第6話:憐れな深淵の落とし子

1.アダプテーション


 最初のコクーンオリジンの落下から、十数分が経過した。

 タマキとシュニスの乗っていた輸送ヘリの後部に乗っていた隊員たちも二人を残し、すでに降下して各地で戦闘を行っていることだろう……そして、そうなれば次は自分たちである。

 別に今更それが嫌というわけでもないタマキだが、一つだけ嫌なことがあるとすれば……。


「なんでまた飛び降りなんだよぉッ!!」


 開いたハッチの上で、強風に髪をなびかせながら叫ぶタマキ。

 隣のシュニスの左腕をがっしりと両手で掴み、内股でプルプルと震えて眼下の“新宿”を恐怖でひきつった表情で見下ろす。

 そう、彼女は高いところが苦手であった。高所恐怖症と言っても良い。


「前もちゃんと着地できたでしょ? ちゃんと風の魔術でぇ」

「てか魔術ってなんだよ! 情報処理能力そんなねぇんだから説明せい説明を!」


 涙目でヘリのプロペラの音に負けじと叫ぶタマキであったが、シュニスは眉を顰めて首を傾げる。


「え~教会で修道女が使ってきたでしょぉ?」

「憶えてねぇ!」

「あ、そういえばタマキったらあの時はそんな状況じゃなかったわよね。余韻で」

「言わんでいい!」


 なんの説明も解説もなく出てきた『魔術』という単語に不満たらたらのタマキではあったが、元々“そういった”サブカルチャーにそれなりの理解があったので本当になにからなにまで意味が解っていないわけでもない。

 そういう不思議な術が魔術であるとは理解しているのだが、この世界に転移してからまったく聞かなかったにも関わらず、唐突に出てきて、あまりにも唐突にシュニスが扱い出すのだから混乱もしようものだ。

 前回の後に説明を求めなかった自分も悪いのだが、説明しないシュニスや周りも然りであると、とりあえず不満たっぷりな表情で、恐怖と戦いながらシュニスを睨みつける。


「なにそれかわいい」

「なっ! か、かわいい言うなっ!」


 不満ですと訴えるはずが、シュニスの漏れ出た言葉に顔を赤くして抗議するタマキ。

 それがまたシュニスの“感情を煽る”のだが、タマキの知るところではない。

 ともかく、ここでうだうだとやっていても仕方ないのも事実なので、タマキは自分自身に言い聞かせるように大丈夫だと頷いて、恐る恐る踏み出そうとする。


「待ってても良いのよ? 私一人でも……」


 優しげな表情で諭すように言うシュニスを、タマキは少しばかり鋭い瞳でしっかりと見て、首を横に振るった。

 意外そうに眉を動かすシュニスの左腕を掴む手に込める力が、少しばかり強くなる。

 先と、同じだった。


「オレだって、お前のこと……守れるっ」

「ッ!!?」


 涙目ではあったが、やはり強い決意と強い意志を感じるその言葉と表情に、邪神シュブ=ニグラスは、名状しがたい不思議な感覚を覚えた。

 そして、なんとなくではあったが彼女は目の前の人間の“”の言葉や意思を、どことなく理解する。

 笑みを浮かべ、タマキに抱き着かれた左腕をそのままに、右腕でタマキを引き寄せた。


「へっ!?」

「じゃあいくわよタマキ、しっかり掴まってなさいね……!」

「ちょっ!」


 瞬間、シュニスに引かれるようにしてヘリのハッチから飛び出す。


「ひゃああぁぁぁぁっ!!?」


 絹を裂くような“自称男タマキ”の悲鳴が新宿の空に響く。

 空中にてシュニスは器用に体勢を変えてタマキを横抱きにすれば、タマキも必死にシュニスの首に腕を回してしがみつく。

 自身の腕の中でギュッと目を瞑るタマキを見て、シュニスは再度、先ほどとは“方向性の違う”名状し難い感覚に襲われる。

 思わずゴクリと生唾を飲みつつ、地面が近いことを感じて“ソレ”を発動。


「あら」

「あらってなに!? なんかミスったとかじゃないだろぉなぁ!?」

「大丈夫よぉ、ミスしても死なないじゃないお互い……それにタマキは私が」

「墜ちたら痛いでしょうが!?」


 尤もなことであるが、現実ミスなどしていない。

 ただ彼女は“聞いてはいた”が、その事実を目にして少しばかり驚いたというだけのことである。


 落下からの緩やかな減速……そして、そっと新宿駅前の地に降り立つのはタマキを抱くシュニス。


 金糸の如き髪がふわっと浮き広がる二人の髪。


「タマキ、大丈夫よぉ」

「ま、マジお前っ! ここっ、心の準備とか、ま、待てよっ!」

「あ、ついつい舞い上がっちゃったものだから」


 タマキはわけもわからず『なぜに?』と困惑するものの、シュニスはどことなく嬉しそうであり、その両頬はわずかながら赤みを帯びている。

 僅かに振るえる足をもってどうにか立つタマキの視界の先には件のモノこと“コクーンオリジン”が存在していた。

 ヘルハウンドを生み出すエルダーコクーンと似たサイズではあるが、迎撃用の触手をその下部から伸ばしており、隊員たちはそれに苦戦しているようだ。


 コクーンが1、ショゴスが8、ヘルハウンドが1と最近では珍しくもない数ではあるのだが、それ故に負傷者0とはいかないのは理解しているし、なによりコクーンが別物であるからさらに被害は免れないだろう。


「しかも“闇囁教会邪教”……!」

「私の、ねぇ」


 視界に映るのは五人ほどの“修道女シスター”であり、彼女たちはタマキとシュニスを視界に入れる。

 前回と同じであれば間違いなく敵であろう。


 だが……。


「シュブ=ニグラス様だ!」

「神子様もいるわ!」

「こっちに来てよかった!」


「へ?」


 今回は───状況が違った。


「奇跡が見れるわ!」


 突如興奮する教徒たち。

 ともあれ、敵対的でないその姿に一気に緊張感を削がれたタマキと、頬に手を当て首を傾げるシュニス。


「えっと、これどういう……」

「シュブ=ニグラス様! 神子様! 我々も微力ながらお手伝いします!」

「え、あ、はい」

「あら、味方なのね」


 少しばかり離れた場所にいた教徒が“潜入任務あの時”のように火球を放ち、ショゴスの一体を焼き払う。

 他のカグヤの隊員たちも別段相手にせずに、ショゴスと戦っているところを見ればおそらく先からずっとその様子なのだろうと理解した。

 この非常時だ。敵でないならそれに越したことはないし、むしろ味方してくれるなら無下に扱うわけにもいくまい。


「そ、それじゃあ、お願い、します……?」

「お、お任せください神子さまぁ! 我々“シュブタマ派”にお任せくださぁい!」

「え、なんて?」


 目を輝かせて叫ぶ教徒の一人は、鼻血を垂らしながら火球を放つ。


「と、ともかくやるぞシュニス……!」

「ええ、さっさと終わらせちゃいましょ」


 新宿の駅前、コクーンオリジン、またはショゴスへと放たれる火球と弾丸の嵐。タマキも参戦すべく、すぐさま拳銃を引き抜き、狙いを定め引き鉄を引く。

 続いてすぐ傍のシュニスのスカートの下から伸ばされた触手が地を奔り、最も近いショゴスを囲み、四方から串刺しにする。

 核を打ち抜くか砕くか、または先の教徒のように焼くかでもすれば崩れ落ちて朽ちるはずのショゴスが、いまだ蠢きシュニスの触手を抜こうと、自らの触手を伸ばす。


「ん、核を外したかしら」

「ならッ……!」


 タマキが撃った50口径の弾丸が真っ直ぐにショゴス体内の核を打ち貫き、その肉の体を散滅させる。

 だが、問題のコクーンオリジンがショゴスを通常のコクーンの比でない速度で生み出しているのも問題だった。

 顔をしかめつつ、タマキは隊員や教徒たちと共に前線を押し上げようとした時、気づく。


「ヘルハウンド……!」


 コクーンオリジンの背後から、跳び上がるヘルハウンドが近くのビルへと飛び移りその壁面に爪を立てて掴まる。

 タマキは、その四つの瞳が自らを見ていることをハッキリと理解し、額に汗を浮かべた。

 すぐ横にシュニスが立つが、彼女の触手もさすがに射程圏外であることは明白だ。


 ともなると、待つしかないが……それは一瞬だった。


「タマキ!」


 ビルを蹴ってミサイルの如く飛んでくるヘルハウンド。

 タマキとシュニスは地を蹴ってそこから跳ねると、宙に体を浮かせたまま銃口を飛んでくるヘルハウンドに向け、引き鉄を引く。

 放たれた弾丸がヘルハウンドの突き出した腕へと直撃し、その伸ばされた腕が僅かに曲がる。


 接近してきたヘルハウンドの腕はタマキが元いた場所に突き立てられ、砕けたアスファルトの破片が周囲へと飛び散った。

 そして、タマキは“呼ぶ”。


「フラン! ベルナ!」


 その声と共に、散ったアスファルトの破片から青い煙と共に現れるのは“ティンダロスの魔犬”とシュニスが呼ぶ種の生物。

 二匹はヘルハウンドへと飛びかかる。

 後方へと倒れるヘルハウンドを尻目に、タマキは落下する感覚に背をアスファルトへとぶつける覚悟を決めるのだが、寸でのところで“ナニカ”に引き寄せられた。


「ひゃっ!?」


 か細い声と共に、タマキは気づけばシュニスの腕の中に納まっていることに気づく。

 おそらく体を地面にぶつける寸前で彼女が触手で引き寄せたのだろうと理解するまで、時間はいらないのか、すぐにホッと息をついた。

 少し首を後ろに向けて、自分を後ろから抱えるシュニスを見て微笑を浮かべる。


「ありがと」

「どういたしまして……タマキ」


 ギュッと、一瞬だけ力が籠ったことに違和感を覚えるタマキではあったが、すぐに離され、両足でしっかりと立つ。

 教徒数名の黄色い歓声が聞こえた気もするが気のせいだと思っておく。

 ともかく、二匹が戦っているというのにぼうっとシュニスと遊んでいるわけにはいかないと、すぐに両手で拳銃を握り直してヘルハウンドへと視線を向けた。

 フランとベルナはヘルハウンドの両腕に噛みついていたが、起き上がったヘルハウンドは副腕を伸ばし二匹を攻撃しようとするも、その凶爪が二匹を襲うより早く、二匹はヘルハウンドの肉を噛みちぎって背後へと跳躍。


 加えたヘルハウンドの肉を吐き捨てる二匹の元へとタマキが駆け寄る。


「怪我は、ないな……いやしたとこ見たことないけど」


 そう言って少しばかり安堵するタマキがヘルハウンドをみやれば、深々と噛み千切られたせいかヘルハウンドの両腕はダランと垂れさがっていた。

 タマキは自身の拳銃を見やり、頷く。

 隣へとやってきたシュニスが触手を伸ばすが、ヘルハウンドは副腕でそれを切り払った。


「最近の個体と同じだな。銃、変えてもらってなかったらヤバかったな」

「回復も遅いし、これはあれね……再生怪人はザコの法則ね!」

「俗っぽいなぁ」


 言いながら、ヘルハウンドを回復させるわけにもいかないので即座にタマキは拳銃を撃つ。

 放たれた弾丸を避けようと横に跳ぼうとするヘルハウンドではあったが、シュニスの触手がヘルハウンドの両足首を掴む。

 副腕は他の触手の相手だけで手一杯のようだ。


「頼んだ!」


 弾丸はヘルハウンドの胴体を貫くが、別に変化はない。

 だがタマキの声と共に駆けだした二匹がその爪で、今度はヘルハウンドの両副腕を斬り裂き、ヘルハウンドの背後へと着地。

 さらに地を蹴り、に引くは今度は足を斬り裂き、さらに次に胴体をX字に斬り裂いた。


 今までの経験上、核があるのはほぼ確定で胴体の“どこか”だ。


「シュニス!」

「はぁ~い」


 間延びする返事と共に、シュニスの触手六本がヘルハウンドの胴体を貫いた。


「みつけ……た!」


 その声と共に、ヘルハウンドが熔けるようにただの肉へと変わり、朽ちていく。

 フランとベルナがタマキの元へと跳ねて下がれば、シュニスも触手を再度スカートの中へと下げていく。

 タマキはすぐに視線を動かした。


「あとはコクーンオリジン!」

「ショゴスも減ってきたわねぇ」


 しっかりと教徒たちも協力しているようで、火球やら風の刃のようなものを放ってショゴスを攻撃しているのだが、コクーンオリジンへの攻撃が……。


「通ってない。触手が全部弾いてるのかっ」

「それにあれ自体もかなり固いみたいね。私達がやらないとねぇ」


 困ったように言うシュニスに頷いて、タマキは両隣にいるフランとベルナに視線を向ける。

 やはり一人と二匹に頼るしかないだろうと思いながらも、タマキはふと妙な感覚を覚えた。

 身体の奥底から湧き上がるその感覚は、なにか予感めいたものであり、それはやはり不吉なものの前触れなのだろう。


「シュニスっ!?」

「あら、嫌な感じ、これって……?」


 目を閉じたまま眉を顰めるシュニスに視線を送った後に、タマキは再度コクーンオリジンへと視線を戻す。

 瞬間、コクーンオリジンは上部の開口部よりナニカを“吐き出す”。

 それはショゴスでもなければヘルハウンドでもない。


 黒いなにかが真っ直ぐに真上へと向かい、ビルの屋上ほどの高さまで到達するなり……“膨張”した。


「っ……なに、あれ……」


 タマキは独り言のようなか細い声でそう言う。

 周囲の隊員たちも、ショゴスと戦闘を続けながらも、“上空”を見やり、やはり僅かに手が止まってしまった。

 教徒たちもまた然り、瞳にタマキとシュニスと言う神秘を納め、その神秘故にその場に在るというのに、その瞳に映った神秘にを奪われる。


「う……宇宙……?」


 上空、高度数十メートル地点の、なんてことはない空。


 そこに広がるのは───広大な暗黒小さな宇宙であった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る