第36話

 広間で談笑している声が響くのと私とコスタス様が顔を合わせたのは同時だった。ちょっとだけ大きな白いスーツはナターシャさんによって丁寧に直され、それほど違和感を覚えない。私の方は水晶の髪飾りと金の櫛を髪に差し、右手の中指にはアメジストの指輪を付けていた。奥様のお下がり総動員で、妖精を連れていつもより肌の調子を整えて貰ったりしている。リリーさんのばっちりメイクは気恥ずかしかったけれど、大旦那様に驚いてもらうにはこのぐらい必要だろう。

 ぼっと顔を赤くしたコスタス様にも驚いて貰えたみたいだし、これは良い傾向だ。にこ、と笑って手を差し出すと、ぎこちなくだけどエスコートして貰える。それからナースチャさんがドアを開けた。広間で画家と寛いでいた大旦那様が、目を見開いて私の方を見る。


「アリアズナ……?」


 そんなに似てるとは思わないのだけれど、画家の人もおお、と驚いているようなので、そこそこ似ているんだろう。妖精の力の所為かもしれない。肩の出るドレスはちょっと寒いけれど、震えてなんていられない。立ち上がった大旦那様はよろよろと足元が覚束ない様子だった。だけど私に自分が掛けていたストールをばさりと被せると、ふにゃ、と泣き笑いになって、跪くように膝を折った。

 おお、と聞こえる声は泣き声。コスタス様も見た事のないだろう父親のその姿に驚いている。ドッキリ成功かな、と思っていると、ドアの所で屯っていたメイドさん達もぐっとガッツポーズをしていた。泣かせてそれはどうなんだろうかと思いながらも、まあ悲しい涙じゃないだろうから良いかと、私は妖精がはしゃぐストールの端を結ぶ。


「サーニャですよ、大旦那様」

「ああ、そうだね。君はサーニャだ。でも今だけは呼ばせてくれ。アリアズナ。アリアズナ」

「はい、大旦那様」

「綺麗だよ。あの時と同じに君は綺麗だ」

『そうよ、サーニャ、綺麗よ!』


 ちたたっと沸いたのは妖精たちである。


『きっとアンドレイも見たかったものだわ! こんな寒い土地に帰って来て、それでも見たかったものだわ!』

『アリアズナの若い頃にそっくり! 金の巻き毛に髪飾り! あの時と同じだわ

!』

『私たちもまたアリアズナに会えたみたいで嬉しい! ありがとう、サーニャ!』

『サーニャが良い子で、本当に良かった!』


 泣いている子も笑っている子もいる。やっぱりこのドレスを選んだのは正解だったんだろう。自分のドレスも楽しみだけど、こうして喜んでくれる人がいると言うのは嬉しい事だ。私は歓迎されている。屋敷の人々にも、妖精たちにも。

 私は愛されていると言う事なのだろうか。愛されて、ここにいるのだろうか。だとしたら嬉しい。自然に笑みが浮かぶと、さあ、と画家が私たちを招いた。一人掛けのソファーが一つ、暖炉の前に陣取っている。


「奥様は椅子へ、旦那様は立っていてくださいませ。急いで仕上げますので、一週間ほどお待ちを。カンバスの号数も小さいし、すぐに出来上がると思います。とりあえず今日は五時間ほど。明日も三時間ほど頂ければ、後の日程ですぐにでも。ささ、お早く!」


 五時間!? 私お尻痛くならないかしら!? それにコスタス様だってそんなに長い時間立っていられるのかしら。心配に思っていると、ソファーには柔らかいクッションが敷かれ、その陰には立ったまま座れる椅子が用意されていた。流石はプロ、怠りがない。

 しかし肖像画を描くってそんなに時間がかかる事だったんだ。広間に飾ってある大旦那様と大奥様の肖像画はかなり大きいから、何か月もかかったんだろうなあ。フルメイクで毎日同じドレスを着てたんだろうかと思うと、頭が下がるやらだ。私たちのは早さが基準だから九分の一ぐらいのサイズで頼んでいるけれど、それでも肩幅ぐらいの大きさがある。男の人の背中ぐらいだ。ドレスをさばいてソファに座り、コスタス様も椅子に腰掛ける。涙をぬぐった大旦那様は、私たちが一番よく見える場所にあるカウチに腰掛けて穏やかな顔になった。


 昼下がりは時間がゆっくり流れる。ちょっと眠いぐらいだ。でも姿勢を崩さないように、私は背もたれに身体を寄せる。ふわふわの椅子だった。どこにあったんだろう。屋敷の中で似たようなものは、私の部屋の書き物机ぐらいだけれど。

 もしかしたら大奥様のものかな。地下室にあったのかもしれない。あまり探索をしたことはないから分からないけれど、だとしたら本当、私は大奥様の模倣も良い所だ。


 まあ良いだろう。自分の結婚式が来たら、私はその時私になれば良い。歓迎されないかもしれないけれど。それで良い。この屋敷でなら、私は私でいても良い。大奥様でいても良い。この不思議な縁にはやっぱり運命や宿命を感じる。私はこの人達に会うためにここに輿入れして来たんだろう。

 妖精たちにも祝福されて、メイドさん達にも優しくされて。ちやほやされるのは慣れていなかったけれど、適度だったらそれも良いかな、と思えてきている。暖炉のぱちぱち薪の爆ぜる音。デッサンから始まるしゃっしゃっという木炭の滑る音。キッチンから漂うのは夕飯の匂い。メイドさんたちは仕事に戻った。コスタス様はちょっとしんどそうだけれど、夜までもつかしら。仕事は放りっぱなしだから、今日は夜更かししないとな。


 考えたり見たり聞いたりしながら時間が過ぎて行くのを待つ。外はもう暗い。冬だものな。でも部屋は寒くない。大旦那様に託されたストールも温かい。心地良い。こんなにゆったりした気分になるのなんて、侯爵家の跡取りになる前以来ぐらいじゃないだろうか。それからはずっと仕事が忙しくて、大旦那様もやって来ていたから二人の時間なんて全然なくて。

 私、寂しかったのかなあ、もしかして。放っておかれるような気分になって、それで。でもそれは私にとって日常だったはずだ。図書室に監禁されて魔法の行使を強要されて。出来ないと言えば格下の貴族に押し付けられて。女郎屋にでも入れられておかしくなかった生活を、隣にいる人が変えてくれた。屋敷にいる人が変えてくれた。それは素敵な事だった。心が温かくて、毎日が楽しくて、ちょっと忙しいのもスパイスで。


 ああ、私、愛されてるんだ。この人の事を、愛しているんだ。

 素直に納得してしまった瞬間、妖精がわっと沸いた。

 私も笑みを深くする。

 そっか。

 愛されてるって。こんな感じの事だったんだ。

 こんな当たり前に感じて良いことだったんだ。

 臆病にならなくて、良いことだったんだ。

 いつ捨てられるかなんて考えなくても良いぐらい。

 私は、愛されているのか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る