第37話

 夕食の匂いも強くなってきた時間帯、そろそろ今日の作業が終わって私たちもほっと力の抜けた頃、玄関に着けた馬車の気配に気付くのとドアが開くのはほぼ同時だった。執事さんがドアを開けて広間に連れて来たのは、杖を突いたお爺様で、カウチでまどろんでいた大旦那様はビクッとして居住まいを正す。

 だけどお爺様は大旦那様の事なんてちっとも気にせず、やっぱり、おお、と言って眼を押さえた。また執事さんが伝書鳩を飛ばして私たちの恰好の事を教えたのかな、思って伺ってみると、にこにこしている。確信犯ってこういうのを言うんだっけ。みんなが私に大奥様を見るのを分かってて、そうしたんだから。まったくもう、こっちはお化粧が疲れていないか心配なぐらいなのに。


「動かなくて良い。動かなくて良いから、私にもその姿を見せていておくれ。コスタス。サーニャ」

「はぁ……」

「アリアズナのドレスか。あの子の――そうか、ここにあったんだな。水晶の髪飾りも金の櫛もアメジストの指輪も、みんなあの子が持って行ったものだ。懐かしい。もう二十年は前になるか。それが、こんな形で」


 う、っと泣き出したお爺様は、まだ旅装も解いていない。執事さんが促してコートを受け取る。マフラーは私が作ったものだった。愛用してもらえてるなら上々だ。

 絵の具を溶かすのニカワの匂いがツンとしていたのだけれど、画家はそれを片付け始めていた。今日の所はもう良いんだろう、時計を見れば七時を指している。いつもならお夕飯の時間だ。そう言えばお爺様たちの分はあるのだろうか。まあ、執事さんなら先にコックさんに話を付けて余分に作らせていると思うけれど。その辺りは信用している。二人とも、信頼している。


 画家がでは今日は、と馬車で帰って行くのをしり目に、私とコスタス様は顔を合わせた。さっさと着替えたいけれど、お爺様も来たばかりだし、暫くは着ておいてあげた方が良いのかしら。でも正直もう疲れてお尻も痛いし、コスタス様も立ち上がって伸びをしているぐらいだ。脱いでいつもの軽いドレスになりたいし、リリーさん渾身のお化粧も落としてしまいたい。

 どうしたものかなあ、なんて思っていると、お爺様、とコスタス様が呼ぶ声が広間に響いた。はっとした彼は目元をごしごしと拭って、ぴしっと背を伸ばす。今更の事なのに威厳を出そうとしているのがちょっと面白かった。執事さんもにこにこしている。食えない人だなあ、と思って苦笑い。ラペルホールには私の作った赤い毛糸の薔薇。これもその所為かしら。執事さんも大奥様の事には、穏やかになる人だったから。


「僕達は明日も画家を呼んで同じ格好をするつもりです。その時にまたこの姿を見せますから、今日は脱いでも構いませんか? 正直正装を続けていたのですっかり疲れてしまっているんです」

「あ、ああ、勿論構わないよ。すまないな、こんな時間に勝手にやって来て」

「まあ執事が伝書鳩を飛ばしていたのを見た時点で覚悟はしていました。領地からすっ飛ばして来たんでしょう? 駿馬を無駄遣いするなとは言いませんが、いい歳なんだからちょっとは加減してください。まったく、母上の事となるとみんなこうだ。ここにいるのはサーニャなのに」


 ぷぅ、とブスくれた顔に私はぷっと笑ってしまう。妖精たちも笑っていた。サーニャ。サーニャでいても許されるのか。ちょっとホッとした。大奥様の代用品ではなく、サーニャとしてここにいても良いなんて。そんなに嬉しいこともそうはない。私でいても、コスタス様は許して下さるもの。

 それは素敵なことかもしれない。


 でもやっぱり妻や娘を思い起こしている大旦那様やお爺様も責められないよなあ。大切な思い出だもの。それを嫁に来た娘が着ているのは、感無量と言ったところだったのかもしれない。ちょっと自惚れかな、と思いつつ、私は立ち上がってくるりとターンして見せる。ドレス全体を見せるように。カウチに座ったお爺様も大旦那様も、また声を上げる。ストールもひらりと揺れた。それにくすっと笑って、私はちょっと悪戯気に笑って見せる。


「私にも似合いますか? 大奥様のドレス」

「ああ……ああ! 似合っているとも、サーニャ!」

「アリアズナにも見せたかったな。自分のドレスを着る嫁の姿を」

「あんな小さな肖像画では足りないぐらいだ」

「大きいのはサーニャのドレスで描いて貰うんです! 元々これは代用品なんですから、二人ともいい加減母上のことばっかり言うのはやめて下さい。サーニャ『にも』似合う、それだけですよ。サーニャのドレスは別で用意するんですからね。よりサーニャらしい、可愛くて綺麗なのを! 僕が! 用意するんです! もちろん結婚指輪も!」


 胸を張ってそう言うコスタス様に、そうだな、と義理の親子は揃って笑って見せる。きっと大奥様の事なら話が合うんだろう、この人達は。私はまだこの屋敷に嫁としてやって来て半年にもならない。でも分かることは増えてきている。コスタス様の愛し方。大奥様の愛し方。大旦那様の愛し方。お爺様の愛し方。そして私がどれほどそう言ったものから遠ざかって生きて来たのか。私は私の愛し方を、こうして示せているのだろうか。

 心配になってしまうのは、この人達の愛し方が奔放だからだろう。私はまだそこまでになれない。だけど、努力はしていくつもりだ。示せるように。晒せるように。私はあなた達を愛していると、胸を張って言えるように。


「お爺様も今日は泊まって行かれるんでしょう? 客間の用意は――」

「済んでおります、旦那様」

「ありがとうナターリア。さあ旅装を解いて、僕たちが着替えたら夕飯にしましょう。と、サーニャはお湯を頂いた方が良いかな」

「そうですね、髪も戻さないと。それでは失礼します、大旦那様、お爺様」

「私もお父様って呼んで欲しい……」

「その呼び方にはちょっと嫌な思い出があるので。申し訳ございません」

「それなら仕方ないな。どれ、私もお湯を頂いてこよう」

「じゃあ僕もそうしようかな。お爺様もいっそその方が良いんじゃありませんか?」

「そうだな、そうしよう」

「お腹ぺこぺこだー」

「ふふ、コスタス様、ぺこぺこなんて言い方なさるんですね」

「ぺこぺこは共通語だよ。ねえアナスタシア」

「それに関して私は黙秘しますが、……では一時間後には食堂へいらしてくださいね、皆様」

「解った」

「はーい」

「解りました」

「承知した」


 そうして私たちは食卓に着いた。話題は大奥様の事ばかりで、実は大奥様と大旦那様が幼馴染だったとか、結婚を願い出た時に絨毯に頭押し付けて土下座したとか、いろんな話を聞けたのは楽しかった。妖精たちも笑っていた。笑っていた、のに。


 次の朝、大旦那様は起きてこなかった。

 冷たくなっていた。

 大奥様の作った編み物すべてを身に付けて、幸せそうに。

 枕の下に小さな大奥様の肖像画を入れて、亡くなっていた。

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