第6話

 いつもと違う様相で現れた私に旦那様は一瞬きょとんとし、それから笑って見せた。寝不足は解消されたかな、とちょっと悪戯気に訊かれて、はいたっぷりと、と頬を赤らめて応えてしまう。ちょっと眠り過ぎた私と違って、旦那様は出掛けるための燕尾服姿だった。


「どこかへ行かれるのですか?」

「昼から領地の各所で誕生会代わりの茶会に呼ばれていてね。出来れば君にも来て欲しいけれど、夜には戻ってくるから屋敷にいたって勿論構わない。どうする? サーニャ」

「旦那様の面子もおありでしょうし、私も参ります。今日はアナスタシアさんが髪を綺麗に巻いて下さったので、みすぼらしくはならないと思いますし」

「いつも君は綺麗だよ。サーニャ」


 くすっと笑われて頬に熱が溜まる。殿方に褒められるのには慣れていない。この旦那様にだって。


「それにしてもいつもと違う君を見るとドキドキしてしまうね」

「どきどき?」

「照れくさい、って事さ。さて、ドレスは僕が選んでも良いかい?」

「選ぶほどありませんよ。こちらのお屋敷に嫁いできた時の物と、パーティーでお会いした時の物の、二着だけです」

「そうなのかい? 伯爵家は厳しいなあ」

「夜会服でないだけマシです、この時期」

「違いない」


 ふは、とコンスタンティン様は笑う。私も笑みを返して、朝食を食べ進めて行った。はやく着替えなくちゃ、二着のどっちが良いだろう。移動が多いならここに来た時のドレスかな。領地の行き来をするのに馬車の乗り換えがあったから。口元を拭いて、私は立ち上がる。椅子を下げてくれたラリサさんにありがとう、と言ってから、私は部屋に向かった。クローゼットには二着のドレスしか入っていない。がらがらだな。まるで自分の中のように空洞が多いそこからドレスを取り出すと、コンコンコンコン、とノックをされて、ナイトガウンを脱ぎかけていた私はどうぞ、と声を掛ける。

 入って来たのはナターリアさんだった。


「着替えのお手伝いに参りました、奥様」

「ありがとうございます、ナターリアさん。ところでその抱えられたドレスは一体」

「大奥様のお気に入りだったドレスです。亡くなってからも捨てるのは忍びないと、旦那様と大旦那様が残していたもので――奥様とはサイズも同じなので、大丈夫かと思いまして」

「だって、でも、それってオーダーメイドではありませんか? そんなに簡単に着替える事なんて」

「お任せください」

 しゅび、っとナターリアさんが取り出したのは、針と糸とメジャーだった。

「大奥様が体形を崩されるたびにドレスを調整していたのは、私です」

 にっこりとした笑いには圧があって、素直に結構ですとは言えない空気だった。


 元々痩せぎすの私にコルセットは必要なく、むしろドレスの方が少し大きかったぐらいだけれど、そこはナターリアさんが綺麗に調節してくれた。丈は丁度良かったので、本当に私とそう体形が違わない人だったんだろう。そう言えば大広間には夫婦の肖像画が掛けられていたっけ。まだお会いしたことのない大旦那様と――おそらくは、大奥様。

 馬車に乗り込むとすでに乗っていた旦那様がくふっと笑ってから私を隣に迎えてくれる。四頭立ての馬車は広い。靴だけは自前だけど、舞踏用で歓談に向いたハイヒールなんかじゃないのが、助かったと言えば助かった。旦那様だって自分より背の高い女は嫌だろう。たとえ外見的な事だとしても。本当は旦那様の方が三センチぐらい私より背が高いと聞いている。


 本当アンバランスな結婚を申し付けられて旦那様には申し訳なく思うばかりだけれど、私からできるのは編み物ぐらいだ。お仕事のお手伝いもお茶菓子の用意も私のするべきことではないと言われるだろう。それに私は学校に通っていた時期はあっても、友人知人を作ったりすることは出来なかったし、専門的な授業も受けさせてもらえなかった。小賢しい娘になるのを両親が拒んだからだ。ただただ編み物をしていて、或いは刺繍や縫物をしていて。まるで下女だった。学校ですらそうだった私は、果たして旦那様の傍にいて大丈夫なのだろうか。今更心配になって来ると、すぅ、と息を吐く音が聞こえた。いつの間にか旦那様は、ドアに寄りかかって眠っている。

 今がチャンスかな。思って私はバッグの中に入れていた編み棒と白い毛糸を取り出し、最後の仕上げに向かって行った。


 二時間ぐらいのパーティーに三つほど参加すると、もう身体はへとへとだった。立食式のパーティーばかりで立ちっぱなしの足は痛いし、甘いものを少し食べては地域の名士と言う人たちと談笑する。誰も私を伯爵家の元令嬢だと知らないのは心地よかったけれど、市井の娘とも思われることはなく、どういった素性なのか分からないのが本当の所だったんだろう。上辺を繕うすべらない話。レースの手袋の下には編みダコが出来ている。隠さなくてはならない。下女のようなことしか出来ない自分を隠さなければ。幸いコンスタンティン様は私をよく気遣って下さって、少し座っていると良い、とか、妻は口下手なもので、とか、助け舟を出してくれた。それが本当にありがたくて涙が出そうだったけれど、ラリサさんがいつもより明るいメイクにしてくれた顔を崩すのが嫌で、粗相のないように人混みを離れていれば、ホッとするほどだった。

 ちなみにラリサさんは大奥様のメイクもしていたそうだ。服、髪、メイクとそれぞれのメイドさん達に役割を振っていたのは、素直にすごいと思える。誰も仲間外れにならないし、やることが無いと言う事もない。手が空いたら洗濯や掃除をすれば良い。コックさんは一日仕事だからブランデーをプレゼントしたりしていたそうだ。執事さんには仕事の割り振りの相談。

 男爵家と言う、貴族の中であまり階級の上の方ではない家にそんなスーパーウーマンをどうやって見つけて来たのだろう。訝ると、ラリサさんが小声で教えてくれた。実はその方は侯爵令嬢だったんです。破天荒過ぎて島流しにされたんだって笑ってました。

 ちょっと似ているところがあったのかな、思いながらぐったりとしている旦那様がまたすぅすぅと眠るのは、家路の途中だ。私はどうにか出来上がった薔薇のブローチをバッグにしまい込み、夜景を眺めながらそこで暮らしている人々に思いをはせる。農業が盛んだからかもう殆どの畑では仕事が終わっていて、家に明かりがついていた。城下町、と言うほどでもないけれど、賑わっているのが解る。そう言えばこの二か月、外に出たのはこれが初めてだったとようやく気付いた。庭の手入れなんかもしてみたいけれど、通いの庭師の仕事は奪えない。彼らはそうやって生活しているのだから。


 ――私はどうやって、生活して行けば良いのだろう。

 この人に報いて行けば良いのだろう。

 いつか私の体質が知れてしまったら、また幽閉される生活に戻るのだろうか。

 なんとなくこの人はそんな事しないんじゃないかな、と思いながら、私は旦那様に声を掛けた。


「旦那様、旦那様」

「ぅん……なんだい、サーニャ」

「もうお屋敷ですよ」

「やっと我が家か。あー夕食が楽しみだっ」


 うんっと背伸びをして子供みたいなことを言いながら。やっと十六歳になった旦那様はぱっと笑った。

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