第39話
喪が明けてお爺様も伯父様たちも去り、画家も作品を仕上げてそれを届けがてらコスタス様が侯爵領に向かうと、途端にぽつんと屋敷に残されたように広く寂しく感じられた。今までバタバタしていたけれど、賑やかな大旦那様の笑い声が無いとこんなものなのかな、と思う。ちょっとだけ、ちょっとだけ寂しい。メイドさん達もコックさんも執事さんもいるし、仕事は山積みだけれど、ふとした時に感じるのはそれだった。
大奥様のストールを掛けて、いつの間にかちらつくようになった雪を窓から眺める。真冬まではもう少し。そうなったらこの屋敷はもっと冷たくなるんだろう。暖炉はあるけれど、私の場合自分のショールも大奥様のストールもあれば大して寒気も感じない。どっちも魔法がこもっているから、気温の変化を感じないのが事実だった。
もっともそんなこと言ったって屋敷の人たちには寒いんだろうけれど。だから一緒にいたいと思ってしまうのは、私の我が侭だ。一人で仕事をして、時折紅茶を持って来てもらって、おやつの時間にはお砂糖菓子が出て来る。
そうだ、地下の図書室の妖精たちにも大旦那様が亡くなったことを知らせなくちゃな。思うと憂鬱だけど、大奥様の死をずっと知らされなかったようにはなって欲しくない。泣ける時に泣いて欲しい。私も今回は泣き尽くしたから。
お父様からの傷も瘡蓋は剝がれて髪に隠れ、一見すると見えないようになっていた。その時は泣かなかったのに、今回は自分が傷付けられたわけでもないのに泣いてしまった。私は大旦那様を好いていたのだろうか。愛していたのだろうか。家族として。一週間も一緒に居られなかった人だけど、と、ティータイムにテラスに向かう途中でホールに飾られた大きな肖像画を見る。大旦那様と大奥様。二人が睦まじかったのなら、コスタス様も幸せだったのだろう。幸せ。私の幸せとは何だろう。
少なくとも今は不幸ではない、と思う。ちょっと寂しいけれどこれは我慢できる程度のものだ。大旦那様もコスタス様も伯父様もアリサさんもいないけれど、死んでしまうほどの事じゃない。毎日殴られて痣だらけになって、食事も食うや食わずで。一枚の毛布の中に包まって寒さを凌いでいた頃とは、全然違う。それでも死ぬほどの事ではなかった。幸せでなかったのは確実だけど、不幸が何かも良く解っていなかったから、その頃はまあもうどうでも良い。どうでも良いと思えるようになった。コスタス様のお陰で。
私を主人として扱ってくれるメイドさん達もいる。何かあったら伝書鳩で手を回してくれる執事さんがいる。飢えることもないようコックさんがいてくれる。今は多分幸せだ。幸せだと思えるようになるにも少し時間は掛かったけれど、私は幸せだった。でも今は寂しいと思ってる。飢えも寒さもないのに、その何が不満だと言うのだろう。
コスタス様がいない。一か月の半分も。一週間ごとにしか会えない。私はそれが不満なのだろうか。だとしたらそれは贅沢極まりない事だろう。いつも隣に優しい理解者がいることを望んでいるなんて、なんて浅ましい。自分の考えにゾッとする。でも自分が寂しい事は実感を伴ってショールの下の肩を震わせるし、急ぐテラスにみんなが待っていることを期待している。
みんなの事も私は期待している。ちやほやされることに慣れてきている。それはいけない。リリーさんは月一でデートに出掛けるようになった。ナースチャさんも下宿の息子さんと良い仲らしい。ナターシャさんは今日も美味しいパンを焼いてくれている。最近は凝ったものも作るようになった。デニッシュとか、クロワッサンとか。バターを多く使うからサクサクでおいしい。
みんなが幸せで、その真ん中に自分がいたら良いなんて考えている自分が嫌だ。私は何も出来ない。精々が簡単な書類仕事だ。後は編み物。大奥様のストールを見真似でコスタス様にもストールを編もうか。肩掛けよりも面積が広いものなら温かくなるだろう。おそろい、と言うのもちょっと良い響きだ。と、顔を上げてドアを開けると、テラスにはお茶がセットされてみんなが待っている。
ほっとして、力が抜ける。ここに私の居場所があるのだと、確認する。リリーさんに椅子を引かれて、ありがとう、と言う。にこにこ笑っているみんな。今日の紅茶はアールグレイ。お砂糖菓子をそっとつまんで食べる。美味しい。紅茶を飲む。温かい。ああ、私はこんなに素敵な所に居場所を持ったのだな、と思うと、涙が出そうだった。それでも胸の中の寂しさの塊は燻っている。コスタス様がいない。たったそれだけで、私はこの幸せを享受しづらくある。本当、何て我儘な。
遠距離恋愛? 妖精たちが言っていた。それを際立てるために大旦那様をここに導いたのなら、それは許されない事だ。でも多分、本当に、大旦那様は自分の意志でここに来たのだろうとも思っている。私を見に。会うために。新しい家族を、愛するために。
多分、これで良かったんだろう。寂しさは拭えなくても、それを露骨にする人がいたとしても、私はこれで良かった。また一人の人が私を愛してくれた。亡き妻を見ていたのだとしても、構わない。私はあの人に愛されていた。大旦那様に、愛して貰っていた。それは幸せだった。だからこそちょっと寂しいけれど、でも私は幸せなのだから、これ以上を望むまい。一週間でコスタス様も帰って来る。
治水工事も着手して春までには雪解け水が通る川が出来るだろうと言う。ついでに山の湧き水も使えば、結構立派な河川になるらしい。冬は仕事のない農家の人たちが中心になって、男爵領、子爵領、伯爵領は避けて侯爵領まで流れる川の一大計画だ。伯爵領を避けたのは嫌がらせらしいけれど、どうせそっちにはもう川が流れているんだから良いだろうとのこと。ちょっと子供っぽくて笑えてしまう、だけど頼もしい私の旦那様。
早く帰って来ないかな。ストールも編み始めよう。太い毛糸で温かくなるように。春先まで使えるように。そして春になったら私たちは結婚式をするのだ。今までどこか形骸的だった夫婦の関係を、一歩推し進める。
それが今のところの私の楽しみだ。それを思って、紅茶を飲もう。一緒に仕事の擦り合わせをしたり、他愛ない話をしながら、お茶の時間を一緒に過ごそう。
それが私の目下の、幸せだ。
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