第5話

 膝掛けは思ったより早く出来上がり、試しに自分に掛けてみるとほんのりとした温かさが大腿を伝わって行った。よし、と笑ってから、次の作品に取り掛かる。旦那様の誕生日はもう明日だ、ちょっとぐらい寝不足で肌が荒れても間に合わせたいものは間に合わせたい。そっと夜中に編み棒を動かしていると、やっぱりこっくりこっくりと舟をこいでしまう。あとちょっとなんだから、と自分を叱咤して出来上がったのは薔薇の形を模したブローチが四つだ。ほ、とすると時計は夜半を告げている。このぐらいなら眠っても良いかな、と大きな欠伸をこしらえると、人生にない危機だったな、なんて思えた。

 私は誕生日プレゼントを貰ったことはないし、必然あげたこともない。友達はいないし家族はどうでも良かったからだ。とりあえず日付は知っているけれど、それも本当のことだかは知らない。忘れたから適当な日付をあてただけなのかもしれない。まあ、その家とも縁は切られているんだから、思い出しても切りが無いし詮が無い。


 とりあえず今は眠ってしまおうとベッドに入ると、幾分冷たかった。夏が終わって秋になり、冬はもう近い。こんな季節だから膝掛けは良いプレゼントになってくれると良いのだけれど、すぅっと息を吸うと途端に体が重くベッドに沈み込む。寝床が気持ち良いと思ったのは初めてだった。実家ではタオルケット一枚与えられて半地下の図書室を自室として押し込まれていたし、この屋敷に嫁いで来てからは緊張がなかなか抜けなかったものだから。それでも疲れは強制的にそれを癒そうと瞼をくっ付ける。

 すうっと寝息を立てると、いつもより深く眠り込めた。


「……様、奥様?」


 コンコンコンコン、とドアをノックされる音に、ほぇ、と私はまだ重い頭を覚ませた。時計を見れば七時。さあっと顔が青くなって、慌てて『作った』水で顔を洗ってからそれを『消す』。ネグリジェの上からナイトガウンを着込んで、慌ててドアを開けると、きょとん、としたアナスタシアさんがいた。完全に寝坊だ。朝食はもう出来上がっているだろう。旦那様の誕生日だと言うのに、何てことをしてしまったのか。三つ編みをだらりと下げながら、私はあうーっと息を吐いてしまう。

 するとアナスタシアさんはくすっと笑って見せた。見たことが無い気やすい笑みにきょとんとしていると、奥様もお寝坊することがあるんですね、と言われる。そりゃ今まではなかったけれど、今日と言う今日は――恥ずかしい。ごめんなさい、と謝ると、良いんですよ、と彼女は笑ってくれる。


「具合が悪かったりするわけじゃなくて良かったです。奥様はいつも早起きでいらっしゃいますから、何か緊張していらっしゃるのかと思っていたのですが――こんな姿を見せて頂けるとは、思いませんでした。髪だけでも梳かして参りましょう。朝食は逃げませんので」

「は、はい。ではすぐに」

「私が梳かしますよ。奥様の綺麗な金髪、憧れだったんです」


 単に日に当たらなかったから小さい頃のままの淡い色が残っているだけの髪なのだけれど、それでも梳いてみたいと言われたのは初めてだったので、鏡台の方に向かう。眼のクマは少し残っていたけれど大方眠りで体力も取り戻したらしく、比較的頭はハッキリしていた。

 三つ編みを解かれて、まずはブラシで軽く梳かれる。特にくるまっている箇所はなく、ブラシはすいすい入ってあっという間に真っ直ぐになった。それからまた違う櫛で今度は巻き毛を作られていく。緩い天然パーマの髪はいつもならそのままにしておくのだけれど、巻き毛を作られるとまるでお姫様みたいな気分だった。わぁ、と思わず声を上げると、アナスタシアさんがまたくすっと笑う。ちょっと恥ずかしくて、口元を押さえてしまう。良いんですよ、と言われて、くるくるの巻き毛にされた髪が何房も出来上がった。


「大奥様の髪の手入れの担当は私だったんです。久し振りに櫛を使えて楽しいので、これからはいつでもお呼び付けくださいね、奥様」

「は、はい。ありがとうございます。アナスタシアさん」

「さん、なんて付けなくて良いんですよ、奥様。私たちメイドなんて十把一絡げで構わないんです。奥様はお優しいから甘えてしまいそうになってしまいますが、使用人がそれでは面目が立ちません」

「ご迷惑、だったでしょうか」

「いいえ! そう言う意味ではないんです」

「では、年上の女性を敬うのは当たり前ですので、今のままでいてもよろしいでしょうか。私も人付き合いがあまり解らない所がありますので、もし社交シーズンになっても旦那様に恥をかかせぬよう言葉使いぐらいはしっかりしておきたいのです」

「奥様は本当に、大奥様に似ていらっしゃいますね」


 苦笑されて、きょとんとする。


「大奥様も身分に拘りの無い方で、ご自分でお茶菓子を焼いたりする方だったんです。私たち若いメイドは必死でお止めしたんですけれど、いざ出来上がったクッキーやパイは美味しくて、私達にも分けて下さったぐらいで」

「……私も台所を使っては、ご迷惑でしょうか?」

「何かお作りになりたいものがおありなんですか?」

「いえ、お勉強させていただきたいのです。旦那様にも私の料理を食べて頂きたいと、思っているので」

「でしたらコックが張り切りますね。奥様に猛烈アピールしてきますよ、きっと」


 くふくふ笑って、アナスタシアさんが言う。コックさん。そうだ、忘れてはいけない。色は白かな、思いながら私は遅くなってしまった朝食に撒き毛を揺らせて向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る