第7話
屋敷に着くとメイドさんたちと執事さんが出迎えてくれた。ジャケットを執事さんに預けた旦那様は、やっと解放されたようにうおーっとまた伸びをする。燕尾服は堅苦しそうだものな。私も普段は付けないレースの手袋を外すと、ほっとした。いつの間にかちゃんとここが自分の帰る場所になっていたんだなあと思い知って、恥じ入るやら何やらだ。夫婦生活、なんて言葉もまだ出ていないぐらいの、新婚なのである。私達と言うのは。だけどこの屋敷は私に優しい。いつまでこれが続いてくれるか、不思議なぐらいだ。だって私は魔女だから。母親にさえ見捨てられた、魔女だったから。
部屋に戻ってメイクを落としてもらい、お湯を頂いて気持ち良くなったところで夕食に呼ばれる。私は籠を持って、軽いドレスにショールを掛けて食堂へ向かった。小さなテーブルに乗り切らないぐらいの御馳走に、ナイトガウン姿の旦那様もほうっと息を吐いている。
「去年の誕生日はいかがだったんですか? 旦那様」
「まだ父がいたからね。こんな感じで一緒に祝ってくれたよ。僕が学校を卒業したらすぐに仕事押し付けてくるようになって、慣れてきたらドロン、さ。中々食えない親父で困ったものだよ」
くふふふっと笑いながら話すようなことなのだろうか。まあ祝ってもらったことのない私には、なんとも感想が言いづらい事だ。
「母がいた時は大きなケーキを作ってくれたけれどね。食べきれなくて二日ぐらいに分けて食べていた。懐かしいなあ」
「……そんな大掛かりなお料理も出来るお母さまだったんですか」
ぜったい追い付けないなそれは。
今日は大奥様の話ばかり聞いている気がする。
「それじゃあ、僕の誕生日だけど、かんぱーい!」
チン、とオレンジジュースの入ったグラスを合わせて、私は笑っていた。
ルッコラとラディッシュのサラダ、チキンの丸焼き、キドニーパイ、シフォンケーキ、フルーツポンチ。ちょっと甘いものが多めだけど、それらは全部旦那様の好物らしく、いつもより急いでいるかのようにはぐはぐと食べていた。そんな姿を見るのが珍しくて微笑ましくなっていると、壁際に立っているメイドさんたちもコックさんも執事さんも穏やかそうに私達を見守っている。やっぱり誕生日ぐらいはちょっと子供に戻ったって良いんだろう。私には分からないけれど、きっとこの日は祝福されるべき日なのだ。領地のあちこちの会場に顔を出し、最後にはこの家に戻って好きなものだけを食べる。なんて贅沢な。こればっかりは伯爵家でも出来ない事だな、と思いながら、私も食べた事の無いものをちょいちょいと食べてみる。
ルッコラ美味しい。胡麻みたいな風味。ラディッシュとオリーブオイルのドレッシングも合う。キドニーパイはちょっとニオイがあるけれど、そう言うものなのだろう。食べてみるとワインが欲しくなるおつまみ系の味だった。紅茶でも良い。シフォンケーキはふかふかしてて、切り分けるのにちょっと難儀してしまう。するとコックさんが手伝ってくれた。鼻の大きな彼にありがとうございます、と笑いかけると、お安い御用です、とにっこり笑い返される。優しい笑顔だ。年齢からすると執事さんと同じで先々代からいる人の一人なのかな、と思わされる。
フルーツポンチも甘すぎず酸っぱ過ぎず、柔らかいシロップの味で美味しかった。ガラスの器に盛られたチェリーが赤く自己主張している。食べたことが無かったので種があるのを知らず、がりっと思いっきり噛んでしまった。い、痛い。何処に吐き出したらいいのか分からないからそのまま飲み込むと、あ! とラリサさんが声を上げる。
「奥様チェリーの種食べちゃったんですか!?」
「え? は、はい、駄目だった?」
「へそからチェリーの木が生えて来ちゃいますよ!」
「ええええっ!?」
「リリー、奥様をからかうのはおやめなさい」
「えへへー、冗談です。その辺りのお皿に出して大丈夫ですよ、奥様」
「び、びっくりした……本当に生えてくるのかと」
「そんな訳ないじゃないですかーあははははー」
「こら、リリー」
「いで。ナースチャ痛いよ」
アナスタシアさんの事はナースチャと呼んでいるらしい。
「私もナースチャさんって呼んで良いですか?」
「ええっ!?」
「じゃあ私もナターシャって呼んで下さい」
「更にええっ!? ナターシャそんなキャラじゃないでしょ!?」
「平等。平等大切。サーニャ様って呼びますよ、ただし」
「私は構わないけれど」
「じゃあ私も! 私もリリーって呼んで下さい!」
「ふははっ。我が家の最強メイド軍が総崩れだなあ」
「失礼ですよ旦那様! 奥様も、おからかいになるのは止めてくださいな!」
「からかってはいないのだけれど……」
「奥様までー!」
けらけら笑う晩餐も終わりかけの所で、私は絨毯敷きの床に置いていた籠を取り出す。うん? と首を傾げたのは旦那様――コスタス様だった。
「お誕生日、おめでとうございます。コスタス様」
取り出したのは深緑の膝掛けだった。良い毛糸だったのでふっくらしている。きょと、と目を丸めた彼は、それを受け取ってから、あ。と声を上げた。
「もしかしてこの数日眼のクマが酷かったのはっ」
「すみません。時間が無いので急いで編んでました。私に出来るのってこのぐらいの事しかなかったので……」
「すごく綺麗だな! 編み込みも凝ってる……ありがとう、サーニャ。でもそんなに頑張らなくて良かったんだよ?」
「三日後に誕生日だなんて言われたら、意地でもプレゼント用意してしまいたくなるじゃないですか。聞いてなかったじゃすまされない事ですよ、妻としても」
「僕もサーニャの誕生日知らない」
「春です。麗らかに花の生い茂るシーズンだったらしいです」
「伝聞形なのは何故?」
「私もよく知らないので」
一瞬の沈黙。
「あ、それと、ナースチャさんたちにも」
「えっ?」
目を丸めたメイドさんたちに、私はにこ、と笑いかける。
「急いで作ったから拙いですけれど、一応薔薇の意匠で編んだんです。ブローチ」
立ち上がって籠を持ちながら、私はブローチを一つずつ渡していく。ナースチャさんにはピンク、ナターシャさんにはオレンジ、リリーさんには黄色。執事さんにはラペルホールに付けられるようにピンを点けた赤。コックさんには急いで作った白。
「わあっ」
リリーさんが声を上げて喜んでくれる。
「奥様良いんですか!? こんな手の込んだものっ」
「サーニャです。見るほど手は込んでないんですけれど、せっかくのお祝いの日だから皆さんにも、っと」
「大事にしますっ!」
「普段使いだからそんなに高級でもないし、本当、気軽に使って下さいな」
笑うと珍しく執事さんにも微笑まれる。
「でも一番大きいのは僕の膝掛けだからね! 持ってるだけでポカポカしてくる膝掛けだからね!」
「旦那様そんなに拗ねなくても」
「そうですよ、念願の『コスタス様』呼びして貰えたじゃないですか」
「みんなも愛称じゃないか!」
「それはそうですね」
「サーニャ様平等でちょっと心配なくらいですよね」
何が心配なのだろう、とは、その時は訊けなかった。
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