第40話

 玄関に馬車の止まる気配を感じると共に、私はストールを翻して立ち上がり駆け出していた。玄関に向かうとその姿があって、ぱあっと笑ってしまう。妖精たちがくすくす笑う気配がしたけれど関係ない。関係ないのだ、今は。


「コスタス様! お帰りなさいませ!」


 脱いだ帽子やコートを執事さんに預けながら、顔を上げたコスタス様も笑ってくれる。両腕を広げられたので、その中に飛び込んでハグをした。冬の匂いがしてちょっと冷たいスーツ、だけど、私には十分温かい。ふふっと笑うとサーニャ、と頬にキスをされた。ちょっとぎこちないけれど心地良い、コスタス様のキス。私もやっぱりぎこちなくそれに返すと、二人とも顔が真っ赤になっていた。

 ぎゅーっと抱き締めて抱き締められて、これが愛し合ってるって事か、なんて考えたりする。そうよ、と妖精が耳元で囁いた。心は出来れば読まないで欲しいし、恥ずかしいことも肯定して欲しくないけれど、ちょっと安心も出来る。こんな私が、なんて。


「コスタス様、治水工事の様子はいかがですか?」

「雪が本格的に降る前には大方終わらせられそうかな。土が凍るのはうちの領地ぐらいだから、そっちを優先してもらっている。伯父様の領地はちょっと霜が降りるぐらい、お爺様の領地は雪も降らないからね」

「視察には行きますの?」

「明日行ってこようと思う。出来ればサーニャ、君も一緒に」

「デートですかあ? 旦那様」


 通りがかりに洗濯籠を持ったリリーさんが悪戯気に言葉を飛ばして来て、これ、と執事さんに怒られる。でも私とコスタス様はと言うと、恥ずかしいことに、お互い赤面していた。デート。視察だけど。でも一緒に出掛けるんだし、そう受け取られても良いのか。悪いのか。赤い顔。ちょっとぐらい恥じ入る。だけど間違っているとも。あああ、頭がぐるぐるする。

 途端に抱き合っていることが恥ずかしくなって、ぱっと離れてしまった。それから背を向けてもじもじ。旦那様も言葉もなくもじもじ。結婚してやっと半年、こんな道はすでに通り抜けておかなきゃならない所だろうに、私たちと来たら。


 でも一週間ぶりだ。一週間ぶりに会う好きな人だ。ちょっとぐらい独占欲を発揮しても良いのか? そっと振り向いて腕にすり寄ってみると、ぞくっとコスタス様の全身が震えた。やっぱり恥ずかしいだろうか。でもコスタス様は私の髪にキスを落としてくれた。最近よく伸びるようになった背。成長期だものな。私も追い越されて随分になる。大旦那様みたいな細身の紳士になるのだろうか、将来は。だとしたら私もお茶の時間のお砂糖菓子は控えて行かないと。飢餓状態が長く続いていたからついついお腹いっぱいまで食べてしまうのだ。せめてお茶の時間はセーブしよう。

 そのお砂糖菓子は妖精たちにあげようかな。大旦那様の死を告げた時も泣きじゃくっていたからチョコレートやキャラメル、お砂糖菓子をあげたけれど、それでも泣き止まなかったぐらいだし。大旦那様ったら本当、愛されていたんだな。勿論私も愛している。思い出そうとすると微笑むぐらいには、愛している。


 でもコスタス様に感じるのとそれは違う、と思う。コスタス様に対して覚えてるのは、もっとどきどきして気恥ずかしいぐらいに頬に熱が溜まるような、そんな感情だ。多分これが愛してると言う気持ちで、私はコスタス様に恋をしていると言う事なのだろう。いつからなのか分からないけれど、私はいつの間にかこの人を愛していた。代わりに殴られることも厭わないぐらいに、恋していた。

 大旦那様と大奥様の大恋愛みたいなものじゃなくて、半ば押し付けられるような結婚だったけれど、それでも良かったんだと今なら思う。この人で良かった。かと言ってお父様に感謝はしない。私は少し図太くなった。伯爵家から大旦那様が亡くなったことに対してノーリアクションだったとしても、そんなもんだよな、と思えるぐらいには。それは良い事なのか悪い事なのか。まあ、お兄様が積極的に跡を継いでいると言うんだから、もう本当に伯爵家との縁は切れていると思って良いのだろう。お父様が私を殴った件で白い目で見られているとも聞いている。


 少しぐらい苦労してもらっても良いだろう。私のように寒くてひもじくて痛い目には遭わないのだから、むしろ感謝してもらいたい。ちょっと家名に傷が付いただけだ。魔女を使って呪いを行使していた事だってばれていないんだから、良い事だろう、むしろ。私と言う証拠はあるけれど、メイドさん達をちょっと幸せにしたり、コスタス様の身体を冷えないように温めたりするぐらいだ。それで頭が回るようになった、とも、いつだったか雑談で聞いた事はあったけれど、治水工事の件は前々から案があったらしいし、それも侯爵家や伯爵家に遠慮して出せなかっただけのことだから、私はその背中をちょっと押すぐらいのことは出来たのかもしれない。知れない、知らない、本当の事は。

 だけどその工事案でコスタス様は侯爵になり、父は頭の上を追い越された。ちょっとは気の毒だけど、広大な領地に胡坐を掻いているだけの人だったから、自業自得とも言えるだろう。その点コスタス様は領民の陳情をよく聞く人だ。工事だってその結果だ。やっぱりこの人の人徳あってこその事だろう、みんな。


 そんなこの人の助けになれているかどうか分からないのが私だ。領地の資料を捌くのは早くなったし上手になったと思う。たまに陳情にやってくる人の話もよく聞いて、伝書鳩でコスタス様の意見を聞きながら答えを伝えるようになっている。大概の人はそれで納得してくれる。そもそも侯爵夫人に直々に直訴される問題なんか特にない。仕事をしていても、致命的な問題になることは少ない。市場にも介入できないし、工事はコスタス様任せだし、しいて言うなら雪が早かったせいでちょっと種芋が凍ってしまったとか、そう言うものだ。そう言う事には補償が充実している牧畜と畜産の領地だから、前例を調べて協会に書類を提出してもらっている。

 だから私は大丈夫。大変なのはコスタス様だ。治水工事に農業に酪農に、本当は一週間も里帰りしている暇なんてないんだろう。でも私の顔を見ると笑ってくれるし、私も嬉しい。好きな人に会えて悪い事なんて何もない。


「デート、に、なるんですかね」

「同じところに暮らしているんだからその段階はすでに超えていると思うけれどね」

「そう言えば、チョコレートを買いに行って以来ですね。二人で出かけるなんて」

「そうだね、今回も鞭を持って行こうか」

「野蛮な領主様と思われちゃ、嫌ですよ。私。コスタス様はこんなに優しいのに」

「君がいるからだよ。本当の僕は魔法使いを憎んでいたし妖精たちも嫌いだった。でも今は違う」

「違う?」

「魔女でもそうでなくても、君が大好きだ」


 ぼっと頬が赤くなる。コスタス様も耳を赤くして自室に戻って行った。お茶の時間にどんな顔をすれば良いのか分からない。ぽーっとなっていると、ナースチャさんにサーニャ様? と声を掛けられた。あわわっと顔を仰いで、仕事を片付けますね、と言い訳のように言って逃げる。

 やっぱりあの人が好きなんだなあ、と思うと、恥ずかしいぐらいだった。

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