第17話
ナターシャさんに持って来てもらっていたドレスの中で一番地味で普段使いに慣れてるものを選ぶ。装飾品は一切着けず、髪もゆるい三つ編みで精々市井に混じることにする。ショールだけガラスのブローチで留めて、いつもの籠を持ち、そっと外に出た。メイドさん達はそれぞれ自分の仕事をしているし、コスタス様もまだ例の治水工事の書類に夢中だ。執事さんの目を欺ければ外出はそう面倒じゃなかった。
ちょっと冷たい空気をふうっと発生させると、彼はどこかの窓の閉め忘れかとかつこつ靴を言わせていつも佇んでいる玄関ホールを離れる。その隙に私は、外に向かった。
先日の外出で市場までの道は覚えている。問題は手持ちのお金だけど、それは小さなダイヤがあしらわれた星型のブローチを売ることにした。実の母の形見だ。幸い妖精は出て行っている、出がらしの宝石。こう言うちまちましたのならいくつか持っているから、妖精さん達に報酬を与えるのは簡単なものだろう。質屋に向かうと眼鏡を掛けた鑑定士然としたおじさんがいて、いらっしゃい、と糸目に微笑まれた。
小さな袋からブローチを出すと、ほう、とその目がより細くなる。ふむふむと小さな虫眼鏡で観察されるのにドキドキしていると、このぐらいだね。と金庫から金貨を五枚出された。お金の価値は分からないけれど。結構な値段で売れたと言う事だろう。ありがとうございます、と頭を下げて、またどうぞ、と言われる。
次はお菓子のお店だけれど、はてどっちだったっけ。あまり屋敷から離れると迷子になってしまうので、慎重に足を運ぶ。棒付きキャンディがクロスになっている看板を見付けて、ここだ、と飛び込むと、先日と同じ甘い匂いがしていた。妖精さん達は身体があまり大きくないので、小さなものを選ぶ。それでも買い物籠はすぐ一杯になってしまった。一年ぐらいはもつかしら、なんて思って、カウンターに行く。
「お嬢さん、こんなに買うのかい? 持って行けるのかな、それに料金もかさむよ。金貨一枚は超えている」
「それでしたら大丈夫です。お気遣いいただきありがとうございます。実はお茶会でお菓子のつかみ取りを企画していまして」
「ああ、なるほどねえ。それじゃあこれが領収書だよ。お金は――」
「はい」
「金貨二枚!? お嬢さん、どこのお大尽の娘だい!?」
「え、えーっと、預かって来ただけなので……」
「それにしても太っ腹だ。おまけを少し付けようか」
「良いんですか? ありがとうございます!」
「良いんだよ、良いお客さんにはサービスしなくちゃ商売人の値が落ちるってもんだ」
よくは解らなかったけれど、籠いっぱいのキャンディやチョコレートにボンボンまで付けて貰って、私はご機嫌だった。あとは帰るだけ。思って通りに出ると、大柄な男の人に道を塞がれてしまった。ひそひそと聞こえる声。なんだろう、きょとんッとしてしまうと男の人は手を出して来た。無意識に籠を庇って後ずさりすると、筋骨隆々のその人はニヤリと笑って私のショールを掴み、裏道に入って行く。やめて下さい、と振り払うと、どんっと壁に押し付けられた。
にたにた笑う顔。自分がピンチだと今更気付く私。どうしよう。どうしようも出来ない事はないけれど、こんな街中で魔法を駆使して逃げるのは危うかった。でも逃げなくちゃ。コスタス様にご迷惑をかける訳にはいかない。
「姉ちゃん金貨持ってんだってなあ」
「……」
「貧乏人にも拝ませてくれよ、なあ」
「……もう使い切りました、ありません」
「じゃあその一生懸命握ってる袋の中のもので良いや。なあ、拝ませてくれよ。なあ」
どうしよう。ショールには火の妖精を宿してあるからそれで逃げることは出来る。でも裏道を心配そうに覗いて来る顔もあって、簡単に魔法は使えない。それは困った事だった。いっそ誰もが無関心でいてくれた学校やパーティーの方が楽だったぐらいのピンチだ。
おい、と肩を掴まれると。反射的に熱を発してしまう。驚いて手を引かれたけれど、その目付きはまた悪くなった。怖い。怖い怖い怖い。誰か助けて。否、誰も来ないで。私は。私が魔女だと知れてしまったら、コスタス様にも追い出されてしまう。そうしたらもう行き場はない。怖い。誰か。誰か助けて。誰でも良い。もしくは誰も私を見ないで。魔女の私を、見ないで。
腕を振り上げられて殴られそうになる。思わず籠を抱きしめてしゃがみ込むと、ぱしっと何か革のような音が聞こえた。なっ、と男が戸惑う声がして、私はいつの間にか閉じていた目を開ける。
男の腕には長鞭が絡みついていた。
そしてその方向をたどると、目を覆う覆面姿のちょっと小柄な男の人が立っている。
コスタス様だ、と解ったのは、私が魔女だからだろうか。
目を細めて睨みつけて来るのが、覆面越しにも冷たくて怖い。
「な、なんだてめぇ!?」
「その子の保護者だよ。痛めつけられたくなければ大人しく引き渡すが良い」
「チッ……!」
男は鞭をぐるぐる解いて、大通りに走って行く。へたり込んだままの私は、ブーツを鳴らして近付いて来るコスタス様の叱咤に震えた。勝手に外に出て、迷惑を掛けてしまった。忙しい時なのに。なんて迷惑ではしたない私。革の手袋をすっと差し出され、肩がはねてしまう。
「おいで、サーニャ。まずは家に帰ろう」
さっきとは全く違う声音で、コスタス様は、旦那様は、大通りに待たせてあった馬に私を乗せて相乗りで屋敷に帰って行った。
コスタス様の正体には、誰も気づかなかった。
私だけ。
私だけが知っている、ちょっと怖いコスタス様には。
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