第8話
「失礼、お嬢さん。お連れの方はおられないのかな?」
「えっあ、え、ただいま席を外しておりまして……」
「ではその間だけでも、僕と踊ってはくれませんか? 貧乏男爵家の者と遊んでも頂けず、暇をしているのです。あなたも見た所退屈そうでいらっしゃる。良ければワルツでもご一緒していただけないでしょうか」
「アレクサンドラ! 勝手に何をしている!」
「お父様、違います私もこの方も何も」
「これは……リュミエール男爵殿か。代替わりしたとは聞いていたが、随分とお若い嫡男だ」
「恐れ入ります、伯爵様。ご令嬢にはダンスを誘っただけです、それ以上は何も。それに、振られてしまいましたので」
「男爵様っ」
「男爵はうちのアレクサンドラがお気に入りで? ならば話は早い、良ければ嫁に貰っては下さいませんかな?」
「お父様!?」
「器量はまだしも世間知らずで貴族としての振舞もなっていない娘だが、良いように使ってくれて構わない。ただし援助などの縁は切らせて頂きますがな。伯爵家から完全に切り離したうえでの縁談では、男爵家と言えどもお嫌かな?」
「お父様、失礼です! それに私達は本当に今さっき会ったばかりで、結婚なんて考えられません、どうかお許しをっ」
「構いませんよ」
「え」
「おお、男爵殿さえ構わないのなら、今日この場で持ち帰ってもらっても良いほどだ! やあ後顧の憂いが絶たれるとは良いものですな、飽きたらどこぞへ払い下げるなり適当に扱って構わないので、くれぐれも我が家に返してくることだけはなさらんで下さいよ。はっはっはっはっは! 皆さん! よい報せです! 我が家の次女アレクサンドラがリュミエール家への輿入れを決めました! どうか盛大なる拍手でお祝いください!」
「お父様、私は」
「お前に物を言う権利はない」
「ッ」
「――サーニャ。と呼ばせてもらって、良いかな? アレクサンドラ殿」
「は……はい、男爵様」
「どうか怯えないで。悪いようにはしません。それは絶対です。お約束いたしますから、どうか怯えないで」
「ご、ごめんなさい。私、私は」
「大丈夫です。あなたの事は、私がお守りいたしますから」
「男爵様……」
「コンスタンティン・ド・リュミエール。コスタスとお呼びください」
「コンスタンティン様」
「ふはっ。あなたも良い肝をお持ちだ」
「そうでしょうか……突然そのように呼んでしまっては失礼に当たるのではと」
「いいえ、そんなことは。とても良い事だと思います。貴族社会を渡り歩いて行くには、とっても」
「はぁ……」
「では祝いのワルツをご一緒していただけますか?」
「は、はい……」
ちりり、と鳴った目覚まし時計を止めて、私は起き上がる。時計より遅く起きたのは二度目だ。あちこち飛び回ってパーティに参加し、自分の用意したプレゼントも片付いたことで、身体が一気に緊張感を失ったようである。喜んではもらえたのだろうけれど、庶民の考えだったのではないだろうかと少し心配になってきているのが今の気分だ。ブローチなんて身に付ける物を送ってしまった使用人たちにも、重荷に思われたのかも知れない。思いながら洗面所でいつものように冷たい水を『作って』顔をわしわし拭くように洗うと、すっきりした。洗面台にそれを流してタオルもいつものように洗濯籠に置いておく。
きょろ、と探すのはナースチャさんだ。また髪を整えてもらいたい。見渡すと、いつものように洗濯籠を持っている姿が見えた。あの、と声を掛けると、ぱっと笑われる。何かいいことがあったのだろうか。ブローチにもおまじない程度に魔法を掛けたから、靴擦れが治った、ぐらいの事はあるのかもしれない。
「おはようございます、サーニャ様!」
「おはようございます。随分とご機嫌ですね、ナースチャさん」
「はい、下宿の坊ちゃんに戴いたブローチを褒めて頂いたんです! そんな素敵な贈り物をくれる奥様で良かったね、って! 領地のあちこちでサーニャ様の噂が広がっているようですよ! 控えめでお淑やかな伯爵令嬢だ、って!」
単に自己主張の仕方が解らず世間話も出来ないだけだと言うのに随分良く言って下さる方がいたものだ。ほ、っとしていると、ラリサさんがナースチャさんから洗濯籠を抱え持つ。小柄な彼女にはちょっと重そうだったけれど、それでもにっこり笑ってくれた。
「おはようございます、サーニャ様!」
「おはようございます、リリーさん。リリーさんも今朝はなんだか張り切っていらっしゃいますね」
「実はお屋敷に出仕する最中で奥様が下さったブローチを着けようとしたら落としてしまって、その時拾って下さった方がすっごく格好良い方で! 連絡先の交換が出来たんですよ、いやー我が世の春が来たって思いです!」
「今まで子供扱いばっかりされてきたからレディ扱いが嬉しかったみたいね。おはようナースチャ、リリー。おはようございます、サーニャ様」
「ナターシャは何かなかったの?」
「今朝のパンを焦がさなかったわ。ここに来て初めてよ、こんなことは」
「何かみんないいことあったんだねー! ほらナースチャはサーニャ様の髪梳いて差し上げなくちゃ! 洗濯は私に任せて!」
「そうですね……それじゃあお部屋に戻りましょう、サーニャ様」
三人メイドさん達の『良かった報告会』が怒涛でちょっと驚いてしまったけれど、パンを焦がさなかったってどういうことなのだろう。髪を巻き毛にしてもらって食堂に向かうと、少し眼を腫らしたコスタス様がいる。泣いた後のようだ。どうしたんだろう、訊いて良いのだろうか、迷っていると、食堂に入ってきた私にコスタス様が笑いかけてくる。そこに無理はないようだから大丈夫だろうか、メイドさん達も訝しげにしているのを見ると、いやあ、と照れ笑いをされた。
「サーニャに貰った膝掛けがあんまりに温かいものだから寝所に持って行って抱き締めて眠っていたんだけれど、まだ僕が小さい頃の母が出て来る夢を見てね。すっかり忘れていた笑い方をされたものだから、ちょっと涙が出てしまった。心配はしなくて良いよ、冷やしていればすぐ治まるだろうから。それにしても本当に温かいね、あの膝掛けは。まるで魔法みたいだった」
ぎくっとしてしまうけれど、にっこり笑うにとどめておく。曖昧に、曖昧に。でもみんなが私の魔法で少しでも良い事に巡り合えたのなら良いな。私の魔法が少しでも効いたのなら。
それは私の方こそ、お礼を言わなくてはならないのかもしれない。
朝食のパンは確かに今までの焦げた所が殆ど無くふわふわで、これがパンと言うものだったのかと見識を改めたりした。
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