赤くしながら自らの服を脱ぐ彼女は、他人から見たら非常に不自然ではあるのだが、そうある理由があるのだから、仕方がないことなのだ。

 それにそれを見ようとする他人など“一人”しかいない……いや、“他人”とも言い難いが。


「ふぅ……いつになったら慣れるんだこれ……」


 いかんせん件の人物こと“シュニス美人”に似せて作られた姿、というだけあって緊張が解けない。

 美人は三日で慣れる……と言うが、絶対に嘘なのだと身をもって証明してしまった。ちなみに嬉しくはない。

 着替えを終えてワイシャツとズボンというラフな格好になると、“切るなとせがまれた”せいで長いままの髪を一本結いにし、両頬を軽く叩く。


「っし、切り替えてけ、次だ次」


 言い聞かせるように言うなり、タマキは部屋を出てリビングへ。


「おはよう」


 呟くように言えば、リビングのソファに座っていた女性───シュニスが振り返る。

 閉じたままの目であるものの、笑みを浮かべて振り返る彼女、その金色の髪がふわっと舞い、そんな光景についつい心を奪われそうになるも、それがスカートの中から触手を出すような女だと思いだし自らを律す。

 眼を閉じて溜息をついてから、再度眼を開く。


「タマキ?」

「へ?」


 吐息すらかかるような超至近距離


「どぅわっ!」


 眼前にいたシュニスに驚いて思わず後ずさるタマキが、自身の胸に片手を当てるがバクバクと音を鳴らすはずの心臓の鼓動は弱々しい。

 おそらく、心臓と手の間にあるそのドデカイなにかが原因なのだろう。

 それに気づき、顔を赤くしたタマキは頭を左右に振る。


「え、こんな日が高い内から一人で“そんなこと”始めるなんてタマキったらぁ……冒涜的で素敵だわ」

「はじめねぇよ!?」


 勢いよく怒声を発しながらも、タマキは息を吐いて自分の熱くなった顔をごまかすようにそっぽを向いてダイニングキッチンの方へと移動。

 冷蔵庫を開く……熱くなった顔が冷気によって冷えていく感覚が心地いい。

 軽く息を吐いて、タマキは朝食を作るため、食材を取り出した。




 手早く作った朝食をテーブルに並べると、シュニスがソファから料理の並べられているテーブルへと移動してくる。

 たまに手伝ったりもするが、今日はそういう日でもなかったらしい。

 一ヶ月もすればこうして一緒に卓に付くのも慣れてきたもので、別に不自然なくお互い対面に座り、同時に『いただきます』とだけ言って食事を始めた。

 邪神に食事が必要なのかと聞かれれば、タマキは答えを渋るだろう。シュニスに聞いたこともあるが、はぐらかされてしまった。


 だが御飯を用意した時に平然と食べていたので食べるものだろうと思って、毎回用意しているだけだ。


「今日もお仕事ねぇ、大変ねぇホモサピ、人間って……」


 別にホモサピエンスと言っても構わないが、と思いながらパンをかじる。


「まぁこうやって平和に暮らすためにも……」


 言いながら、やっぱり平和じゃないかもしれないと思い立つ。

 だが……どうあってもこの世界じゃ完全に平和とはいかないのだ。なら仕事として他の者たちと協力し、対抗する手段があり、手厚い待遇のこちらの方が良いだろう。

 危険に跳び込むことが必要になるとしても、だ。


「第一、死なないしなぁ」

「だから死ぬってばぁ」

「いやまぁ、それもわかってるけど」


 それは“シュニスと離れた場合”だ。

 そうしなければ問題はない。問題はあるかもしれないが、ないと思わなければやってられない。

 ともかく、今やるべきことは男に戻れるまで───シュニスの邪神としての力が戻るまでこうして、生活していることだ。

 外から来るもの、コクーンやショゴス。それ以外にも邪なるものを崇拝し破滅を望む者たち、邪教など。それらの対処をする組織に身を置き仕事はしているが、しょっちゅうそれらが来るわけでも、事件を起こすわけでもない。

 それにまだ邪教と関係した仕事は受けたこともない。


「なんとかなる……か?」

「あ、そういえばさっきニュースで邪教がテロしたとか」

「うわ、さっそく絡みありそう……」

「たぶんタマキを呼び出したとこと一緒、私関係ねぇ」


 思わず頭を抱えたくもなる。むしろ抱えた。

 なぜか保護者のような扱いを受けているだけに、シュブ=ニグラスことシュニスへの風評はことさら気にする。気にせざるをえない。


「……今日、シノブさんに聞いてみるか」

「どうしてもダメそうだったら私が直接話してみるとか? 一応ほら、私を崇拝してるとこだし」

「いやでも、こういうパターンって『お前が神であるものか!』とか言われて火あぶりとかにされるパターンじゃ……?」


 ソースが創作物というのが非常に頼りないところであるが、その可能性もなくはないだろう。


「それじゃ殺しちゃえばいいんじゃない?」

「物騒なこと言う……い、いや人間殺すのはちょっと」


 さすがにそれに躊躇しないほど、この世界に慣れてはいない。

 元居た世界より身近に死があるため命が安いのか、この世界ではあちらほど珍しくないのは事実ではあるが……タマキも、ルルイエの離島より放たれたコクーン被害により死体を見ることも珍しくはなくなっているものの、それでも始めて見た時は眠れなかったし一日中嘔吐感も止まらず……最近だって見慣れたとは言っても気分がいいものではない。

 だからこそ、シュニスの発言に否定的な意見を述べる。


「……ていうか、神様ってこう、信者とか少なくなるとパワーダウンするとかあるんじゃないの?」

「なにそれ、知らない、こわ……」

「えっ」


 なぜにそのような反応をされるのか、甚だ遺憾である。


「んん~こっちの神様はそうなのかもしれないけど、私達ってほら邪神だから……この力は元々信仰の前にあったもので、信仰って言うのは後付けなのよ。まぁ自分の名前でサバトなんて開かれたら悪い気はしないけどぉ」

「満更でもないわけな」


 とんだ承認欲求モンスターだったと溜息を吐く。


「あ! でもタマキと二人きりで秘密のサバトなら満更でもな」

「しねぇよ! せめて男に戻ってからにさせろ!」

「えぇ~私それなら張り切っていつもより多めに触手出すのにぃ~」


 そんなことで張り切られたくはない。

 タマキは勢いよくパンにかじりつき、テレビに視線を送る。

 やれ海底探査だやれルルイエの状況だやれ各国の対応だと、眼が滑る話題ばかりで……当時は一ミリも欲しいと思わなかったパンダの子供が生まれた等の心温まる報道が見たかった。

 だが、そうもいかないのだろう……。


「タマキったら冷たいわねぇ~」

「食事中に触手出すな、撫でるな」





 東京のタカマガハラ周辺は所謂都会であり、オフィス街である。

 ビルの高さは平均的なもので二十階ほど、周辺から、というより海から離れればかなりタマキの識る住宅街に近い姿になる。

 やはり諸々と問題もあるので都会から近ければ近いほど“鎮圧部隊”の拠点は多いが、住宅街にも周囲五キロ未満に必ず一つはある。比較的安全ではあるが……必ずコクーンの着弾が無いとも言い切れないからだ。

 コクーンが射出された箇所から遠ければ遠いほど着弾前に鎮圧できる可能性は高く、着弾しようと位置を正確に割り出せるようになるから比較的少なくて良いだろうと言う判断なのだが、それ以外にも理由はある。

 そう、邪教だ。邪教がある場合、テロリズム等を行う可能性が高く、ともなれば鎮圧部隊は、通報または発見からすぐに対処をする必要に迫られる故に、拠点は等間隔に配置していた。


 といっても人員に余裕があるわけではないため、最小限であるし都内から遠ければ遠いほど、拠点の距離も遠くなっていくのだが……。



「会議ってなにかしらね。私はじめてでワクワクするわぁ~」

「しないんだよ普通は……」


 ニコニコとしているシュニスと、呆れたような表情を浮かべるタマキは現在、タカマガハラ近くのビル、その十五階にいた。

 ここではデスクワークだけでなく、慣れない体で慣れない運動、戦闘訓練など、普段ならばすることは諸々とあるのだが今回は違うようで、三部屋ほどをぶち抜いた大きな部屋、ブリーフィングルームと呼ばれる部屋にタマキとシュニスはいる。

 大きなモニターを前に、椅子を並べて座っている同僚たち。

 タマキとシュニスもそれに倣い、その後ろの方に座っていた。


「ん、これで全員ですね。さて、おはようございます」


 モニター前に立つのはあの日タマキの事情聴取をした女ことシノブ。

 小型マイクを持ってのその挨拶に、六十名ほどの面々は挨拶を返す。


「さて、アキサメさんがタカマガハラの方に行っておりいないので、今回は私が……今回みなさんにお集まりいただいたのはとある問題が発生したからです。東京から最も近い未攻略の離島に派遣された“攻略部隊”からの報告です」


 よくわからない、と言えるほどこの世界と無関係に一月を過ごしたわけではない。

 タマキはポケットから取り出したメモ帳を開きボールペンを片手に、シノブの話に耳を傾けつつ周囲の反応を伺う。

 知識としては知っていても、どう危なかったりどの程度の問題だったりかは理解できないので、それらで判断するしかないのも仕方のないことだ。


 鎮圧部隊と反対に、コクーンを射出する離島を攻略する部隊が存在することは知っている。


 そしてそれの成功率が低いということも……。


「コクーンの射出装置を発見したようなのですが……それが通常のものより大きいらしく、破壊に手間取っているそうです」


 モニターにはCG映像で射出装置が映る。

 陸地に肉でできた卵、巨大なコクーンのようなものが映っており、その頂上部が開いていた。ただ通常のコクーンと違い、それは下部から肉の管のような根を張り、脈動している……。


「もうすでに射出口に次弾のコクーンが見えているそうなんですが……おそらく破壊は間に合いそうにないので、防衛準備は進めておいてくれ、と。そしてそのコクーンが若干大きくて“奇形”だそうです」


 顔をしかめて嫌悪感を表すタマキを見て、隣のシュニスはその頭を撫でるが、すぐに振り払う。


「やめろっ……」

「恥ずかしがらなくてもいいのにぃ」

「言っとくけどお前の出す触手と同じようなもんだぞ、オレの中じゃ」

「えっ」


 ショックを受けたかのように固まるシュニスを放置してモニターに視線を戻す。

 その射出装置“のようなもの”からコクーンが射出されるらしいが、まるでマトリョーシカだなと考えて、そんな悍ましい土産物があってたまるかと苦笑を零した。

 すると、誰かが手を上げる。


「ん、質問ですか? どうぞシロナさん」


 シノブの声に立ち上がる少女、シロナ。


「あ……」


 ここ一ヶ月、あまり見たことはなかったがそれはタカマガハラで自分を守った少女だ。

 白いセミロングの髪を靡かせ、立ち上がったシロナが見える。

 たまに遠くに見えて軽く手を振ってくれたり、笑顔を向けてくれたりと友好的なのでタマキとしては非常に好印象である……戦っている姿を見たことは無いが、タカマガハラでアオイを止めていたのだから同レベルかそれ以上なのは間違いないのだろう。


「そちらには“お姉さま”がいたはずですが……攻略に時間がかかっているということは、お姉さまになにか?」

「いえ、お姉さんの方は問題ないそうですよ。ただ、やはり通常のものより巨大であり、守りも硬くショゴスも通常の射出装置防衛の比でない数だそうで、それに攻めあぐねているようです」

「……そうですか」


 ホッ、と一息をついてシロナは席に着く。

 どうやら姉が心配らしいが、そのような魑魅魍魎跋扈する以上地帯に身内が行っているともなればそうもなろうなと、タマキは頷いた。

 彼女には借りもあるので、なにかあったら力になりたいとは思うがアオイレベルであれば自分が力になれることもないだろう。

 とりあえず、再開されたシノブの話に耳を傾けた。


「つまり、これから攻略部隊の次の連絡があるまで我々は第二種戦闘配置で待機ということになります。いつ奇形コクーンが射出されるともわかりません、気を抜かないように……でも、気を張り詰めすぎないようにしてくださいね」


「はい!」


「あ、はい!」

「はぁ~い」


 全員の返事に、遅れてタマキが返事を返し、シュニスもそれを追う形でゆるく返事。

 溜息をつきつつも、最前列なのでかなり距離があるシロナを視界に納め、その二つ隣ほどに座るアオイを見やる。

 彼女たちもいるならば自分の出番はないだろうと思いつつも、隣のシュニスに視線を向けた。


「どうする、これが最後になるかもしれないし子作りしとく?」

「しねぇよ」


 申し訳程度に小声でそう言うシュニスに、タマキは顔を赤くしながら否定の言葉で帰す。

 別に満更でもないわけでもなく、その“行為”について想像して赤くなっているだけだ。地味に初心である。

 シノブが今後の立ち回りや配備地区などの説明を始めるので、メモを取りながらタマキはちょっとした疑問を口にした。


「てか子供埋めんのオレ……」

「あ、そういえばまだキてないんだものね。もう少ししてからかしら……」


 そこでメモを取っていたタマキの手がピタッと止まる。


「え、くるの……生理」

「……え、くるわよ? 女の子だもの」


 当然じゃない。とでも言いたげなシュニス。タマキはパクパクと口を開いたあと……。


「生理来るのオレぇ!?」


 思わず大声を出して立ち上がる。

 それにはさすがのシュニスも驚いた顔を見せるが、そんなことに構っている余裕はない。

 色々と頭がパンクしそうだし、未だに(自称)男であるタマキとしては衝撃もいいところだ。


 だが、自分の今の状況に気づくなり、タマキの顔がボンッと音がしそうな勢いで真っ赤に染まる。


「あ、えとっ、そのっ……」


 その状況に、二人の会話を察したシノブは苦笑を零し、周りもなんとなく理解し笑う。

 空気が解れたという意味では悪くなかったのだが、いかんせんタマキにはその気もなければ、良かったと思えるほど神経が図太くもない。

 身体を小さくしながら、タマキは腰をゆっくり下ろす。


「しゅ、しゅみましぇんっ……」


 両手で顔を覆うタマキへと椅子を寄せるシュニス。


「タマキ、かわいいわよ……!」

「うれしくねぇよぉ……」

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