第22話
城の客室に帰って私はまだぼーっとしていた。どうもショックが抜けきらないらしい。良い驚きだけれど、いつまでもはわーっとしていたらコスタス様に笑われてしまった。ジャケットを掛け、カマーベルト姿になる。それも外すと、ふうっとダブルのベッドに腰掛けた。ダブル。そうか、今日が初の同衾になるのか。ちょっと覚悟が出来ていなかったから、私はいつまでもドレス姿でぼーっとしてしまう。
「まさかいきなり侯爵になるとはね。と言うか侯爵領に後継ぎがいないのにどうして母上を嫁に出したりしたんだろう。伯父上の所はまだ男の子が生まれていないから、アリサちゃんを女子爵にするつもりでいるのに」
何か事情があったのかな、と独り言が漏れて、私はなんとなくその理由に見当をつける。
彼女が魔女だったからだろう。
男爵家に輿入れさせたのもそう言う理由。
そして同じ理由で、私も男爵家にやって来た。
本当、因縁めいていていっそ気味が悪い。
「サーニャ、お湯を貰って来ると良いよ。髪の巻き方は母上で覚えたから、僕に任せて」
「あ、はい」
ぽてぽて底の平べったいシューズを鳴らしながら、私はシャワールームに向かう。ぴかぴかに磨かれていて、男爵家と比べちゃいけないけれど、ずっと高価に見えた。ドレスを脱いで光る金色の取っ手を回して髪から洗う。身体も洗って、バスタブから出たら身体と髪を拭いてフリーサイズのちょっと大きなネグリジェに着替える。
髪をタオルで包んで上げながらスリッパで浴室を出ると、コスタス様は壁に掛けられていた国の地図を見ていた。男爵領は北にある。結構広大だ。自然国境の山もある。本当、王国では外れの方。
対して侯爵領はアリサさんのおうちを飛び越えて大きく広がっている。これまで扱えなかった野菜なんかも採れるだろう。だけど広大な領地を飛び地として持つことは難しい。どちらかに注力する方が良いのだろうけれど、新しい領民はコスタス様を警戒するだろうし、元の領民はコスタス様の不在を不安がるだろう。
隣に立ってふわぁ、とその領地を眺めていると、コスタス様に笑われてしまった。だっていきなり侯爵夫人になるだなんて、そしてこの広大な領地を収める人の妻になるだなんて、信じられない。
「僕もお湯を頂いて来るよ。サーニャはガウンも着て、温かくしておいでね」
そう言えば無防備にネグリジェ姿を見せたのなんて初めてだったので、ぼっと顔が赤くなる。くっく、笑ってドアを閉じたコスタス様に枕でもぶつけてやろうかと思ったけれど、完全に癇癪なのでやめておいた。ナイトガウンは二色、えんじ色と群青色。多分こっちだよね、とえんじの方を取ってばさりと袖を通すと、やっぱり温かくてほうっとした。お城凄い。
侯爵領もこんな感じなのかな。受け入れててもらえると良いな。ちょっと怖いな。眺める地図には見たことも聞いた事もないような地名がたくさんあって、中には有名な繁華街もあったりして、ほうっとまた息が出る。
「ねぇ」
私は手に持った水晶の髪飾りに問いかける。
「本当に何もしてないよね?」
妖精たちは笑っているばかり。
ぎゅっと握りしめると、やっとそれを止める。
『だってサーニャは愛を知りたいのでしょう?』
『離れてみることで自覚するものもあると思うの』
『遠距離恋愛だって立派な恋愛よね』
『ねー』
私が好きになるのはコスタス様決定なのか。別に今更誰と不倫しようとか考えていないけれど、毎日顔を見ている人だけにあまり代わり映えがしないと言うのも本音だった。コスタス様は優しい。それだけ。と思うと、私は欲張りになったんだなあ、と思えた。普通に扱って頂けることが嬉しくって、メイドさん達も私を好いてくれて。コックさんも執事さんも優しくて。
もしかしてこの大幸運は私の作った肩掛けと膝掛けの効果なのだろうか。幸運を願ったのは嘘じゃない。でも殆どは温かさを願っただけだ。そしたら温暖で肥沃な領地を貰ってしまった? まさか、そんなこと。ありえないとは言い切れないのが、私の忌まわしいところだ。
それにしてもどんな暮らしになるんだろう。領地を行き来して、会えない日も出るかもしれない。妖精たちの言う通り、『遠距離恋愛』と言う奴だ。それにしてはもう私とコスタス様は婚姻関係にあるのだけれど、もっと何か深い感情が生まれたりするのだろうか。
愛し合っているというよりは、慈しみあっている。早くに母親を亡くしたコスタス様を、私はそうしている。農場で投げ売りされる痩せた牛のようだった私を、コスタス様はそうしている。お互いにそうなのだ。それは愛しているとはちょっと違う。くちゅんっとくしゃみが出ると、身体がざわざわざわっと震えた。吸水の良いタオルはすっかり長い髪の水分を取ってくたっとしている。解いてみると、真っ直ぐな金髪が露になった。母譲りの金髪。碧眼は父譲り。もっともあの人はそれを、認めないだろうけれど。下手をすると自分の娘である事すら、認めないだろうけれど。
ドアが開いてコスタス様もちょっと大きめのパジャマで出てくる。短い髪は殆ど乾いている様子だった。おいで、と言われてとことこ近付くと、ベッドに座らされて、櫛をあてられる。
「寝るだけだから巻かない方が良いね。しかしサーニャのネグリジェ姿は初見だったけれど、中々髪が長くてびっくりしたよ。いつも結わえるか巻いてあるかだったから、全然気付かなかった」
「お風呂上りはこんな感じです。コスタス様も濡らすと少し膨らむんですね」
「父譲りでね、もう少し伸ばすとうねって堪らない。水気は殆ど取れているね。眠るまで、少しお喋りでもしようか」
「お喋り? ですか?」
きょとん、としいしまうと、そう、と笑われる。
「これからのリュミエール領のこととか」
「とんだ飛び地になっちゃいましたね……」
「うん。これからはサーニャにも書類を任せることがあるかもしれない。申し訳ないけれど、お願いできるかな」
「今まで何もしていなかったんですもの。いらえは必要ないほどです」
「勤勉なサーニャに甘えてしまうかもしれないよ? 僕」
「私の方が年上ですし、どんと任せて下さい。執事さんや他の役人に確認を取ったりして進めることは可能です。でも大変なのはコスタス様の方ではありませんか?」
「うん、多分、週ごとに行き来する生活が続くと思う。良い参謀を見付けなくてはね」
「侯爵様は御存命なんですか?」
「さすがにガタが来ていて広い領地を管理するのは疲れるらしい」
「……コスタス様の、お爺様ですよね?」
「そう。ろくに顔も覚えていないけれど、他人に譲渡するよりは良いらしい」
くっくっく、ちょっと皮肉気に、コスタス様は笑った。
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