第23話

 次の日は朝食が済んだらすぐに城を辞し、侯爵領に向かった。どうせ道すがらだ、早く行って早く帰ろうという魂胆である。もっとも書類が溜まっていたらそれを片付けなくちゃならないから、その時は私が先に男爵領に帰ってコスタス様は泊まりか遅れて、と言う事だった。

 一晩中お話していたのは初めてのことで、二人で欠伸混じりだったけれど、なんだか今までよりちょっと近づけた気がする。なんとなく笑ってしまいながら暇つぶしに編むのは、コスタス様のマフラーだ。もっともこんな呑気な事をしていられるのは今だけだと分かっている。だからこその暇つぶしだ。


 大奥様の実家か。やっぱり妖精がいっぱいいるんだろうか。侯爵家だから逆に魔導書なんて集められなかったかもしれない。或いはすべて持ってきた結果があの地下室なのかも。うと、と毛玉の温かさに私も眠くなってしまう。コスタス様はすでに夢の中だ。遠い領地、やっぱり眠って行った方が良いのかもしれない。ふぁ、と大きな欠伸を漏らして、私も目を閉じることにする。

 コスタス様に巻いて貰った髪に埋もれながら、私はちょっとだけ考える。お爺様はどんな方なのだろう。コスタス様も顔は殆ど覚えていないと言うけれど、やっぱり魔法を毛嫌いする人だったのかな。だとしたら、私が魔女だと言う事はバレないようにしないと。コスタス様に迷惑が掛かってしまう。


 昨日のお父様は見るからに不機嫌そうな様子だったし。城下町の屋敷に帰って行ったけど、その足音が常より荒めだったのを私は聞き逃していなかった。それでもこちらを見ることはしなかったけれど。魔女である私の告発を行わなかっただけ良いのか。どうにしろ今後は心配だ。心配事だらけだ。貴族社会の序列から何も言えないかもしれないけれど、それでも警戒しておくことは大切だろう。

 もしかしたらコスタス様が平民に落とされるかもしれないから、ここは踏ん張りどころだ。コスタス様はお爺様に立ち向かい、私はお父様に立ち向かわなければ。何を理由に難癖をつけてくるか分からない。工事の事は昨日改めて詳しく聞いたから頭の中に入っている。伯爵領も通る大工事になるらしい。でもそれは恩恵のある事だから、文句は付けられないだろう。伯爵領も農場は多いし田畑も豊富だ。営農用水は必要のはずだ。そっちは平気。


 問題は私が社交界に上手く馴染めるかかもしれない。昨夜だってお話をしたのはアリサさんと子爵様ぐらいだ。おめでとう、と言われてちょっと照れて、あと手袋の片方を渡して来た。サイズは子爵様に丁度良く、これなら冬になるまでに頑張れるね、と言っていた。可愛い妹分だ。

 彼らに疎まれなかったのは僥倖である。一気に貴族の階段を飛び越えてしまったので、コスタス様はどこか嫌味混じりの祝福ばかりされたのだ。さっきまで頭を下げられていた相手に頭を下げる。屈辱なのだろう、やっぱり。父は動かざること山のごとしだった。娘の、魔女の嫁ぎ先に興味なんか無かったのだろう。温厚に過ごせたら良いのだけれど。

 確か跡継ぎにお兄様がいたような気がするが、よく覚えていない。私と同じ金髪碧眼だったような気はする。ほぼ記憶にないのは私が食卓にすらつかせてもらえなかったからだろう。姉が一人、兄が一人、妹が一人。確かそう。もっとも昨日の舞踏会で私に声を掛けて来た伯爵家の人間はいなかったから、彼らも忘れているのかもしれない。それはそれで面倒がなくて良い。お父様も高齢だし、跡継ぎを考える年頃だ。侯爵様のように。


 その侯爵領に着いたのは昼時だった。二頭立ての馬車が止まり、心地良い揺れが無くなったところで目を覚ますと、そこにはうちとは比べ物にならない大きさの館が立っていた。おぅっと思わず声を飲み込むけれど、門扉を開けられドアノッカーを叩くと、出て来たのはまだ比較的若い家令さんだった。王様から預かった書面を見せると、彼は表情を変えず深々と頭を下げる。私達を屋敷の中に迎え入れてから、パンパン、と手を叩いた。薄い手袋越しなのによく響くそれに、ぞろぞろ出て来たのはメイドさん達。ゆうに二十人はいるだろう。コックも三人。日常からこんなに必要だろうか。確か奥方も亡くなって一人暮らしだと聞いたけれど。いやこの人数で一人暮らしって言うんだろうか。解らない。


「アリアズナ様のご子息であるコンスタンティン・ド・リュミエール侯爵である。新しい領主様だ。失礼のないように。また、アレクサンドラ・ド・リュミエール様は奥方様である。こちらも丁重に持て成すよう」


 張りのある声に、使用人たちが声をそろえて、はい、と答え膝を下げた。伯爵家の出でもこんなにたくさんの人に傅かれたことがないので、思わず後ずさってしまう。使用人もこれだけいれば圧がある。どうぞ、とコスタス様は家令さんに連れられてお爺様の部屋に向かうのだろう。私はメイド長と思しき年配の女性に勧められ、テラスに着く。

 大きな窓は冬でも寒さがそう厳しくない印だろう。いっそ半年ごとに領地を訪ねれば、とも思う。夏は過ごしやすい北に。冬は暖かいこちらに。でもそう言うわけにはいかないだろうな。都合の良いことだ、それは。やっぱりせいぜい一週間か一か月に一度は居宅を替えていかなければ、民心もついては来まい。


 コーヒーを出され、ミルクと角砂糖を一つ入れる。音をたてないように陶器のカップを取って飲んでみると。苦かった。そして熱かった。アイスでも良かったのにな、思いながら壁に掛けられている肖像画を見回してみると、見覚えのある顔にあたる。

 ちょっと吊り目で細面な少女。若いけれど分かる、大奥様だ。大きな額縁に、父母と並んで描かれている。


「あの、アリアズナ様はどうして男爵家にお輿入れなされたのですか?」


 メイド長さんに訊いてみると、くすっとその顔がやわらげられた。


「アリアズナ様が男爵様と結婚できないなら死んでやる、なんて仰ったからですよ」

「へ?」

「結構な恋愛結婚だったんです、お二人は。奥様も旦那様もほとほと困り果てて、男爵領と一緒に侯爵領も継ぐなら考えても良い、なんて言ったらひゅんっと向こうに馬車を飛ばして。旦那様が幼いコスタス様に帝王学を教えようとするとめっきり足が遠のいてしまいましたけれど、本当、旦那様はコスタス様が自分の後を継いでくれる日を楽しみにしていたんですよ」

「れんあいけっこん……」


 貴族でもそんなことあるのか。思いながらもう一度肖像画を見ると、みんな穏やかな顔をしていた。穏やかな、良い家族だったんだろう。気の早いフレジェを頂きながら、私はちょっとそれが嬉しくなる。無理やり輿入れさせられたんじゃないんだ。二人が愛し合って、コスタス様は生まれたんだ。

 それはなんだかとっても素敵で、だけど自然のことで、私は笑みを零してしまった。

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