第34話

 大旦那様の薬が多い、と最初に教えてくれたのはナターシャさんだった。大旦那様が昼寝をしている時間帯。よく見ればそれはぐったりと疲れ果てているようにも見えるけれど、薬、と聞いて訝ったように眉を寄せたのはコスタス様だった。


「具体的には?」

「朝食後に四錠、昼食後に一包、夕食後に六錠、寝る前に八錠です。屑籠に入っていたのを確認しました。何の薬かまでは分かりませんが、かなりの量です」

「それは、確かに多い……湯治に行ったのなんて言い訳だとしか思っていなかったけど、案外本当に具合が悪かったのか、あの親父」

「コスタス様、流石にそれは酷いです」

「だって押し付けられて泣きながら片付けた書類もあったからさ、つい……」

「それにしても多いですね。私、薬は飲んだことがないですけれど、それでも一日に二十錠近くも飲むのは行き過ぎだと思いますもの」


 何か持病があるのかと思ってしまうのは仕方ないだろう。今いるメイドさんたちの中で一番の古株はナターシャさんだ。幼い頃から十五年にもなると言う。その間大旦那様を観察し続けた彼女の言葉は軽くないだろう。

 ティーテーブルでスコーンを割る。クリームとはちみつは落ちないように少しだけ。はぐ、と一口食べて間を作る。コスタス様は口唇を撫でてちょっと真剣そうな顔をした。どこか悪いのか。どこが悪いのか。どうしてこんなシーズンに、帰って来たのか。分からない事ばかりが積もって行く。コスタス様もはちみつを付けてスコーンを噛んだ。私たちは沈黙して。考える。


「大旦那様には持病があったのですか?」


 訊ねてみるといいえ、とふるふるナターシャさんに頭を振られる。


「こちらにいた頃はなかったはずです。医者いらずで元気な人でした。お身体が弱かったのは旦那様ばかりで」

「それは言わなくて良いよ、ナターリア」

「失礼を。とにかくどこか悪いと言う事はなかったはずです。私達が把握する限りでは、ですけど。よく視察を兼ねて街に出ていらっしゃいましたから、その時に病院に罹っていたのかもしれません」

「湯治だって言い訳だと思っていたのに、本当ならずっと隠していたのか? でもどうして?」

「それにこんな時期に帰って来るのも不自然です。今朝は霜が降りていたぐらいに冷えたのに。そんな季節であること、ここでずっと暮らしていた大旦那様が知らないはずもないのに」

「一度問い詰めてみるか――」


 うーんと悩んで腕を組んだコスタス様は、ちょっと私の前でも油断してくれるようになったと思う。おそらく大旦那様のお陰だろう。明日にはお爺様のいる侯爵領に向かう予定だけれど、体調が思わしくないのならそれも見合わせなければならない。母はあっという間に亡くなってしまったから看病の仕方も分からないのがもどかしかった。妖精たちに訊いてみようか。でもなるべく彼らに頼らずにいたいのも事実だ。

 コスタス様が心配するから。でも魔女の出来損ないの私にはそれぐらいしか出来る事がない。薬の作り方は習わなかった。ひたすら呪う事だけを叩きこまれた。母にも父にもそれしか求められなかった。毒を作っていたのは知ってるけれど、その作法も小さい頃のことだったから忘れてしまった。


 でも後で大旦那様に憑いて来た妖精に訊いてみよう。私がどうにか出来ることがあるかもしれない。驕りだとしても、まずは状況を把握するのは大切だ。ティータイムの後も書類はあるし、部屋に籠っていても不審には思われないだろう。

 大旦那様が眠っているカウチがあるのは広間だ。私の部屋からは遠い。コスタス様の書斎はもっとだ。見付からないように注意すれば大丈夫。玄関から大旦那様が巻いて来た大奥様特製のマフラーをこっそり取って行こう。


 スコーンのクリームで汚れた口元をナプキンで拭いて、私はそっと玄関に向かう。幸い執事さんはいなかった。ささっとマフラーを取って自分の部屋に向かう。メイドさんたちに見付からないように速足で、だけど音を立てて走りはしないように。

 ぱたんっと自室のドアを閉めると、ほっとした。これで良し。マフラーの中で眠っていた妖精たちが私の魔力に反応してか目を覚ましていく。ごめんね、と思いながら、私はベッドに座って編み棒を取り出した。ほつれている所があるから、ちょっと直しに。すると妖精たちはきゃっきゃと喜んでくれる。妖精たちの心をほぐすのは簡単だ。何かの本で読んだけれど、彼らはその小さな身体に感情を一つしか入れてはいられないらしい。だから一度心を開かせてしまえば、後はどうにでもなると。


『サーニャ、直してくれるの?』

『アンドレイったら自分でいっぱい使う癖にちっとも気にしてくれないのよ!』

『仕方ない人なんだから』

「その、アンドレイ様について質問があるのだけれど、教えてくれるかしら」

『なになに?』

『アンドレイの事で私たちに分からない事なんてないんだから!』


 随分自慢げに胸を張る子たちがいて、大旦那様はやっぱり愛されているんだなあと思う。妖精に愛されるって凄い。大奥様の影響もあるんだろうけれど、それでもこんなには好かれないだろう。私も彼らには歓迎されている方だと思うけれど、愛されているとまでは思わない。愛。そもそもそれが分からない。他人のことは解っても、自分のことにはこと疎いのだ、私は。自分で言う事ではないけれど。でも屋敷のみんなやコスタス様、大旦那様には好かれていると思いたい。愛でなくても。そうだったら、良い。子供も欲しいって言ってくれたし。


「アンドレイ様、もしかしてどこか患っていらっしゃる?」


 私の質問に妖精たちは一気に静まる。

 あれ、と思うと、妖精たちはぽろぽろ泣き出してしまった。


「ご、ごめんなさい、迂闊な質問だったかしら。ただ、お薬を常用しているようだからどうかしたんだろうかと思っただけで」

『アンドレイ、この冬もたないかもしれないの』

「え?」

『湯治に行く前から体調を崩していて』

『いろんなお医者さんに掛かったんだけど悪化するばかりで』

『だからここに帰って来たの』

『サーニャに会うために』

『息子の奥さんに会うために』

『できればそのウェディングドレス姿を見るために』

『ねえサーニャ、式は繰り上げられない? 春に、っていう話だったけれど、冬じゃ駄目かな』

『参加する人も寒いだろうけれど、どうにかならないかな』


 うるうるとお願いをされるけれど、そればっかりは私の一存では決められなかった。第一ドレスがない。私に合わせたものを、とコスタス様は頑張ってくれている。それを変える事は、私には――

 あ。

 そうだ。


「コスタス様に相談してみるわ、私」

『本当?』

「ええ。でもお許しが頂けるかは分からない。それは許して頂戴な」

『うん! サーニャ、良い子で良かった!』

『アンドレイのこと、大切にしてね!』

『勿論コスタスも!』

『自分の事も!』


 にこっと笑って私は編み棒を置く。

 さて、私は無事コスタス様に燕尾服を着せられるだろうか。

 そして、ウェディングドレスを着られるだろうか。

 決戦だな。

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