第35話
マフラーをそっと返し、書斎に行くとコスタス様が一人で仕事をしていた。大旦那様はまだお昼寝中らしい。具合が悪いのならそのままにしておいた方が良いと判断したんだろう、いつもなら叩き起こしている所だけに、大旦那様への気遣いが見えて家族の絆とはこういう時に露見するのだなとちょっとぽかぽかした気分になった。
顔を上げたコスタス様に、うん? と首を傾げられ、私は書斎のドアを閉じる。そうしてぽてぽて机の前に向かうと、コスタス様はきょとんとしてペンを置いた。そうして私を見上げる。私は客室から拾って来たゴミの中にあった薬の空を両手に乗せて見せてみた。やっぱりコスタス様は、きょとん、としている。
「サーニャ? これ、もしかして父さんの?」
「はい。調べたところによると、かなり強い薬らしいです」
書斎以外のどこで調べられるのかとは聞かれなかった。ちょっとホッとするけれど、コスタス様は眉を寄せる。強い、と口の中で繰り返して、私の手の中を見る。私は続ける。
「コスタス様、肖像画を描かれる気はございませんか?」
「肖像画?」
「はい。私とコスタス様の婚礼衣装のものです。大旦那様が帰って来たのは多分、それが見たかったからだと思うんです。パーティーを開く春までは持たないかもしれないから、帰って来たのかもしれないと」
「……妖精たちから何か聞いたんだね、サーニャ」
ばれたか。はい、と殊勝に頷いておく。
ふうっと溜息を吐いて、コスタス様は眉を寄せる。
「僕は父上のお下がりで適当な服があるけれど、サーニャのドレスがないよ。春に合わせて作る予定だったし、今から作っても出来上がるのはやっぱり二、三か月は後だろう。そんなに時間を掛けたら結局具合が悪くなるかもしれないし、まだ冬の作物も本格的に売り出していないから先立つものもない。甲斐性の無い話で済まないけれど」
「ドレスならありますわ」
「ウェディングドレスだよ?」
「あるじゃないですか。大奥様のものが」
ぽかん、と口を開けた旦那様は、ああ、と気付いたように手を打った。でも、と続けられて、私はやっぱり駄目かな、と上目遣いになってしまう。大切な形見だ。そうそうお下がりに出来る物じゃない。でも私と大奥様の体形は大して変わらないから、これはチャンスでもあるのだ。大旦那様にも複雑かも知れないけれど、ドレスは、あると言えるのだから。
コスタス様は思案顔になって、腕を組んで考える。だけどニッと笑ってよし、と答えた。
「母上のドレスの場所はナターリアが知っているはずだから、着付けと直しは彼女と一緒にやってくれ。僕は画家を探す。ホールに掛かっている父さんと母さんの肖像画を描いた絵師に頼もう。父さんも気心が知れていて良いだろうから。さあサーニャ、行っておいで」
「はい、コスタス様!」
「丁度良いと良いんだけれど、ドレス」
「いざとなったらお腹を引っ込めます!」
「はは、長続きしないだろうそれ。僕は出掛けるから、父上と留守を頼むよ。上手くいけば画家をお持ち帰りだ」
「うふふ、人さらいみたいですね」
「笑い事じゃないよ。君が、笑い事じゃなくしたんだからね。ラリサにしっかりお化粧をしてもらうと良い。誰も見た事のない君を見るのは、楽しみだ」
伯父様に頂いた帽子をかぶって上着を着込む姿を確認してから、私はとてとてとナターシャさんを探す。と、先にナースチャさんに行き会った。あらサーニャ様、と声を掛けられ、そうだ髪も整えなくちゃな、と思う。となるとメイドさん総出で私を飾ってもらわなければならない。ちょっと所でなく面倒を掛ける事になってしまうけれど、大旦那様の為だ、我慢してもらおう。あの、と私は声を上げる。いつもよりちょっと、上ずっていた。
「メイドの皆さんで私の部屋に来て頂けませんか? 少し頼みたいことがあるのです」
「構いませんけれど、どうかなさったんですか? いつもならこの時間は書類をお片付けになっているはずなのに」
「ちょっと急用が出来てしまって。ナターシャさんには大奥様のウェディングドレスを持って来て頂きたいのです。お裁縫道具も」
「……解りました、伝えおきます。サーニャ様はお部屋でお待ちくださいませ」
ぺこっと頭を下げたナースチャさんにほっとして、私は自分の部屋に戻る。いつも掛けているショールをベッドに放り、室内用の簡単なドレスの背中のファスナーを下ろす。身体は柔らかい方だけれど、流石にちょっと眉間に皴が寄る。と、メイドさん達がやって来た。ナターシャさんの手には、真っ白な塊。日焼けもしていなければ虫食いもないらしい、ちゃんとしたドレスだ。
「サーニャ様、一体何を?」
「ウェディングドレスを着た姿を、大旦那様に見て頂きたくて。私のドレスを待っていたんじゃ遅すぎるかもしれないので、大奥様のものを使わせて頂こうと思ったのです。上手くいけばコスタス様が画家の方を連れて来て下さるので、肖像画にと」
「……大旦那様のお加減、そんなによろしくないのですか?」
「はい……春まで持たないかもしれないから、この機会にせめてドレス姿をと思ったのです」
「解りました。まずはドレスからですね。着てみてくださいませ。腰回りさえ平気なら問題ないでしょうから」
「私はカーラーを巻かせて頂きますね。ミストで固めればいつもより豪奢になります」
「うう、私だけ出来ることがない~」
「何を言っているんですかリリーさん。リリーさんのお化粧が最後の要なんですよ。私は自分に合う色が分からないし、ドレスとの兼ね合いもあるとさっぱりです。ドレスも髪も顔も、どれも大切なパーツなんですから。お願いいたしますね、リリーさん」
「うー、はい、頑張ります! どうせ本番も私がやるんだから、ここで練習にもなるし!」
「これもある意味本番よ、リリー」
「そうよ、ドレスは女の戦闘服なんですからね」
「しかもウェディングドレス。最強のメイクを頼むわよ」
「はーいっ!」
ファスナーを下げたドレスに足を突っ込み、上げてもらう。腰回りは少しゆとりが出来るほどだった。不細工な感じではない、自然な皴の寄りようだったけれど、ナターシャさんは律儀にちくちくと直していく。カーラーを巻かれた髪はいつもより重いけれど、ミストは良い香りでちょっと心地良かった。
自分が一体どうなるのか、鏡を覗くといつもの自分がいるだけだったけれど、それを一生懸命に飾り立ててくれるみんなのお陰で、初めてこの屋敷に来た時ほどのみすぼらしさはほぼ見えないと言って良い。痣も、もうどこにも見えない。
みんなのお陰だ。改めて思う。遠くでドアの開く音がした。玄関からコスタス様が帰って来たんだろう。足音は二つ。上手く連れ出して来られたらしい。
「ナターシャさん、こちらが終わったらコスタス様の所へ行ってください。大旦那様の衣装を着る事になっているのです、その方が多分直しに時間がかかると思うので」
「解りました、サーニャ様。……、よし出来た。じゃあ後は任せたわよ、二人とも」
「合点承知!」
「お任せあれ!」
そうして私のドレス姿は整えられ――。
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