第18話

「僕の部屋からは玄関の門がよく見えるんだよ。音がしたから見てみたらサーニャが出かけていく所で、慌てて馬で追い掛けたんだ。鞭と覆面は念のためだったんだけれど、役に立ってよかった……のかな」

「……」

「あの質屋は裏でやくざ者と組んでいるのが有名でね。多分相当高価なものを売ったんだと思うんだけど、何をそんなに欲しかったのかな」

「……」

「言えばお金なんてすぐに都合したのに。行き帰り馬車も使えば安全だったろうに。僕に何をそんなに秘密にしていたのかな? サーニャ」


 詰問口調でなく優しく諭されているのが逆に怖かった。コスタス様は私を自室に連れて行って、一人掛けのソファーに座らせて覗き込んでくる。そっと肩に触れられると、びくっと震えてしまった。痛いかい、と問われて、ふるふる首を振る。怪我なんかしていない、どこにも。その前にコスタス様が助けて下さったから。

 苦笑いの気配。私は俯いて、お菓子がたくさん入った籠をぎゆっと抱き締める。この気温だ、溶けてしまうものはないだろう。そう言えばコスタス様の部屋に招かれたのは初めてだ。暖炉の火はまだ入っていない。今日は小春日和だから、夜までは要らないんだろう。寒くはない。けれど震えてしまう。怖くて。


「サーニャ。教えて」

「ぁ……アリサさんが」

「アリサちゃんが?」

「また来た時に、退屈しない様にって」


 苦しい言い訳なのは承知していたけれど、それ以外思いつかないのも本音だった。妖精の事を話せばおそらくコスタス様は機嫌を悪くする。本たちが焼かれてしまうかもしれない。それは避けたい。だからお菓子は、アリサさん宛てと言う事にした方が都合が良い。

 嘘だ。これは嘘だ。多分コスタス様も大嫌いな類の嘘。だけど今はそう応えるしか思いつかない、稚拙な嘘。ふうっと息を吐いて、その吐息からは紅茶の香り。もしかして一息入れていた所で私の外出に気付いたのかもしれない。座らされたソファーからは門が見えた。何かが動いたらすぐわかるぐらいに、よく。


 ぽんぽん、と頭を撫でられて、顔を上げるとコスタス様は顔の力を抜いて笑い、私をぎゅっと抱きしめた。覆いかぶさられるようなそれにぽかん、としてしまう。これはどういう意味だろう。どういう意図だろう。解らない。と、こういう時はね、と耳元で囁かれた。くすぐったくてぴゃっとする。くふふっと笑われて、肩を竦めてしまった。だってこんなの、知らない。母にすら、された事がない。


 母は厳しい人だった。私が魔法の素質を受け継いでいると解ったらすぐに魔導書全般から遠ざけ、読むことがあったら打つこともあるぐらいに。母は父を愛していた。でも私は愛してくれなかった。ただの父の子であるだけだった。自分の子と言うのは、どうでも良かった。

 父の何を盲目にそんなに愛していたのだろう、母は。のちに引き取られた父の家はもっと息苦しくて厳しかった。魔法を使えない振りをするのが辛かった。でも母のように捨てられるのが怖かったから、曖昧にしておいた。


 私は両親どちらからの愛情も欠けていたのだろう。だから愛を返すのが下手だ。こうして抱き締められても、どうしたら良いのか分からない。


「こういう時は、自分も抱き締め返せば良いんだよ。サーニャ」

「え」

「そうすると、二人とも安心できる。怖かったよサーニャ、君がどこかに行ってしまう気がして」

「ご、ごめんなさい」

「言葉より強く、抱き締めて」


 耳元の言葉に堪えられず、思わずそっと背に手を回す。黒いジャケットの下はベスト、日に当たっている所為か温かくて、ほっとする。私が何に怯えても、この人は受け止めてくれるだろうか。魔法のこと。妖精のこと。でもまだ言ってはいけない気がする。少なくとも地下で妖精たちに、大奥様のことを訊いてみるまでは。

 小さくきゅっと掴んだ上着。温かい。心音が響く。くすぐったい。どっちの物だろう。解らない。だけど気持ち良い。心地良い。


「これからは、止めないけれど一人での外出をする時は僕に知らせておくれ。こんな怖い思いをするのは嫌だよ。お願いだ、サーニャ。本当はメイドの誰かと一緒が良いんだけれど」

「……手隙の方がいたら、そうします。私にも町がそんなに平和なばかりでないことが分かりましたから」

「ん」

「護身術に鞭とか教えてくださいます?」

「あれは我流だよ。それに距離を詰められたら役に立たない。乗馬鞭なんかの方が多分便利じゃないかな。もっとも、そんなものは使う機会がない方が良いのだけれど」

「そう……ですね。そうですね、コスタス様」

「良かった」

「え?」

「『旦那様』に戻っていない」


 腕の力を緩めて私の顔を覗き込み、コスタス様は笑ってくれる。額にキスをされて、肩が跳ねてしまった。くふくふ笑われて。顔を赤くしてずっと膝にのせていた籠をぎゅっと抱きしめる。あの子そんなに食べるかな、とぽつり漏らされた独り言は、聞かなかったことにして。多分食べない。市井のジャンクフードだ、こんなのは。私も小さなころに食べていたぐらいの。


「僕も一つ貰って良いかい? サーニャ」

「あ、はい。あれ、それ大きいから中に何か入ってる物ですよ」

「へぇ、そう言うのもあるんだ。どれ、」


 ぱくっと口に含まれたチョコレートはじゃりじゃりと音を立てて――

 コスタス様はひっくり返って、向かいのソファーに尻もちをついた。


「こ、コスタス様!?」

「お酒だこれ……」

「え?」

「僕にはまだ早い……」


 こてん、と目を閉じてコスタス様は寝息を零す。

 どんなのだろうと思って私も食べてみた。

 ちょっと濃いブランデーの味。でもひっくり返るほどではないのは体質の所為か。

 椅子に掛けてあった膝掛けを乗せて、私はコスタス様の部屋を出る。

 きっと今なら、妖精たちの話を聞きに行けるだろう。籠を持ってそうっと部屋を抜け出すと、私は地下室に駆けて行った。

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