第11話

 部屋に戻った頃には夜半は過ぎていた。妖精たちの昔の主人についてはあまり情報は聞けなかったけれど、あれだけの魔導書を所有していたなら大魔女だったのかもしれない。私はちょっと魔法が使えるだけでもその素振りを見せたら殴られるか利用されるかして来たから、その生きづらさは分からないでもなかった。

 魔女。落ちこぼれの魔女。役に立たない魔女。だったらどこかへ行ってしまえ。そうして私はこの屋敷に追いやられた。だけどそこでも因果が途切れない所を見ると、ちょっと運命めいたものを感じてしまう。宿命めいたものを、感じてしまう。


 コスタス様はどうなんだろう。私の編んだ膝掛けの魔法には気付いてなかったようだから、微弱なものは分からないのかもしれない。地下の図書室にいたぐらい力の強い妖精でなければ。

 それにしてもまるで憎むような目付きだったことが頭からさぁっと血の気を下がらせた。暫くはコスタス様を油断させる意味でも地下室に近寄らない様にしよう。思ってベッドに入り上掛けを肩まで引き上げる。

 結婚したのに同衾はしたことないって、やっぱりなんかいびつな夫婦だなあ、私達って。魔女の血を絶やすためには丁度良いけれど、跡取りはいなきゃダメだろうし、そう考えると私の責任は重大だ。魔法から離して育てなくちゃならない。でも私自身は魔法に頼って暮らしている。朝の洗顔からだ。そんな私に育てられた子供はどうなってしまうんだろう。

 鬱々とした気分を引きずりながら、私は目を閉じた。


「おはようサーニャ。また少し眼にクマが出来ているね? 何か本でも読んでいたのかな?」

「あ、はい、書斎からお借りした編み物の本を少々。冷え込んで来ているので今度は肩掛けを編もうかと」

「自分を蔑ろにしてまでそんなに頑張ってくれなくても良いんだよ。君の方が風邪をひいてしまう。特に地下室なんかは冷気が強いからね、近付いてはいけないよ」


 さらっと釘を刺されたことに、ごくんっと私は朝食のサラダを音を立てて飲み込んでしまった。昨夜の分はバレていないみたいだけれど、あの図書室の存在自体がコスタス様にとっては忌むべき存在なのだろう。だけど。妖精は言っていた、コスタス様の健康を願ったのは大奥様だと。大奥様は魔女だったと思う。何か嫌な魔法でも掛けられたのだろうか。

 でも妖精たちはコスタス様を嫌っている節はなかったし、あの明るさで呪いの類を使う事もないだろう。一体どんな事情があるのか。中にバターがしみ込んだ温かいバターロールを千切りながら、私は向かいに座るコスタス様を見る。うん? ととぼけた顔をされるから、その目にもあるクマには気付きたくなくなる。コスタス様も遅くまで起きていたという証なのだから。そう多分、妖精たちを恫喝するために。


「あの、コスタス様、大奥様ってどんな方だったんですか?」

「母上? そうだねぇ、とにかく子煩悩な人だったね」


 くすっと笑って彼は何の気なく答えてくれる。


「ちょっと遠方でしか取れない果物が食べたいと呟いてみたら次の日には食卓に並べてくれたし、何かあるたびにハグをしては元気づけてくれた。僕が幼い頃はひどく病弱でね、それでも世話はメイドに任せず何日も徹夜して自分でしてくれたぐらいだ。サーニャと同じで大貴族の出だったけれど、そんな素振りはまるで見せない――とは、メイド達にもう聞いていたっけね。とにかく何事にも積極的で、だから、亡くなるのも早かった。元気な人ほどって言うけれど、ある日病床に伏したと思ったら三日でぽっくりとね。置いて行かれた父はめっきり老け込んでしまったし、僕も母が行ってきた雑務を引き継いだりしたけれど、多忙と言うわけではなかったのに」


 遠くを見るように愛おし気な物言いに、不謹慎ながらちょっと羨ましくなってしまう。私には何も出来なかったから。私には何もなかったから。母と暮らした短い思い出は薄れ、父に殴られ義母に厭われ軟禁されていた覚えしかない。楽しい事はこの屋敷に来てから見付けて行った。だからこの屋敷を自分の帰る場所だと思いたいけれど、コスタス様は魔女の私をきっと受け入れてくれない。


「――あいつらの所為だ」


 ぽつりと呟かれた言葉と一瞬荒んだ目に、私はスープに浸していたパンを取り落す。ぽちゃ。そんなに音は立たないから、コスタス様は気付かない。


 あいつら。妖精たちの事だろうか。だけど妖精は願いを叶えるだけだ。代償として命まで請求することはない。魔力が無くなったら魔女は死ぬけれど、そんなのはよっぽどの大魔法を使うか、積み重なりが過ぎた時だろう。母は後者だった。大奥様が妖精たちの所為で亡くなったとしたら、どっちだろう。

 コスタス様を健やかに。それが願われたことだと、妖精たちは言っていた。病弱だったと言うコスタス様は、今や領地を梯子してパーティーに出られるほど元気で健康だ。病気がよっぽど悪いものだったとしたら、それは――魔女の魔力をもってしても、完治は難しかったのかもしれない。


 今度地下に行くことがあったら、訊いてみようか。そっとそっと部屋を抜け出して、コスタス様の目に付かないようにして。どうして彼女は亡くなったのか。おっと、その前にこの前私の姿を隠してくれたお礼としてお砂糖菓子を用意しないと。コックさんに頼んでおこう。

 彼女の願いがそんなにも大層なものだったのか。死に至るほどの魔力を使うものだったのか。それは、好奇心ありきで気になる事だった。アリアズナ。アリアズナ・ド・リュミエール。屋敷に飾られた絵画にいる彼女は、細面のちょっと吊り目な貴族の夫人だった。一体どんな人だったんだろう。その思い出を口にする時、メイドさん達もコスタス様も安らかな顔をしている。どんな。一体どんな、魔女だったんだろう。

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